白蘭の歌(昭和14年)

東宝と満映が合作した国策映画で長谷川一夫と李香蘭の二人が主演しています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、渡辺邦男監督の『白蘭の歌』です。久米正雄が東京日日新聞と大阪毎日新聞に連載していた小説が原作となっていて、日本人の鉄道技師と満州の富豪令嬢との恋愛を描いています。映画化は創設されたばかりの東宝と満州に設立された満州映画協会の合作で進められ、日本と満州が協力して中国国民革命軍と闘うべしというプロパガンダ映画の側面をあわせもつことになりました。

【ご覧になる前に】前・後篇2時間20分を104分にまとめた総集編バージョン

満州の奉天で満鉄建設技師の松村と地元の富豪の娘李雪香が逢引きを愉しんでいます。二人は松村が自動車事故でケガをした中国人車夫を救おうとしたときに出会った昔を思い出し、鉄道建設に目途がついたら結婚する約束を交わします。満州鉄道の鉄道総局では、新線建設の優先順位について建設局長と満鉄理事の意見が食い違っていました。建設局長の自宅で自論を述べる松村に対して局長の娘が気を惹こうと部屋に出入りします。そんな松村のもとに父危篤の知らせが入り、松村は急遽日本に戻って故郷に帰るのでしたが…。

久米正雄は俳句の才能が認められ、夏目漱石の門人となり、漱石の死後には長女筆子の結婚相手になるほど夏目家に馴染みがあった作家でした。この婚約が破断になったことで小説を書き始めた久米正雄は失恋を題材にした「破船」で通俗小説の大家となっていきます。昭和13年には東京日日新聞の学芸部長に就任し、本作はそのときに連載小説として執筆されたもののようで、昭和15年に新潮社から単行本が出版されています。親友の芥川龍之介の自死後は執筆量が落ち、居住していた鎌倉で町議をつとめ、鎌倉文士らと「鎌倉カーニバル」を開催したり、貸本屋の「鎌倉文庫」を経営したり、小説以外の場で活躍を続けることになりました。

満鉄とは日露戦争後にロシアから日本に譲渡されて設立された南満州鉄道株式会社のことで、昭和7年に関東軍によって満州国が成立されると、満州国国有鉄道に接収されますが、同時に運営を委託されることになったので、満鉄のままで事業運営が継続されました。しかし新線建設にあたっては、満鉄理事を兼務している関東軍幹部が決定権を持っていたようで、本作の中でも満鉄の現場を代表する建設局長と関東軍の戦略を優先する理事の意見が対立する姿が描かれています。

その満州で満州映画協会が設立されたのは昭和12年で、初代理事長に金壁東が就任しますが国策映画の成果が出ず、昭和14年に甘粕正彦が二代目理事長になりました。日活多摩川撮影所所長から満映に移った根岸寛一が甘粕体制下で現場の総指揮をとり、マキノ光雄(映画監督マキノ雅弘の実弟)がプロデューサーとなって満映の指導体制が確立されました。

一方で東宝映画は、写真科学研究所(PCL)とJOスタジオが合併して昭和12年に設立された映画製作会社で、昭和18年に東宝宝塚劇場と統合して、製作・配給・興行を一貫経営する東宝株式会社となっていきます。なので本作製作にあたっては、東宝映画と満映が合作したという形になっていて、製作としてクレジットされている森田信義は東宝映画のプロデューサーでしたから、実際の主導権はスタッフも揃っていた東宝が握っていたのかもしれません。

昭和14年11月に公開されたときは76分の前篇と66分の後篇が同時上映されたという記録が残っていて、合計すると2時間20分を超えるそこそこの長編映画でした。本作はそれを104分に編集・圧縮した総集篇になっていますが、昭和16年に太平洋戦争が始まってフィルムをはじめとして映画製作が統制下に置かれてからは新作を作るのが難しくなり、過去に公開した前後篇ものをくっつけて一本の作品にして配給ルートにのせるということが盛んに行われるようになったからでした。しかも戦後日本を占領したGHQの民間情報教育局(CIE)は「非民主的映画の排除」を目的に戦前・戦中の日本映画1400本を接収してしまい、本作は昭和42年以降にそれらのフィルムが返還されるまで鑑賞することができなかったのでした。

