貸間あり(昭和34年)

日活から東京映画に移籍した川島雄三が井伏鱒二の原作を群集劇にしました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、川島雄三監督の『貸間あり』です。松竹出身の川島雄三は映画製作を再開した日活に誘われて『洲崎パラダイス赤信号』や『幕末太陽傳』といった傑作を発表しましたが、昭和32年に東宝系の製作会社東京映画に移籍しました。同じ貸家に暮らす人々を描いた井伏鱒二の小説を原作とした本作は、東京映画での四本目の作品にあたり、翌年には同じく淡島千景を起用した『赤坂の姉妹 夜の肌』を発表することになります。大映での若尾文子主演三部作はさらにその後ですから、昭和38年に四十五歳で夭折する川島雄三にとっては、最も脂がのった時期の傑作群のひとつと言えるでしょう。

【ご覧になる前に】脚本は川島雄三と当時まだ新人だった藤本義一の共作です

通天閣の下ではヤクザ者から逃れた作一が古本屋の掲示に見入っていた江藤君という学生を広告主の五郎先生のところに案内しようと誘います。代作を商売としてなんでも気軽に相談に乗る与田五郎は通天閣を見下ろす高台にある長屋風の貸家の住人で、作品のパンフレットを作成してもらいたいと陶芸家のユミ子が訪ねてきたところでした。コンニャク屋の洋吉が掲げた貸間ありの札を見て、ユミ子は部屋をアトリエ代わりに借りるのですが、この貸家には蜜蜂を飼う薬屋や男三人の愛妾や倦怠期の夫婦などさまざまな人々が住まっていたのでした…。

原作は井伏鱒二が昭和23年に書いた小説ですが、昭和25年に書かれた「本日休診」などは渋谷実が二年後に映画化していますので、なぜ十年以上経った昭和34年にこの原作を選んだのかはわかりません。脚色を担当したのは川島雄三と藤本義一で、当時藤本義一は大学を卒業して宝塚映画で脚本の仕事についたばかりでした。昭和33年に川島雄三が監督した『暖簾』で脚本の手伝いをしたらしいですが、きちんとクレジットに藤本義一の名前がのったのは本作で三作目でしたので、まだ新人だった藤本義一を川島雄三が抜擢したことになります。大阪が舞台だということで、堺市の出身で大阪府立大学出身の藤本義一が大阪ことばのセリフ表現を担当したのかもしれません。

キャメラマンに岡崎宏三を起用しているのも注目したいところでして、岡崎宏三は東京映画を代表するベテランキャメラマンだった人。戦前の新興シネマから映画界に入ったのですが、戦時中からそのキャリアが途絶え昭和27年に『私はシベリヤの捕虜だった』という独立プロダクションの作品で復帰していますので、召集されて戦後はシベリヤに抑留されていたのかもしれません。昭和30年に宝塚映画に入って、多くのプログラムピクチャーでキャメラマンをつとめました。岡崎宏三のキャリアの中で一番の注目作品は高倉健主演、シドニー・ポラック監督の1974年アメリカ映画『ザ・ヤクザ』で撮影を任されたこと。その後にもカナダ人監督のマーティ・グロスが日本で文楽を映画にした『文楽 冥途の飛脚』でもキャメラを回しています。

本作には物語の設定上多くの俳優さんが出演していて、その顔ぶれを見るのも楽しいところです。『幕末太陽傳』のフランキー堺は川島雄三の前作『グラマ島の誘惑』に続いての出演ですし、淡島千景は川島雄三の松竹末期の『真実一路』に出演して以来の川島作品となります。乙羽信子、桂小金治、清川虹子、浪花千栄子、渡辺篤、山茶花究、小沢昭一、藤木悠、益田キートンに加えて、東宝系の作品なので沢村いき雄が出ているのも楽しいですし、キャリア初期の加藤武が重要な役で出ているのも注目です。

【ご覧になった後で】『幕末太陽傳』現代版続編のような雰囲気がありました

いかがでしたか?いろいろな人物が登場しながらもその中心にはフランキー堺がいて、誰もがフランキー堺に何かを頼んだり依頼したりというストーリーと、最後にはそのフランキー堺が大逃げを打つという展開が、どこかしら『幕末太陽傳』を思い起こさせます。もちろん本作は時代劇ではないので、現代版の続編とでもいうんでしょうか。フランキー堺演じる与田五郎というキャラクターがアクがなく品があって誰からも好かれているところや、後半では風邪をひいてせき込んでいるところなんかが、『幕末太陽傳』の居残り佐平次に似ているような気がしました。

そんな中でストーリーの本線はフランキー堺と淡島千景の大人とは思えないくらいにすれ違う純愛のお話で、小沢昭一と乙羽信子によるサイドストーリーが絡む構成でした。小沢昭一はフランキー堺に代理受験を依頼しますし、乙羽信子は淡島千景に奉公先のお嬢様役を演じてくれるよう依頼します。その合間に貸間の住人たちによるエピソードが騒々しく挿入されるのですが、藤木悠の窃盗と清川虹子の下着紛失はともかくとしても、ほかは桂小金治はコンニャクの仕入れ、渡辺篤は女房の西岡慶子の寝取り、市原悦子は無痛分娩といった具合に、フランキー堺演じる与田五郎への依頼や代行のお願いばかりです。人間関係が薄くなってしまった現在では成立しないんでしょうけど、こういう誰かにものを頼むという濃密な貸家の人間関係を見ていると、それをいやと言えない善良な人のところに依頼が集中してしまうんだなあと思ってしまいますね。

岡崎宏三のちょっと引き目のシネスコ画面がどれも非常にシャープで、しかも川島雄三は本作では比較的俳優の演技を重視して、長回しでそのやりとりをじっくり見せるという演出で通しているので、映像のキレ味が本作の印象につながっていました。また貸家の美術セットが大変に素晴らしくて、あまり物理的な説明をするショットはないにもかかわらず、なんとなく貸家全体の建物の構造が見ているだけで伝わってくるんですよね。美術をやったのは小島基司という人で、川島雄三との関わりは監督デビュー作『還って来た男』から始まっていて、松竹から東京映画に移った小島基司は本作以外にも何本かの川島作品にセットを提供しています。木下恵介の『破れ太鼓』や田中絹代の『女ばかりの夜』なんかもこの小島基司の仕事なのでした。

そんなわけで加藤武が出てくる温泉の場面では、映画出演キャリアが浅いのにもうベテランのような演技を見せる加藤武に注目しつつも、帯もしないで旅館の廊下を画面奥の方に逃げていくフランキー堺の後ろ姿が非常に印象的でした。こういう描き方が『幕末太陽傳』を思い出させる要因かもしれません。

そして本作は川島雄三を象徴するような「サヨナラだけが人生だ」という名文句を世に残した作品としても重要な価値があります。このセリフは乙羽信子の送別会の場面でフランキー堺が書いた送辞文を桂小金治が読み上げるという設定で出てくるのですが、そこで桂小金治は漢詩を引用してお別れを述べますと言いながら「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」と語ります。もともとは井伏鱒二が漢詩「勧酒」にある五言絶句を引用したんだそうで「勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離」の後半二句が川島雄三のお気に入りだったのだとか。本作ではラストに「貸間あり」の看板を再び掲げるところで、桂小金治が「サヨナラだけが人生だ」と再びつぶやきます。自分の人生がそう長くはないことを悟っていたからこその名文句だったのでしょう。本作が喜劇でありながらどこかしら哀調を帯びたラジカルさをもっているのは、そんな川島雄三の虚無的で投げやりな感性が反映されていたからかもしれません。(V070323)

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