血槍富士(昭和30年)

内田吐夢監督の戦後復帰第一作で片岡千恵蔵主演の一風変わった時代劇です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、内田吐夢監督の『血槍富士』(ちやりふじ)です。内田吐夢は戦前に『限りなき前進』や『土』などの映画を監督していましたが、昭和16年に当時の満州に渡り満州映画協会に在籍していました。戦争が終わって他の仲間が帰国するのを尻目に中国に留まり、中華人民共和国が建国された以降も満映の設備を使って後進の育成にあたっていました。その内田吐夢がやっと日本に帰って来て、入社した東映で最初に撮ったのがこの『血槍富士』です。原作が井上金太郎となっている通り、井上が昭和2年に監督した『道中悲記』という映画がもとになっていて、主役の槍持ち権八を片岡千恵蔵が演じています。のんびりした旅道中から始まって、人情噺の趣となり、観客をちょっと泣かせておいて、さてさて実は、という時代劇ながらもその表情が変化していく一風変わった物語になっています。

【ご覧になる前に】内田吐夢の復帰を日本映画界の大御所たちが支えました

東海道を江戸に向って旅するのは槍持ち権八と挟箱持ち源太の二人を従えた酒匂小十郎なる若様侍。大井川の渡し船では、小十郎たちは旅芸人母娘や按摩、巡礼の男、身売りする娘を連れた老人などと一緒になります。船に乗るときに検分に来た勘定奉行の侍方から、界隈で泥棒を働く風の六衛門というお尋ね者について詮議されますが、小間物屋の伝次はさっきまで同じ道中にいた藤三郎という旅人がいなくなっていることに気づきます。一方で船に乗らず裸で川抜けしようとしているのは孤児の次郎。川を渡った次郎は、痛めた足に主人から与えられた薬を塗って休んでいる槍持ち権八と出会ったのですが…。

まず本作のクレジットを見て驚いてしまうのが、「企画協力」として伊藤大輔、小津安二郎、清水宏という日本映画界の大御所三人の名前が並んでいること。内田吐夢と同い年の伊藤大輔はともに日活を飛び出して新映画社を設立した同士ですし、五歳下の小津安二郎は内田吐夢が昭和12年に作った『限りなき前進』の原作を内田に提供しています。清水宏との関係はちょっとわかりませんが、満州に渡った内田吐夢の帰国を戦前から付き合いがあった三人が喜ばないはずがありません。たぶん復帰第一作は絶対に成功させてあげたいと考えたのでしょう、『道中悲記』のリメイクなら内田吐夢にぴったりじゃないかみたいなアイデイア出しに協力したのではないかと推測されるところです。

クレジットには原作・脚色・脚本といろいろ出てきて、一体誰がどこまでシナリオを書いたのかわかりませんが、とりあえず脚本には三村伸太郎という人の名前があがっています。三村伸太郎は山中貞雄の『河内山宗俊』と『人情紙風船』の脚本を書いた人で、京都に住んでいた若い脚本家たち八人によって昭和9年に結成された「鳴滝組」のひとり。彼らは「梶原金八」という架空の名前を使って共同で脚本を執筆するようになり、日活や松竹、新興キネマなど京都で撮影された映画にシナリオを提供することになったのです。ちなみにその八人は、三村のほかに八尋不二、藤井滋司、滝沢英輔、稲垣浩、山中貞雄、鈴木桃作、萩原遼の面々でした。

主演の片岡千恵蔵は、昭和26年に東横映画・太秦映画・東京映画配給が合体してできた東映株式会社に創設時から参画し、市川右太衛門とともに東映の重役に就任していました。GHQの占領政策によって時代劇を自由に作ることができなかった東映草創期には、大映時代からの続きものとして「多羅尾伴内」シリーズや横溝正史原作もので金田一耕助を演ずるなどしていましたが、昭和27年4月にGHQの占領が終結すると再開された時代劇に次々と出演。東映は「時代劇の東映」にシフトしていきます。ちなみに片岡千恵蔵の本名は植木正義で、この『血槍富士』には息子の植木基晴と娘の植木千恵が子役として出演しています。

片岡千恵蔵が演じるのは槍持ち権八という役で、当時の槍持ちはいわゆる奉公人の一種で、武家の私的な使用人の役割でした。元はもちろん武士ではなく長男以外の農家出身者が奉公に出ていて、奉公人の中には士分格の「若党」(わかとう)、士分と平民の間の「中間」(ちゅうげん)、平民の雑用係の「小物」(こもの)という三つの身分があったそうです。本作に出てくる槍持ちや挟箱持ちは主人の側について歩くのが仕事でしたので、槍持ち権八も中間の身分だったと考えてよいでしょう。槍持ち権八も挟箱持ちの源太も帯刀していないのはそのような「下郎」の身分であったからでした。

【ご覧になった後で】人情噺が一気に壮絶な仇討ちに急変するのに驚きました

いかがでしたか?いやいや、こんな時代劇の傑作があるとは驚きましたね。これは非常に斬新なコンストラクションの時代劇で、まず冒頭は旅の道中を見せるロードムービーから始まります。そこに様々な登場人物がからんでそれぞれのエピソードが語られていく「動くグランドホテル形式」とでもいうような群像劇が展開されます。ところがそのエピソードは三十両の金を作るために娘のおたねを身売りに出さなければならない老父の苦悩に収斂していくわけでして、侍一行も母娘芸人も人目を避ける藤三郎もその藤三郎を泥棒と疑う伝次もみんなが売られていく娘の方向ひとつに結ばれていきます。そしてそのドラマは藤三郎の人助けの清廉さと侍の世界の表面的な取り繕いの虚しさに昇華して、涙なくしては見られない人情噺に結実していき、観客は穏やかかつ温かな心持ちで映画を見終わろうとすることになります。

