そして誰もいなくなった(1945年)

アガサ・クリスティのミステリー小説を最初に映画化した作品です。

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ルネ・クレール監督の『そして誰もいなくなった』です。イギリスが生んだミステリーの女王、アガサ・クリスティは多くのミステリー小説を残していますが、クリスティ作品の人気投票をやると常に上位にランキングされるのが「And Then There Were None」です。1939年に発表された小説は、その後1943年にクリスティ自身の手によって舞台劇に脚色され、1945年その戯曲をもとに初めて映画化されたのが本作でした。本作公開後、幾度も映画化やTVドラマ化が繰り返されることになります。

【ご覧になる前に】離れ小島で殺人が起きるクローズド・サークルの代表作

ボートに乗って離れ小島の屋敷に向っているのは、オーエン夫妻から招待状を受け取った八人の男女。屋敷に到着した彼らを待っていたのは屋敷の執事夫妻だけで、夕食会のホストになるはずのオーエン夫妻は姿を現しません。執事がオーエン氏から指定された時間に指定されたレコードをかけると、そこから流れ出たのは音楽ではなく、屋敷にいる十人がそれぞれ過去に犯した犯罪を糾弾するオーエン氏の声でした。タチの悪い悪戯だと不審がる招待客の中で、「十人のインディアン」の童謡を歌っていたロシア人が飲み物を口にした途端に倒れ伏してしまうのですが…。

アガサ・クリスティはイギリスだけでなく全世界のミステリー小説家の中で最も有名な作家で、『アクロイド殺し』や『ABC殺人事件』『オリエント急行殺人事件』などはトリックの原点ともいわれ、多くの推理小説に影響を与えてきました。『そして誰もいなくなった』もそのひとつで、登場人物たちが逃げも隠れもできないひとつの環境下に閉じ込められて事件が進行する「クローズド・サークル」と呼ばれる状況設定手法の原点となっています。また「十人のインディアン」の童謡の歌詞に沿って連続殺人が行われるというのもトリックの代表的な類型のひとつになるなど、クリスティの原作はミステリー小説のエポックメイキング的な傑作として特に有名な作品と評価されています。

その原作を舞台劇にするにあたって、アガサ・クリスティは第二次大戦下の暗い世相を考慮して、原作とは違って将来に希望を託せるような結末に変更して戯曲を完成させました。本作はその戯曲の映画化で、映画用に脚色したのはダドリー・ニコルズ。この人がシナリオを書いた作品には『駅馬車』や『誰が為に鐘は鳴る』などの有名作がありますし、ジョン・フォード監督の『男の敵』ではアカデミー賞脚色賞を受賞していますので、まあ手練れの脚本家といえるでしょう。そして監督はフランス人のルネ・クレール。チャップリンが『モダン・タイムス』を作る前にオートマチック化された工業化社会を批判した『自由を我等に』を監督したことで有名ですが、たまたま第二次大戦が始まる前にプロデューサーのアレクサンダー・コルダから誘われてイギリスに渡り、大戦中にはハリウッドへ移ることになって、本作を製作・監督することになりました。戦後はフランスに戻り『悪魔の美しさ』や『リラの門』などで1950年代のフランス映画界を代表する活躍を見せることになります。

出演者は当時の有名俳優たちらしいのですが、現在の視点から振り返って注目なのはウォルター・ヒューストンでしょうか。あのジョン・ヒューストン監督のお父さんで、本作の四年後に出演した『黄金』での見事な演技でアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。また女優さんの中でひと際人相の悪いというと失礼ですが顔貌に不吉さが滲み出ている人が出てきます。この人、ジュディス・アンダーソンはアルフレッド・ヒッチコックがアメリカに招かれて最初に作った『レベッカ』で、屋敷のコワイコワイ家政婦長ダンヴァース夫人を演じたことで有名です。ひと目見ただけでダンヴァース夫人が出てきたとわかりますので、すごい存在感だと思います。

【ご覧になった後で】原作の良さそのままの脚本と個性的な俳優陣で見せます

いかがでしたか?本作はパブリックドメインとなっていて、著作権が消滅している関係でレストアされずに昔のフィルムをもとにデジタル化したバージョンが流通しているらしく、画質も音も悪い中での鑑賞でしたが、よくまとまった脚本と個性的な俳優の演技はフィルムのようには劣化しないので大変面白く見られました。冒頭の海の場面以外はほぼ離れ小島の屋敷の中で物語が進みますが、次々に殺人が起きる展開のスピーディさが舞台設定の単調さを忘れさせてくれますし、十人の男女がひとりずつ減っていく中で誰が犯人なのかが絞り込まれるとどんどんと互いの腹を探り合う心理戦になっていくプロセスを俳優たちが演技で表現するのが見どころでもありました。

アガサ・クリスティの原作はそのタイトルの通りに全員がいなくなる結末だそうですが、映画は戯曲版を採用しているために若い男女が逆に犯人にトリックを仕掛けて生き残る展開になっています。原作は犯人が残したメモによってすべての殺人が明らかになるのに対して、映画では殺人の種明かしは終盤に生き残った五人のことだけに限定されて、例えば童謡をピアノの弾き語りで披露するロシア人が一番最初にどのように殺されたのかは明らかにされないまま放置されます。そこが本作の弱いところで、アルキュール・ポワロがすべての殺人の動機と手口を説明してそのナレーションに合わせて殺人シーンが映像として再現される、というようなカタストロフがないままに終わってしまうんですよね。戯曲がそうなのかは知りませんが、本来その殺人現場の再現が推理ものの醍醐味でもあるので、やや不完全燃焼で見終わることになってしまいました。

しかしながらルネ・クレールの演出はきわめて軽妙で、鍵穴から覗く人を後ろから伺い、それをまた後ろからついていくと覗きの輪になってしまう場面などユーモアタッチをベースにして、この全員が殺される特異なシチュエーションをさばいていきます。ここらへんがフランス風のエスプリとでもいうんでしょうか、妙にモタれることのないテンポと見苦しいものは画面に映さない潔癖さにおかげで、タイトルバックではおどろおどろしい幽霊屋敷のように見える本作の舞台が軽演劇風に変換されていたのでした。

ちなみにこれは原作のお話ですが、イギリスでの初出時の題名は「Ten Little Niggers」だったそうで、その翌年アメリカで出版される際に差別用語が入った題名では本屋に並べられないということで「And Then There Were None」に変更されたのだそうです。また劇中に出てくる童謡の歌詞も最初は「Niggers」だったのが本作では「Indians」になり、最終的には「Ten Little Soldier Boys」に変わっていったのだとか。出版物は常に時代の変化に合わせて言葉や用語の変更を迫られますが、殺人事件のキモになる歌詞だけに、その変遷も本作をクリスティの中の人気作品に押し上げるひとつのファクターなのかもしれません。(A050922)

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