昭和三十年代

日本映画

波の塔(昭和35年)

政治家への贈賄事件が絡むものの基本的には青年が人妻の女性と不倫におちる松本清張の恋愛小説が原作です。清張の小説を映画化するのは一種のブームのようになっていて、昭和32年の『顔』を筆頭に昭和40年までになんと二十作が映画化されています。
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大菩薩峠(昭和35年)

主人公机竜之介の酷薄で虚無的なキャラクターにぴったりとマッチした雷蔵の代表作のひとつです。また大映京都撮影所のスタッフによる時代劇映画づくりの洗練されたテクニックも見どころになっています。
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暗夜行路(昭和34年)

豊田四郎監督の文芸路線の頂点ともいえるのがこの『暗夜行路』。志賀直哉は映画化を渋ったそうですが、池部良が主演するならと許可したのだとか。東宝の子会社である東京映画の製作作品です。
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お転婆三人姉妹 踊る太陽(昭和32年)

昭和30年代前半にこんな和製ミュージカル映画があったのは驚きで、しかもいい加減な作り方ではなく、しっかりとハリウッドミュージカルの基本パターンを踏襲しているのです。
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月は上りぬ(昭和30年)

日本映画における初の女性監督は戦前の坂根田鶴子という人だそうで、田中絹代はその坂根田鶴子に次いで、日本映画では二番目の女性監督となりました。本作は、監督デビュー二年後の昭和30年に製作された田中絹代の監督第二作となります。
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黒の試走車(昭和37年)

「試走車」と書いて「テストカー」と読ませるこの映画がヒットしたおかげで、「黒の~」というタイトルの大映映画「黒シリーズ」は昭和39年までの三年間で11作目まで作られることになりました。
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流れる(昭和31年)

この『流れる』は、もとは幸田文(幸田露伴の娘)の小説が原作で、幸田文が生計を立てるために芸者置屋の女中として住み込みで働いた自らの経験を書いたもの。映画でも芸者のリアルな生活が描かれていますが、なにしろ出てくる女優陣がものすごい顔ぶれで、こんなビッグネームを軽くさばくような演出ができてしまうのが成瀬巳喜男が尊敬されるゆえんかもしれません。
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紅の翼(昭和33年)

石原慎太郎の小説を映画化した『太陽の季節』でデビューすると、すぐに『狂った果実』で主役を演じた石原裕次郎。それから二年少ししか経っていないときの主演作が『紅の翼』ですが、その間に二十本以上の作品に出演する売れっ子ぶりでした。裕次郎を発掘したのが水の江瀧子。戦前、松竹歌劇団で「男装の麗人」と謳われたターキーは、戦後日活で映画のプロデューサーとして大いに活躍した、先駆的なキャリアウーマンです。監督の中平康もまだ早いと言われたのをターキーが監督に昇格させたらしいです。
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彼岸花(昭和33年)

前年の『東京暮色』までずっとモノクロしか撮っていなかった小津監督による初めてのカラー作品。小津安二郎はトーキーが出てきたときも、サイレントにこだわってなかなか音に手を出しませんでしたが、『彼岸花』は「色」に手を出したことで、小津ワールドがより一層完璧なレベルで表現されています。基本的には、いつもの通り、嫁に行く行かないといった父と娘の物語なのですが、『彼岸花』では母親役の田中絹代がとってもよいアクセントになっています。
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裸の島(昭和35年)

大手映画会社のしがらみから抜け出して、自由に映画を作りたい。そんな大志を抱いて、松竹を退社した新藤兼人が中心になって設立した近代映画協会ですが、設立十年で製作資金が底を尽きてしまいます。解散することになり、最後の作品としてこの『裸の島』が作られることになりました。ところが、翌年のモスクワ国際映画祭で上映されると、世界各国から注目を浴びることになり、協会の累積赤字を解消してしまったそうです。よかったですね、ほんとに。
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