石原裕次郎が歌った「赤いハンカチ」を映画化したムードアクション作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』です。昭和37年にテイチクレコード創業30周年を記念してリリースされた「赤いハンカチ」は石原裕次郎が歌って大ヒットしました。このムード歌謡を挿入曲として裕次郎主演で作られたのが本作で、日活ムードアクション映画の代表作とも呼ばれています。昭和39年の日活の正月映画として公開されると大ヒットを記録して、日本映画配給収入ベストテンで第3位にランクインしました。
【ご覧になる前に】原曲「赤いハンカチ」も邦楽ベストテンの年間1位でした
深夜の横浜港で鞄をもった男を追っているのは刑事の三上と石塚。追い続けてきた麻薬事件の現場を取り押さえようとして張り込んでいた二人ですが、男はおでん屋で麻薬の入った鞄を受け渡して逃走してしまいます。二人は麻薬ルートに関与した疑いで逮捕したおでん屋の親父を尋問し、三上は工場に勤める娘の玲子に事情を聞くのですが、鞄の行方はわからず真相は明らかになりません。送検が決まり親父を護送車に乗せようとしたそのとき、石塚が親父に拳銃を奪われると、国体選手でもあるピストル射撃の名手三上は咄嗟に親父に銃を向けるのですが…。
「アカシアの花の下で/あの娘がそっと瞼をふいた/赤いハンカチよ」と裕次郎が歌うムード歌謡の傑作「赤いハンカチ」は、昭和37年10月にテイチクレコードからリリースされるとロングヒットとなりました。当時の音楽雑誌を見ると昭和38年に9ヶ月もヒット曲としてランキングされ続けたようで、年間ヒットチャート第1位の大ヒットとなっています。その年の5位が舟木一夫の「高校三年生」ですし、橋幸夫と吉永小百合がデュエットした「いつでも夢を」が15位ですから、「赤いハンカチ」がいかに爆発的なヒット曲であったかがわかります。
そのヒット曲を挿入歌として同じタイトルで石原裕次郎が主演となれば、映画も成功するのは間違いないことだったでしょう。その頃の正月三が日の過ごし方は「元旦は家族団欒、2日は挨拶回り、3日はみんなで映画館」というのが一般的だったらしく、本作も昭和39年1月3日に日活の正月映画として公開されています。当時の配給収入の記録は年度別に集計されていて、昭和38年4月から昭和39年3月までの一年間を集計単位としているのですが、本作は2億8千万円の配給収入を叩き出して第3位にランクされています。ちなみに1位は今村昌平の『にっぽん昆虫記』、2位は中平康の『光る海』で、ベストスリーを日活が独占しました。「世相をえぐった問題作・吉永小百合の青春ドラマ・裕次郎のムードアクション」の三作品は当時の日活の製作方針を反映しているわけで、それが興行的にも大ヒットを飛ばしていたのは注目に値します。
監督の舛田利雄は『錆びたナイフ』や『青年の樹』『零戦黒雲一家』など裕次郎映画を監督し続けてきた人で、本作の前年にも裕次郎と浅丘ルリ子のコンビで作った『花と竜』が年間2位のヒットを飛ばしています。脚本は舛田利雄に加えて小川英と山崎巌の三人の共同で書かれていまして、山崎巌は『ギターを持った渡り鳥』の脚本にも参加した日活専属の脚本家。小川英はフリーのシナリオライターだったらしく、後年には『エスパイ』なんかを書くことになる人です。撮影の間宮義雄は日活プロパーのキャメラマンですが、戦前から松竹や東宝で活躍して戦後新東宝から日活に移ってきた照明の藤林甲が先輩として撮影現場を支えたのではないかと思われます。
【ご覧になった後で】石原裕次郎と浅丘ルリ子というスターを眺める映画です