しかし本作の本当の姿はこの後に隠されていたのでした。町人たちのありのままの善意の暮らしぶりに感銘を受けた小十郎は以前と同じように下郎の源太と酒を酌み交わそうとするのですが、そこへ松平藩の家人たちがやって来て、たちまちのうちに小十郎と源太は斬り殺されてしまいます。この展開には心底驚いてしまったのですが、ここまで描いてきた人情噺がその幕を閉じようとしているときに、最も良心的だったお侍が呆気なく死ぬなんて映画、他にはなかなか見られません。そしてそこではじめてなぜ本作に東映重役の座にある片岡千恵蔵が主演しているかその理由がはっきりします。浮浪児と仲良くなる好人物の槍持ちが最後の最後に主人の仇討ちを成し遂げる武勇伝を成立させるには、やっぱり超絶的なヒーローである千恵蔵が必要だったのです。

千恵蔵演じる権八は正統派のヒーローではありません。腰が引けているのに槍を振り回し、木樽があふれてあたり一面水浸しになった庭で土と泥にまみれて権力を笠に着る横暴な侍どもをひとりずつ串刺しにしていくのです。この泥だらけになって息も絶え絶えに戦う千恵蔵の殺陣は、歌舞伎様式が当たり前だった当時としては非常に斬新なリアリズム描写だったのではないでしょうか。こんなリアルさがあるからこそ、一党を仕留めた後で真っ先に小十郎の身体にすがりつき「旦那様~!」と号泣する千恵蔵の忠義心が真心のものとして受け取れるのです。この展開は本当に意表を突きますし、人情噺でホロリとさせられた観客は権八と一心同体となって、良き旦那様の無念を晴らしたことでテンションがピークに達したような気分を味わえるわけですよね。続く短いエピローグによって権八が無罪放免となった後で、次郎による「おじちゃんのバカヤロー、おじちゃん行っちゃったよ」で幕となるエンディングのさばけた感じも粋ですよね。序破急でいえば「急」の展開こそが本作が秀逸な傑作時代劇となった最大のポイントですし、観客としては惜しみない拍手を送りたい気分になりますね。

次郎を演じた植木基晴は、撮影当時九歳。弟の義晴も子役になりましたが、基晴のほうが役者に合っていたらしく、義晴は千恵蔵に殴られたりして子役は辞めてしまったのでした。その植木義晴は航空大学校卒業後日本航空に操縦士として入社し日航機の機長を長く務めますが、経営破綻した日本航空を再建した稲盛和夫会長から指名されて日本航空株式会社の代表取締役社長に就任しました。片岡千恵蔵の息子だという親の七光りが通用しない世界でトップに立ったんですから、子役を辞めて正解でした。

そんなわけで本作においてはシナリオがすべての勝因なのですが、それを映像として表現する内田吐夢の語り口は実に見事でしたね。何が見事かといえば動と静というか明と暗というか、メリハリのつけ方がものすごく巧いのです。セリフ劇で一気に見せながら、次の場面ではサイレント映画さながらに映像だけで引き付ける。そんな出し入れがすばらしい職人技になっていました。例えばおたねの身売りの場面。早朝宿を出ようとする老父とおたねの会話があって、芸人女がおたねの髪を梳く場面となります。その次は雨が降る街道。女衒の久兵衛(「男はつらいよ」シリーズで冒頭の夢の場面にいつも出てくる吉田義夫!)の屋敷から出てくる老父、そして入れ違いに入っていく藤三郎。そして藤三郎は娘が死んだことを知るという流れになります。この土砂降りの街道のワンショットがすごく冴えていて、登場人物の因果と時間の経過をサイレント的な映像で語りつくしてしまうんですよね。まさにマエストロの語り口でした。

そして長槍を振り回す片岡千恵蔵の無様な殺陣の場面の、敵陣に乗り込んだところを一気に俯瞰でとらえたロングショット。ヒッチコックが『鳥』で視点を一気に空を飛ぶ鳥から見た俯瞰に変えてしまったのを思い出させるほどの大胆な転換手法でした(もちろん本作のほうが先ですが)。急転する物語をドラマチックに盛り上げるとともに、映画のテーマでもある武士の世界の虚無というか無意味さみたいなものをセリフひとつ使わず鮮明に映像化したショットだったと思います。

原作があるとはいっても、この題材を戦後10年経過して自由に時代劇を作れるようになった時期に、帰国したばかりの内田吐夢に撮らせようとした企画自体が成功につながったのは間違いありません。やっぱり伊藤大輔、小津安二郎、清水宏の三人が協力しただけあって、内田吐夢にとって最適な素材となったのではないでしょうか。本作は昭和30年度のキネマ旬報ベストテンで第八位にランクインしていますし、映画評論家の小林信彦氏は本作を日本映画オールタイムベストで51位にあげていて、本当にベスト100には絶対入れくなるような逸品なのでした。(Y061822)

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