田中絹代の監督第三作は歌人中城ふみ子をモデルとした女性が主人公です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田中絹代監督の『乳房よ永遠なれ』(ちぶさよえいえんなれ)です。原作にクレジットされているのは若月彰と中城ふみ子の連名になっていますが、中城ふみ子が本作の主人公のモデルとなった歌人で、若月彰がその中城ふみ子を取材して「乳房よ永遠なれ」というタイトルで発表した本が元になっています。田中絹代の監督作品としては、『恋文』『月は上りぬ』に次ぐ三作目。監督業も板についてきた田中絹代が自分らしさを前面に出して作った意欲作といえるでしょう。
【ご覧になる前に】まだ生存率の低かった時期の乳がんを真正面から描きます
札幌郊外で夫と幼い二人の子どもと暮らすふみ子は、事業に失敗して働かない夫が薬に溺れ愛人をもったことをきっかけに、離婚して実家に戻ってきます。ふみ子は同年代の男女が集まる短歌の会に参加して歌をつくるようになりますが、それはその会に学生時代に恋していた森卓が出ていたからでした。ふみ子の親友きぬ子と結婚した卓は、ふみ子の歌を褒め励ましてくれるのですが、持病が悪化して亡くなってしまいます…。
田中絹代は監督業に進出する際に、自身が主演女優として仕えた監督たちに様々な面でサポートを受けて、名監督の庇護のもとで監督デビューを果たしました。『恋文』は木下恵介の脚本、『月は上りぬ』は小津安二郎と斎藤良輔の共同脚本で、特に『月は上りぬ』は田中絹代の演出もまさに小津調をなぞった感じで、女性監督への道をならしてくれた名監督に見習う姿勢が目立っていました。本作はそうした名監督たちの支援からやっと独り立ちをして、自らの力で映画化にこぎつけた野心作です。
女性による女性の映画を作ろうという意図のもと、歌人中城ふみ子を主人公のモデルに選びます。中城ふみ子は北海道帯広出身の女性歌人で、実際に乳がんにかかり左の乳房を削除する手術を受けました。ふみ子の歌集は「冬の花火」の題名で出版が予定されていましたが、短歌コンクールで1等を獲得したふみ子はにわかに注目の的となり、歌集はセンセーショナルな「乳房喪失」にそのタイトルを変更されて出版されました。あからさまに自身の生と性を歌った内容が歌壇に大きな反響を巻き起こす中、ふみ子は川端康成ら文壇を代表する作家たちからの後押しを得ますが、残念ながらがんの転移によって三十一歳の若さで亡くなりました。
中城ふみ子の短い生涯を本にした「乳房よ永遠なれ」が出版されると、当時はまだ脚本家の中でも女性は少数派だったにも関わらず、田中絹代は脚本に田中澄江を指名します。木下恵介や小津安二郎からシナリオの提供を受けてきた田中絹代監督にとっては、乳がんを患った女性を映画にするためには女性に脚本を書かせるべきだと自ら決断したのです。当時は乳がんの温存手術はまだ確立されておらず、全摘手術のみ。さらには女性にとって乳がんにかかることは死を意味するほど生存率が低かったのでした。田中澄江は『稲妻』『晩菊』で成瀬巳喜男監督作品のシナリオを書いていますので、ひょっとしたら成瀬巳喜男からの推薦を得たのかもしれませんけど。
主演の月丘夢路は松竹から日活に移籍したばかりの頃。超絶レベルの美貌の絶頂期でしたが、がんで死を自覚する難しい役に挑んでいます。親友夫婦は杉葉子と森雅之、弟は大坂志郎とうまい俳優たちが脇を固めていますが、後半に登場する新聞記者の青年大月には当時新人の葉山良二が起用されました。田中絹代は男性に関しては非常に面食いだったそうで、とにかく若くてきれいな青年が好みだったとか。『月は上りぬ』でも新人の安井昌二を重要な役に選んでいますし、オーディションでも演技では素人でも美青年であればすぐに採用してしまうクセがあったそうで、翻意させるのに周囲は苦労したそうです。たぶん葉山良二もその線で本作に起用されたのでしょう。端正なルックスで月丘夢路の相手役をつとめています。
