忠臣蔵(昭和33年)

大映版のオールスターキャストの忠臣蔵で長谷川一夫が大石内蔵助を演じます

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、渡辺邦男監督の『忠臣蔵』です。赤穂藩の浪士たちが主君の仇討ちを果たした事件は人形浄瑠璃と歌舞伎において「仮名手本忠臣蔵」として上演されて以来、日本の時代劇史上最大最高の鉄板コンテンツとなり、映画界でも繰り返し忠臣蔵ものが作られました。本作は大映が区切りの悪い創立18周年記念としてオールスターキャストで製作したものですが、驚くことにシンプルでドンズバの『忠臣蔵』という題名を持つ忠臣蔵映画はこの大映版のみです。他は「忠臣蔵 ○○の巻」とか「赤穂浪士」とか「大忠臣蔵」とかちょっとひねったタイトルだったので、長谷川一夫主演の大映版は忠臣蔵ものの王道をいく配役・内容になっています。

【ご覧になる前に】鶴田浩二演じる岡野金右衛門がフィーチャーされています

赤穂へ向かう早駕籠を宿場町で駕籠かきが交代して運んでいきます。駕籠が到着した赤穂城で大石内蔵助は江戸城で主君浅野内匠頭が刃傷沙汰を起したことを知ります。その数日前、饗応役を任じられた内匠頭は吉良上野介に指南を仰ぐのに賄賂を渡すことを臣下源五右衛門から勧められますが、清廉潔白な内匠頭はそれを良しとしません。上野介は進物をよこさない内匠頭に増上寺の畳替えは不要とたばかり、源五らは江戸中の職人を集め200畳の畳を一晩で準備させます。饗応本番当日、裃で登城した内匠頭は全員が烏帽子姿でいるのを見て、ついに堪忍袋の緒が切れ上野介に一太刀を浴びせます。上野介は何の沙汰も受けませんでしたが、討ちもらした内匠頭は即日切腹を命じられたのでした…。

映画界における忠臣蔵ものはサイレント期の人気俳優尾上松之助によって演じられたのが初めてと言われています。トーキーになると松竹や日活で次々に忠臣蔵映画が製作されますが、戦後の占領下ではGHQによって封建主義や仇討ちを扱った時代劇の製作が禁じられたため、一時的に姿を消します。しかしGHQ撤退と同時にメジャー映画会社は揃って忠臣蔵映画を復活させます。そんな中で戦時統制下で誕生した大映では昭和29年に浪曲調の『赤穂義士』を製作しただけで、いち早く『赤穂浪士 天の巻・地の巻』をカラーで作った東映や『大忠臣蔵』で歌舞伎を映画化した松竹などに比べると忠臣蔵映画では遅れをとっていました。

当時の大映は黒澤明の『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭でグランプリを受賞して以降、溝口健二の『雨月物語』『山椒大夫』、衣笠貞之助の『地獄門』が海外の映画賞を次々に獲得し、海外に輸出して外貨を稼げる作品の製作を進めていました。しかし昭和三十年代に入ると映画製作を再開した日活が石原裕次郎の登場とともに台頭し、興行成績では時代劇と二本立て上映で攻勢をかけた東映の後塵を拝することになります。そうした中でたぶん永田雅一が国内マーケットで対抗するためには、やっぱりきちんとした忠臣蔵映画を作るべきだと考えたのでしょう。18年というよくわからない区切りにも関わらず、創立18年記念映画として大映のスタッフとキャストを総動員して、しかも題名も忠臣蔵映画を代表するかのような『忠臣蔵』というドンズバタイトルにして2時間45分のカラー作品を作り上げたのでした。

主演の長谷川一夫は最盛期を過ぎていたものの、当時の大映で内蔵助をやるとすれば長谷川一夫しか考えられないというくらい大映を代表する大物俳優でした。内匠頭は市川雷蔵で時代劇俳優として大映のホープになっていた時期。市川崑の『炎上』で演技派として花開くのは本作の半年後のことになります。上野介は劇団民藝の滝沢修で、長谷川一夫と相対する俳優を大映では自前で用意できなかったようです。鶴田浩二は松竹を離れて東宝と専属契約を結ぶ前の出演と思われるのですが、映画的に二枚目の役割を用意したいという意図があったんでしょうか。他の忠臣蔵映画では脇役扱いの岡野金右衛門を鶴田浩二が演じて、若尾文子とのからみを見せています。

大映女優陣では京マチ子のために女間者役がクローズアップされ、山本富士子は内匠頭の奥方瑶泉院として登場します。中村玉緒や阿井美千子などがチョイ役に甘んじているのは、忠臣蔵映画ではそんなに重要な女性の役がないためでしょうか。内蔵助の妻りく役は淡島千景が客演していますし、一力茶屋の遊女は木暮実千代がやっています。

監督の渡辺邦男は戦前の日活京都で監督デビューして、早撮り監督として名をはせました。東宝に移籍して長谷川一夫と李香蘭の共演作などを撮り、戦後の東宝争議の際には反組合派のリーダーとなった後に新東宝に移ります。そして昭和32年の『明治天皇と日露大戦争』を大ヒットさせて倒産寸前の新東宝の建て直しに貢献すると、大映に招かれてこの『忠臣蔵』を監督することになったのでした。

脚本は渡辺邦男のほかに新興京都の時期から大映京都を支えていた脚本界の重鎮八尋不二、その八尋不二と長くコンビを組んでいた民門敏雄、大映京都で時代劇を専門にしていた松村正温が共同で書き上げています。撮影は日活、東宝、東映、新東宝、大映と渡り歩いた渡辺孝、音楽は成瀬巳喜男作品に多くの楽曲を提供していた斎藤一郎が担当しています。

