大菩薩峠 竜神の巻(昭和35年)

市川雷蔵主演版「大菩薩峠」の第二部なので第一部から見ていただきたいです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、三隈研次監督の『大菩薩峠 竜神の巻』です。本作は『大菩薩峠』の第二部にあたりますので、第一部が昭和35年10月公開されてからわずか9週間後の12月末に大映の正月映画として封切られました。現在の感覚では続編公開にはずいぶんと早いように思えますが、なにしろ第一部が机竜之介と宇津木兵馬の決闘の場面でぶつ切れで終わっていますので、観客としてはすぐにでも続きが見たいと待望された続編だったと思われます。監督をはじめスタッフは録音と音楽以外ほぼ同じメンバーなので、現場では第一部から第二部までをまとめ撮りをしたのかもしれません。

【ご覧になる前に】市川雷蔵を支えた三隈研次監督と衣笠貞之助の脚本

兵馬との対決は決着がつかず、竜之介は西へと向かう旅の途中で薩摩の浪人酒井新兵衛から真剣勝負を挑まれます。その果し合いを見ていた植田丹後守から腕を見込まれた竜之介は道場の指南役として植田屋敷に逗留することとなりました。一方で七兵衛は島原からお松を身受けして、兵馬と三人で互いの仇である竜之介を追うのでしたが…。

第一部に続いて監督は三隈研次で、この人は大映でプログラムピクチャーを量産したあとで、TVドラマで活躍した演出家です。この『大菩薩峠』シリーズのほかにも、「眠狂四郎」「座頭市」「子連れ狼」などの時代劇シリーズの監督を多くつとめました。そんな職人的な映画監督だったのですが、肝臓がんに侵されて五十四歳の若さでこの世を去っています。病気って本当に残酷ですね。

脚本を書いたのは衣笠貞之助。劇団一座で女形の役者として活動した後に映画界入りしましたが、大正末期には日本映画でも女優を起用するのが一般的となったため、女形俳優はあきらめて映画監督に転身した変わり種です。けれども衣笠貞之助が監督した『狂つた一頁』は日本映画史ではじめてのシュールレアリスム作品として名を残していますし、トーキー以降も松竹の『雪之丞変化』で大ヒットを飛ばし、戦後には東宝を経由して大映に移籍して『地獄門』を発表、カンヌ国際映画祭グランプリを獲得しました。脚本だけを書いた作品も少しだけありまして、山口百恵版の『春琴抄』なんかの共同脚本にも名を連ねています。市川雷蔵主演の『大菩薩峠』三部作はすべて衣笠貞之助が脚本を書いていますので、それが作品の質を安定させた要因かもしれません。

ちなみに昭和35年は映画館の数がピークに達した頃で、全国に7500館くらいの映画館がありました。一方でTVも徐々に普及し始めていて、昭和34年の皇太子ご成婚を境にして街頭TVから一家に一台の時代に変化していった結果、昭和35年のTV(もちろん白黒)普及率は45%。家庭で普通にTVを見る暮らしが根付いた頃だったわけです。じゃあTVですぐに時代劇ドラマが見られたかといえばそんなことはなく、まだ生放送のバラエティ番組が主で、NHKで大河ドラマが放映されるのは昭和38年を待たなくてはなりません。つまり本作公開時には、まだ人々は映画館でしか時代劇を見ることができず、この『大菩薩峠』のように第一部が尻切れトンボで終わった日には、もう第二部を今か今かと待っている状態だったんですね。その気持ちを考えると9週間も待たされるのはなんとも長かったろうなと同情を禁じえません。

【ご覧になった後で】机竜之介のニヒリズムがリリカルに描かれています

いやー、さすがに第二部ですから、クライマックスで再び机竜之介が宇津木兵馬と対決することになっても、「ここで終わるんだな」とわかってしまいます。盛り上げるだけ盛り上げておいて、いざとなるとおあずけ、というあこぎな商売によくある手にはそう何回もひっかかりませんってば。でもまあ、目が見えない竜之介がどう戦うのか、とか、崖から落ちてしまってたぶんおとよが助けに行くんだろうな、とか、そのあこぎな商売の目論見通りにやっぱり次が気になってしまいますね。こういう展開だと、もちろん第三部も必ず見に行っちゃうことでしょう。

第一部の机竜之介は、通りすがりの老人を辻斬りしたり妻を追い詰めて殺したりと真の邪悪さが満載でしたので、正義感の強い観客からするとちょっと勘弁という感じの主人公でした。しかし第二部になるともうむやみに人を斬るということはなくなって、剣の腕を見せびらかすようなことはしなくなります。というか、妻のおはまを殺してしまったことを悔いるような場面も出てきて、そのおはまに瓜二つのおとよから言い寄られても「自分には近づくな」と自己中心的な言動が消えてなぜか他者を思いやるようなセリフを言ったりします。なので、残虐非道だった竜之介が第二部ではどこか無常感を湛えて、自らの「業」から逃れられないニヒルな浪人に変化していて、目が見えなくなるという展開も含めてその描き方がなんだか詩的な雰囲気になってきているんですね。そういう展開ですから第二部は、第一部を見ていないと到底入り込めない作品であると同時に、ピカレスクな主人公が物悲しく見えてきて、その孤独な姿に観客が同情してしまうようなシンパシーさを感じてしまう作品になっていました。

ところで、第一部同様に本作においても、どこか殺陣の場面に違和感というか物足りない感がありました。何が足りないのかなと考えると、音が足りないんですよね。殺陣の動きは、もちろん歌舞伎などとは違って実にリアルですし、雷蔵も追っ手を演じる大部屋俳優たちもスピーディでダイナミックな動作でアクションを見せます。しかし刀が相手を斬ってもバシュッとかズザアーッとかの音が聞こえてこないんです。この音のなさは昭和35年当時の時代劇ではたぶん当たり前だったのですが、この翌年、黒澤明監督が作った『用心棒』では効果音にいわゆる「斬殺音」が加えられました。大袈裟なまでに刀が人を斬る音を誇張したわけです。以来時代劇に関わらず、映画やTVドラマでは斬るという動作には必ず斬殺音がセットになったのですが、本作は『用心棒』以前の時代劇。そこがひとつ足りないところでした。

しかしながら、目の見えない竜之介が修験者の小屋から金造を刀で一突きするショットのリアルさはなかなか見事でしたね。ここは逆に音がないことがいかにも金造の喉笛に刀が突き刺さるイメージが強く表現されていて、しかも竜之介が刀をグイっと押し込む動作が殺しの生の感触を伝えるようでした。殺される金造を演じたのは片山明彦。溝口健二が低迷期に作った『武蔵野夫人』では田中絹代の不倫相手役、成瀬巳喜男の『おかあさん』では同じく田中絹代の息子役などをやった人ですが、どうにもこうにもうだつが上がらない優男風で、本作ではそれに輪をかけて身の程を知らないダメ男にぴったりでした。そのほかでは、竜之介に果し合いを挑み、後半では竜之介を天誅組に引き入れる新兵衛を演じていた小堀明男。この人は東宝でマキノ雅弘が作った『次郎長三国志』シリーズで主人公清水次郎長を演じていたんですが、これがもう存在感ゼロで全く次郎長に見えないんですよね。本作の新兵衛くらいがお似合いといったら言い過ぎでしょうかね。(Y122821)

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