いかがでしたか?導入部は横浜の港の倉庫街や貨車ホームなどを背景にした夜間撮影が冴えていて、光と影をうまく使ったフィルムノワール調の出だしで快調でした。しかし裕次郎と二谷英明の二人が男に逃げられるとともにおでん屋経由で鞄を運び屋の手に渡してしまうところがなんとも間抜けに見えてしまい、プロの刑事二人の目を誤魔化す手法をもう少し工夫してほしかったです。さらには警察の中庭で突如起きる発砲事件では、射撃の名手ならば拳銃を握った手や動きを止めるための足を狙えばよいはずなのに、裕次郎は心臓を一発で撃ち抜いてしまいます。終盤で二谷英明がおでん屋の身体に抱きついたから胸を撃つしかなかったとか言い訳しますけど、この設定が映画の核心部分になるので、こんな手抜かりの多い描き方では観客をダマせるわけがありません。
浅丘ルリ子の描き方も疑問が残るところで、父親が撃たれた現場にいた二谷英明とそんなにすぐに結婚できちゃうもんですかね。工場では明るい笑顔で仲間からも慕われていたようですから、いきなりミンクの毛皮なんかを着るようには見えなかったので、キャラに一貫性が感じられませんでした。裕次郎が現れた途端になぜか積極的に接近して、警察に追われているのにホテルの部屋で事に及ぼうとする態度を見せ、夫の目の前へ裕次郎の肩にもたれながら階段を降りるなんてのも、どうにもこうにも理解しがたい女性になってしまっていました。
そんな映画でも大ヒットしたというのはやっぱり当時はスターを見に映画館に行くんだという観客が大勢いたということなんではないでしょうか。舛田利雄はやたらに裕次郎と浅丘ルリ子の顔のドアップを多用しますし、ラストショットなんかは木立の中を去っていく裕次郎を浅丘ルリ子が見送るという『第三の男』の裏返しのような構図でした。こういうのを一度裕ちゃんとルリ子でやりたかったんだよねー的なスター第一の作り方だったような気がします。ストーリーやキャラクター設定は多少破綻があってもそんなのは関係ないもんねという開き直りが感じられて、まあ正月映画だからこれでもいいのかなという気にもさせられます。
映像優先なので横浜のロケ地にはこだわりがあって、浅丘ルリ子が過去の新聞記事を調べる図書館の場面は、神奈川県立図書館旧本館が使われています。この建物は併設された神奈川県立音楽堂とともに前川國男が設計したモダニズム建築の傑作といわれていて、高い天井の閲覧室をとらえたロングショットや大雨が降る中庭を俯瞰ショットには、ここだけヨーロッパの映画のような雰囲気がありました。
また山下公園前のホテルニューグランドが全景からエントランス、二階へのメイン階段までくまなく活用されていましたし、「山下橋ホテル」の名前で出てくるのは本牧あたりの別の建物だんでしょうけど、クラシックな雰囲気が港町横浜のムードを伝えていました。一方で室内セットに目を向けると裕次郎がギターを抱えて「赤いハンカチ」を歌う横浜のバーの造りが秀逸で、天井からウイスキーのボトルが無数に吊り下げられているというデザインが見事でした。ボトルのどれもがホコリをかぶっているのもリアルで、美術を担当した千葉一彦も日活プロパーのスタッフです。
しかしながら石原裕次郎も浅丘ルリ子も極端に顔にクロースアップしていくので、どうしても顔の中のパーツに目が行ってしまうんですよね。すると裕次郎も浅丘ルリ子もともに歯並びが良くないので、八重歯が目立つなあとか歯に隙間があるんだなとか余計なことが気になってしまったのも事実です。当時の映画スターは元からの美男・美女をスカウトして俳優にしているわけなので、ほとんど整形や矯正などはしなかった時代でした。逆に歯並びの悪さなんかはそれをチャームポイントのひとつとして売り出していたこともあったようです。現在的にはTVに出るか出ないかのタレントさんでも歯は真っ白で実にきれいに手入れされているので、昔の映画スターは本当に地のままでやっていたんだなあと感心してしまうのでした。
蛇足ですけどおでん屋の親父を演じた森川信がどうしても森川信に見えなくて困りました。「男はつらいよ」シリーズではいつも笑顔ですし眼鏡をかけているので余計なのかもしれません。まあ取調室で困った顔をしているおでん屋にも化けられるという点では、戦前から浅草や旅興行で鍛えた演技力のなせる技だったといえるのかもしれません。(A093023)
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