80日間世界一周(1956年)

飛行機がなかった19世紀後半、80日間で世界一周できるかの賭けをするお話

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マイケル・アンダーソン監督の『80日間世界一周』です。原作はフランスの作家ジュール・ヴェルヌが1873年に発表した冒険小説。ジュール・ヴェルヌは「海底二万哩」や「月世界旅行」を19世紀に発表したSFの元祖ともいえる作家。当時の旅行社が世界一周ツアー企画を売り出していたことにヒントを得て、そこに80日という期限を加えて小説にしたのだそうです。世界各国を巡る映像が楽しめる本作は、1956年度のアカデミー賞で見事作品賞など5つのオスカーを獲得しました。

【ご覧になる前に】たった2時間50分で世界一周が楽しめるお得な映画です

ロンドンのリフォームクラブの会員フィリアス・フォッグは、仲間とカードゲームをしている最中に世界一周するのに何日かかるかを議論しているうちに、80日間で世界一周できるかどうか賭けをすることになります。フォッグは使用人パスパルトゥーを従えて、早速パリに行き、マルセイユへの切符を買おうとしますが、鉄道は雪崩が起きて不通になっていました…。

80日間をかけて世界一周するのですが、映画はたったの2時間50分。普通なら大長編といえるほどの長尺ではあるものの、世界を一周することを思えばあっという間の2時間50分です。アメリカでは1949年に家庭における白黒TV受信台数が一千万台を突破し、映画界はTVに対抗して画面サイズを拡大し始めます。1953年に『聖衣』でシネマスコープが登場すると、マイク・トッドが「トッドAO方式」による70mmフィルムを使ったワイドスクリーンを開発しました。開発者トッドが自らプロデューサーとなって製作したのが本作で、世界各国でロケーションした現地映像も含めて、世界のあちらこちらの観光が楽しめる作品になっています。また、今になってみると、1956年当時に撮影した風景が映画として遺されたことになりますので、ある意味で映像遺産としての価値もあるように思います。

監督のマイケル・アンダーソンはイギリスの映画監督で、本作の製作時はまだ三十代半ば。ハリウッドの大作を監督するのはもちろん初めてでした。というのも最初は戦前からのキャリアをもつジョン・ファローが監督に指名され実際に撮影も始まっていたのですが、プロデューサーのトッドに解雇されてしまったのだとか。しかしジョン・ファローはシナリオづくりには参加していたので、本作で見事にアカデミー脚本賞を共同で獲得しています。

主役のデヴィッド・ニーヴンも当時はまだ大きな役についたことはありませんでしたが、本作以降、英国紳士役といえばニーヴンというくらいフォッグ役が板についています。またパスパルトゥー役のカンティンフラスはメキシコ出身。様々な職業を経験して俳優になったそうで、闘牛士をやったこともあるそうです。本作ではその経験が見事に生かされています。そしていろいろな有名俳優たちがどこにカメオ出演しているかにご注目。フランク・シナトラ、マレーネ・ディートリヒ、バスター・キートンなどがほんの少しずつチョイ役で出てきますが、こうしたカメオ出演形式はハリウッドで本作が始めた手法なんだそうですよ。ちなみにカメオ出演を断られたのが、ジョン・ウェイン、モーリス・シュバリエ、グレゴリー・ペック、オーソン・ウェルズなどということですから、当時の大物俳優に片っ端から声掛けしたのかもしれません。

【ご覧になった後で】日本の場面は鎌倉の大仏と平安神宮とサーカス?でした

いかがでしたか?退屈しない2時間50分でしたよね。その最大の要因はパスパルトゥーのキャラクター。明るくて人懐こくて従順で気まま。本作の実質的な主人公はパスパルトゥーなのでした。曲芸的な演技を披露するカンティンフラスは慈善家だったそうで、俳優稼業で稼いだギャラを惜しみなく恵まれない人々に寄付し続けたそうです。亡くなったときは母国メキシコで国葬でおくられたとか。なんだかそんな篤志家の感じが画面からも溢れていましたよね。そして、もうひとつ成功しているのは、フォッグたちが世界のどこにいるのかが常に明快に描かれていること。安手の映画だと地図と列車をオーバーラップさせながら旅する光景をイメージさせるのですが、本作ではそんな安易な表現は一切ありません。その代わりきちんと守っているのが左から右に進むという原則。すなわちフォッグ一行が西から東へと移動していることを示すために、気球も汽車も帆船もゾウも必ず画面左から右に向って進むように撮られているのです。このルールがあるから観客は頭の中の世界地図で今どの国にいるのかを再現できるんですよね。単純だけどすごく大切な映像ルールなのです。