【ご覧になった後で】ブツ切りで李香蘭の登場場面がカットされたようでした

いかがでしたか?総集篇といってもたぶんどこかに残っていた上映用フィルムだったんでしょうけど、あまりにフィルムがブツ切り状態で、シーンのつながりも悪くラストシーンも途中で途切れてしまいエンドマークが出ませんでした。推測ですけど総集篇にまとめた段階で長谷川一夫の登場シーンを優先してまとめたのではないかと思われ、李香蘭のエピソードはつながりが悪く、長谷川一夫が奉天を離れてから病気になったという展開が描かれていなかったり、山根寿子のことを妻だと思い込んで軍師になってしまう経緯がよくわからなかったりと、ストーリーがかいつまんだように改変されていたのは残念なことでした。

話が飛ぶのでキャラクターの描かれ方も浅くなりがちで、特に李香蘭が演じる奉天の富豪一家の叔父や従兄などの関係や革命軍との関わり方は見ていてもよくわかりませんでした。一方で長谷川一夫はどこまでも強く逞しく清廉潔白なので、齋藤英雄演じる弟が出奔したあとは山根寿子と二人暮らしになるのに男女関係に発展しないのが逆に不自然に感じられてしまいます。山根寿子は戦後新東宝版の『細雪』で三女雪子を演じる女優さんですが、嵐の夜に李香蘭が開拓村を訪ねてきたときの嫉妬に燃えた眼光の鋭さにはハッとさせられましたね。

長谷川一夫は松竹から東宝への移籍騒動で暴漢に顔を切られ、本作はその事件の二年後の出演作になります。切られたのは左頬で、メイクアップでその傷を見えないようしたとのことですが、本作はプリント状態が悪いせいか露出アンダー気味のショットではくっきりと顔の左に切り傷の跡が映し出されていて、かなりの重傷だったんだなと生々しい感じがしました。もちろん監督の渡辺邦男も考えていて、なるべく右側の顔を中心に撮るようにしていたんですが、すべて右側だけというわけにもいきませんもんね。

渡辺邦男は日活時代から監督をしている大ベテランで、戦後は新東宝に入って『明治天皇と日露大戦争』を監督して新東宝を立て直すくらいの大ヒットを放ちます。新東宝退社後も東映、大映、松竹のメジャー各社に呼ばれて『忠臣蔵』などの時代劇大作を任され、早撮りの巨匠として永く日本映画界の重鎮の座を守りました。キャメラマンの友成達雄も独立プロからPCL経由で東宝映画に入った人で、戦後は同じく新東宝で大量にキャメラを回すことになります。

李香蘭は歌手として活躍していたところを満映設立に伴い専属の中国人女優として映画に出ていましたが、日本の大スター長谷川一夫との初共演作となった本作で人気が爆発し、以後日本でも満州でも中国人スターとして人気を博していきます。しかし本作のようないわゆる国策映画が満州で本当にヒットしたんでしょうか。日本では長谷川一夫人気にあやかって女性たちが映画館に殺到したというのは想像できますが、満州では長谷川一夫といっても観客を呼べるような存在ではなかったはすです。

実際にハルビンでは映画館はかつてはロシア人によって経営されてい、日本映画は満州入りした日本人向けのものでしかなかったようです。本作公開の昭和14年のハルビンの映画上映はアメリカ映画が大半を占めていて、次に中国映画、日本映画、ヨーロッパ映画という順だったというデータが残っています。東宝と満映の合作による日本人と満州人の悲恋物語は、日本と満州の融和を目指す国策映画でしたが、結局は日本人の観客にしか受け入れられなかったのかもしれません。(T080124)

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