【ご覧になった後で】洗練された映像が見事なのですが後半がちょっと…
いかがでしたか?田中絹代監督の映像演出は本当に一流監督の域に達してきましたね。細かく割らずに、映像の構図と照明、そしてキャメラの流れで長めのショットを見せていくところは、三作目とは思えないほどに洗練されています。森卓が亡くなったという知らせを受けるふみ子が暗い階段の途中で固まってしまうところは陰影の使い方が効果的でしたし、乳がんが発覚したあとの病室ではふみ子を鉄柵ごしにとらえる場面が二か所(病室と霊安室)あって、どちらもふみ子を待ち受ける不幸を端的に表現していました。その霊安室の場面ではふみ子を正面からトラックバックで追ったり、病室でふみ子と大月が一夜を過ごす場面では抱き合う二人をガラスの上にのせてキャメラをガラス下から真上に向けさせて撮影したりと、意欲的な撮り方に挑戦しています。終盤では病院全体を靄が包むようなスモークをうまく使って、不安感と悲壮感を醸し出していました。田中絹代監督は第三作にして自分らしい映像演出をつかんだように思えますね。
しかし本作の弱点は映画の後半にありまして、大月が出てきた後の脚本がかなりぐじゃぐじゃになってしまっていました。大月はふみ子自身にさえ伝えられていない病状(肺転移して死を免れない)を新聞に書いてしまい、それを読んだふみ子は自分の死を覚悟するのです。そんな究極の個人情報を赤の他人の新聞記者がどうして記事にできるんでしょうか。しかものうのうと本人に会いに札幌にやってきて、「あなたは愚かだ」とか進言したりするに及んでは、もうアホとしか思えません。そんな大月にふみ子が恋情を抱く展開となるのですが、どこにもそのきっかけとなるようなエピソードはありませんし、映像的に二人の感情の交流が表現されるわけでもありません。通常ならふみ子は二度と会いたくないはずなのに、ついには大月の身体を自分から引き寄せて交情をもつに至ります。そんなことあり得ないでしょう。この展開は観客からは全拒否じゃないスかね。大坂志郎の抑制した演技と子役の無垢さで、ふみ子の最期は非常に感動的で盛り上がりますが、あくまで母子の別れが涙を誘う仕掛けになっているだけで、大月との恋は何ひとつ寄与していません。加えて葉山良二が下手過ぎますよ、あれじゃあ。大月が眠っているところに後ろからふみ子の手がまさぐるところ。目を開く演技で大月とふみ子が結ばれることを表現すべき場面ですが、葉山良二の表情は寝てるのに気持ち悪いなーてな感じにしか見えないです。こういうところで田中絹代監督の面食い癖が影響しちゃってるんですね。
中城ふみ子が亡くなったのは昭和29年8月。本作の公開は昭和30年11月。内容的には女性歌人の不幸な生涯を描いた意欲作ではありますが、興行的には亡くなったばかりの新進女流歌人を扱ったところに女性客の動員を見込めるというおいしさ狙いもあったのでしょう。準備から製作、公開までをもう少し丁寧に進めれば、後半の失敗は避けられたかもしれません。ちなみにラストに出てくる中城ふみ子の歌「遺産なき母が唯一のものとして残しゆく死を子らは受取れ」の「死」は、ふみ子が残した「詩」に引っかけてあると何かに書かれていました。田中絹代監督作品だったからこそ、今でも本作は日本映画史に名を残していますし、映画の影響で中城ふみ子の短歌も再認識されることがたびたびあったのではないでしょうか。田中絹代監督が女性による女性の映画を作ろうという意図は、現在においてより価値を発揮しているのかもしれないですね。(A011022)
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