フォッグたちが通り過ぎる世界各国の風俗や文化がじっくり映像で見られるのも本作が時間を忘れて楽しめる要素です。スペインの闘牛場は、スタジアムというよりは貧民窟に接した板塀囲いの広場のようなところで行われていて、板塀の下からも観客が覗いているあたりにリアリティがありました。インドの場面では鉄道の線路すれすれにゾウたちが歩いていて、ゾウが移動手段として生活に密着していたのがよくわかります。そして日本。横浜の港はセットだとしても、鎌倉の大仏がある高徳院は絶対に現地ロケしていますよね。そのすぐあとには京都の平安神宮にワープして、ここもロケ。平安神宮の再建は1895年のことですから、厳密にいえばフォッグが世界一周した時代にはまだこの建物は存在しなかったのですが、そこらへんは良しとしましょう。それに比べると境内で鶏肉や寿司が売られているのはかなり誇張が入っていますし、なにより「東西合同大歌舞伎」の看板がある芝居小屋に「CIRCUS」と表示されていて、花道のようなものが突き出た舞台とそのはるか下にある平土間、そして演目が曲芸というのは、あまりにも時代考証がなっていなくて、もう笑ってしまうしかないです。けれどもその前にカルカッタ(今のコルタカ)に立ち寄ったりするのは、当時映画館数が多かったインドと日本を興行的なターゲットにしていたからでしょうか。

カメオ出演以外にも本作初というのはまだありまして、6分半に及ぶエンドクレジットも当時としては最長だったそうです。なにしろ「Around the World in 80 Days」のメインタイトルがいちばん最後に出るなんて映画は、本作がはじめてですもんね。ただ、カメオ出演した数多くの有名俳優をどういう順番でクレジットに並べたらよいかが結構大きな問題だったようで、その解決法として映画で巡った国の登場場面順に俳優名を出すことにしたのでした。その出し方は映画が終わった後でないと成立しないですもんね。このエンドクレジットのデザインを担当したのはソール・バス。『黄金の腕』や『悲しみよこんにちは』、ヒッチコックの『めまい』や『北北西に進路を取れ』など有名なタイトルデザインをたくさん手がけた人です。日本では京王百貨店のショッピングバッグ(鳥が飛んでいるアレ)でおなじみですよね。

エンドクレジット同様に冒頭の始まり方も異色でした。ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』から始めたのは、あえてサイレント時代の小さな画面を真ん中に出しておいて、ロケット発射のところで一気に本作の70mm画面にググーンと拡大する効果を狙ったためだそうです。ここでナレーションをつとめたのがエドワード・R・マロー。CBSテレビのアンカーマンで、マッカーシー上院議員による「赤狩り」が吹き荒れていたときにニュース番組で堂々とマッカーシー批判を行った人物。なので本作公開時にはアメリカ本国で最も著名なジャーナリストだったのでしょう。

本作は昭和47年にNET系「土曜映画劇場」で2週に分けてTV放映されました。「土曜映画劇場」は84分枠しかありませんでしたので、実質放映時間は70分程度。2週で140分ですから、2時間50分はとても収まり切れません。だから冒頭のプロローグとエンドクレジットのアニメーションはたぶんすべてカットされていたはずです。そして本編最後のショットで、リフォームクラブの仲間が「This is the End」とつぶやくところ。当時の日本語吹き替えでは「一同丸つぶれ」というセリフに置き換わっていたと記憶しています。もしかしたら全然違っているかもしれませんが、これ、なぜかすごく短いショットで、こんなに大長編なのに全く後味を残さずエンドクレジットに移ってしまうところが妙にあっさりし過ぎているように思えて、なんだか寂しい気持ちにさせられませんでしょうか。

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