昭和33年4月に一本立てで公開された本作は結果的に昭和33年度配給収入トップの大ヒットを記録することになったので永田雅一の読みは正しかったわけですが、残念ながら大映の健闘も単発で終わってしまい、この年以降、東映・日活・東宝を抜くことができずメジャー映画会社の中では万年四位の位置に甘んずることになります。

【ご覧になった後で】主要エピソードを効果的に詰め込んだ代表的忠臣蔵です

いかがでしたか?「赤穂へ」の字幕とともに早駆けの駕籠で始まるオープニングから時制が戻って内匠頭が上野介のいじめにあって刃傷沙汰に至る序盤が非常にテンポよく進み小気味よいですし、城明け渡しから山科の家をたたむあたりまではちょっと中だるみしますが、準備を重ねて討ち入りを迎える終盤はいろんなエピソードがてんこ盛りになって贅沢感を味わうことができます。忠臣蔵の主な登場人物がそれなりに描きこまれていることからしても、本作は忠臣蔵映画の代表作のひとつに数えられる出来栄えではないでしょうか。

序盤では市川雷蔵の内匠頭がキリリとして凛とした姿をカッコよく見せますし、香川良介の片岡源五が切腹の場に現れるところなども主従関係の密度で泣かせます。そして山本富士子は瑶泉院にぴったりで、イメージ的にはもうちょっと細面のキャラクターなのですが、気品がある山本富士子だからこその輝きが感じられました。後半以降は鶴田浩二の岡野金右衛門の出番が増えるものの、鶴田浩二はどうにもちょんまげが似合わないですし、ちょっと落ち着き過ぎていて若尾文子との色恋沙汰はやや盛り上がりを欠いていました。その分勝新太郎の赤垣源蔵が兄夫婦に会えないまま別れを告げるところや川崎敬三の勝田新左を巡って志村喬の義父が怒ったり悲しんだり喜んだりするのがなかなかの妙味でした。

そんな中で一番目立っていたのが京マチ子で、小沢栄太郎演じる千坂兵部の間者として一力茶屋に潜り込むも内蔵助の人柄に触れるうちに最後には逆スパイとして吉良邸の茶会の日にちを教えてしまう心の動きをきちんと表現していました。女間者がここまでクローズアップされた忠臣蔵映画は珍しいのではないでしょうか。また通常は脇坂淡路守が活躍するのに本作では多門伝八郎が幕府の権力に抗いつつ浪士たちに同情を寄せるように描かれていて、黒川弥太郎が情感厚い演技で盛り上げていました。黒川弥太郎は新国劇出身で日活から新東宝、大映と移籍した人。本作は大映在籍時の出演作ですが、翌年には東映に移って第二東映の作品にも出演することになります。

内蔵助の東下りでは中村鴈治郎が垣見五郎兵衛に扮し、内蔵助から内匠頭が切腹に使った短刀を見せられて「拙者が偽物でござる。お詫びに近衛家献上品の目録をお渡しする」という場面を演じます。この垣見五郎兵衛は浪曲から出たキャラクターらしく、戦前の忠臣蔵映画では立花左近と名前を変えて内蔵助が「勧進帳」のように白紙になった目録を見せ、それで赤穂の内蔵助だと悟るという流れが描かれます。垣見にしても立花にしても大物俳優が演じるのが通例になっていますが、本作の鴈治郎はその意味ではやや力不足かもしれませんね。かと言って大映にはそれほどの大物はいなかったでしょうから、オールスターキャストの配役もそれなりに難しいものがあります。

で、大物中の大物としての長谷川一夫ですが、貫禄たっぷりに内蔵助を演じているものの、長谷川一夫を目立たせようと挿入された田崎潤演じる清水一角など吉良方の助っ人たちとの立ち回りではもっさりした印象でした。数回繰り返されるのが無駄と思えるアクションシーンで、長谷川一夫くらい恰幅の良いおじさんが軽々と数人の侍を斬って捨てるというのがあまりに芝居っぽく見えてしまって、かえってシラケてしまい逆効果しかありませんでした。そもそもそんなに何回も助っ人たちに見つかっていたら、誰にも悟られずに討ち入りを計画しているという設定自体が成立しないじゃありませんか。スターをスター扱いし過ぎると忠臣蔵映画のバランスが崩れてしまうのです。

大映専属の俳優が端役に配されているので、ネットで配役表を確かめながら見るのも本作の愉しみ方のひとつでした。潮万太郎は銭湯で噂話に興じる町人役で出てきますし、強面の伊達三郎は四十七士のひとりで吉良邸でいじめられる場面がありました。吉良邸の図面を渡す大工は見明凡太郎ですし、堀部安兵衛は林成年、そして大石主税はまだうら若い頃の川口浩です。

そんなわけで俳優とキャラクターを強調した映画だけあって、ダイジェストっぽい脚本になるのは仕方ありませんし、演出も多少キャメラの横移動くらいは使いますが基本的にはやや引き気味の構図で登場全員を画面に収める時代劇風撮り方に終始していました。忠臣蔵はおなじみのストーリーをどんなプロットで描くかが勝負なので、監督としては映像や演出はこの程度の適当さでちょうど良いのかもしれません。早撮りで有名だった渡辺邦男としては、大映版忠臣蔵の決定版を作るのも肩に力を入れずにできてしまったんでしょうね。(V050624)

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