渚にて(1959年)

ネヴィル・シュートの小説をスタンリー・クレイマーが製作・監督しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、スタンリー・クレイマー監督の『渚にて』です。イギリスの小説家ネヴィル・シュートが1957年に発表した小説「On the Beach」をもとにして、プロデューサー出身のスタンリー・クレイマーが自ら製作・監督をつとめて映画化しました。オーストラリアを舞台としていて、主役のドワイト・タワーズ艦長を核兵器反対の立場を貫いたグレゴリー・ペックが演じ、アンソニー・パーキンスとエヴァ・ガードナー、フレッド・アステアが共演しています。

【ご覧になる前に】舞台となるメルボルンで撮影され豪州海軍が協力しました

アメリカ海軍の原子力潜水艦ソーフィッシュ号は潜航中だったために「あの時」を逃れオーストラリアのメルボルンに入港しました。街の一室ではオーストラリア海軍のピーター・ホームズ少佐が赤ん坊にミルクを与え妻のメアリーに紅茶を入れてやった後、軍に出頭します。提督からソーフィッシュ号への乗船を命じられたピーターがドワイト・タワーズ艦長を訪ねると、アメリカ西海岸のサンディエゴから謎のモールス信号が発信されていて、その探索が任務であると告げられます。列車で1時間かかるというピーターの家でのホームパーティに招待されたドワイトが駅に到着すると、そこにはモイラという美しい女性が待ち構えていたのでした…。

ネヴィル・シュートは元は航空工学者でありパイロットでもあった人で、旅客用飛行船の設計などに携わっていました。油圧式降着装置の開発で功績をあげ、第二次大戦中は兵器開発に従事していましたが、同時に行っていた作家活動で注目されるようになり、ノルマンディー上陸作戦やビルマに従軍記者として派遣された経験もあったようです。そんなシュートが書いた小説の中で最も成功したのが「On the Beach」で、オーストラリアへの移住やジャガーでの自動車レースへの参戦が小説の中に反映されています。映画化にあたっては、スタンリー・クレイマーがシュートの小説のアイディアを取り入れなかったことで怒り心頭だったようで、それが原因なのかどうかは不明ですが、映画が公開されたわずか一ヶ月後にシュートは脳卒中を起こして亡くなってしまいました。まだ六十歳での早すぎる死でした。

原作の設定に合わせて本作はオーストラリアのメルボルンでロケーション撮影されています。しかしアメリカ海軍からの協力は得られずに、劇中に出てくる原子力潜水艦はオーストラリア海軍が保有していた潜水艦を使っています。映画の冒頭にまずオーストラリア海軍への謝辞が字幕で出てくるのは、その協力なしでは完成できなかったという感謝の証なんでしょうね。

スタンリー・クレイマーは20世紀フォックス社で働いた後、1948年に自分の製作プロダクションを設立してプロデューサーとして活躍しました。1949年にはカーク・ダグラス主演の『チャンピオン』を製作し、1952年の『真昼の決闘』ではアカデミー賞作品賞にノミネートされていますから、プロデューサーとしては早くから成功していたといっていいでしょう。1955年には『見知らぬ人でなく』で監督デビューを果たし、1958年には東映の『網走番外地』にも影響を与えた『手錠のままの脱獄』を製作・監督しています。本作はその翌年に発表された作品で、英国アカデミー賞で監督賞を受賞しました。

主演のグレゴリー・ペックは冷戦に批判的で広島・長崎への原爆投下にも否定的な立場をとっていましたから、本作への出演は必然だったのかもしれません。共演するアンソニー・パーキンスは1956年にゲーリー・クーパーと共演した『友情ある説得』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされて注目を浴び、本作の翌年にはヒッチコックの『サイコ』で大ブレイクを果たすことになるのですが、本作でも神経質そうでナイーヴなオーストラリア海軍軍人役を演じています。注目はフレッド・アステアが科学者役で出演していることで、アステアにとっては初めてミュージカル以外の役で起用された作品となりました。グレゴリー・ペック、アンソニー・パーキンス、フレッド・アステアの三人の共通点は、ともにオードリー・ヘプバーンの相手役を演じていたことで、オードリーの遺品の中にはこの三人がオーストラリアロケのときに一緒に写ったサイン入り写真があったんだそうです。

エヴァ・ガードナーはMGMとの20年契約が終了したときで、やっと自分で出演作を選べるようになった時期の出演となりました。本作出演時は三十六歳ですので、エキゾチックな美女という役どころではなく、妻のある艦長を愛する女性という深みのあるキャラクターを見事に演じ切っています。

【ご覧になった後で】核戦争後の人類の終末を描き切ったコワイ映画でした

いかがでしたか?映画が始まってすぐに「あの時」とか「その時」とかいうセリフが出てきて、核戦争が勃発して北半球が死滅した「あの時」から、放射能の汚染範囲が徐々に広がってきて南半球が絶滅するだろう「その時」までを冷徹に描き切ったとてもコワイ映画でしたね。まさに「Time」が本作のテーマになっていて、核戦争が起こってからも人々は「まだ時間が残っている」なんて言っちゃっているんですから、戦争の愚かさと核兵器の恐怖がシニカルに表現されていました。もちろんそこにはひとつの死体も出てきません。その代わりに「誰もいない」映像が繰り返し映し出されていて、その無の状態が異様に怖さを増幅させていました。それにしてもサンフランシスコの街に誰一人いないという超ロングショットはどうやって撮ったんでしょうかね。デジタルで何でも消してしまえる現在とは違う時代なので、かなり苦労したのではないかと思われます。

ネヴィル・シュートの原作では、アルバニアがナポリを爆撃したことをきっかけにしてエジプトがワシントンとロンドンを長距離爆撃機で攻撃して核戦争が引き起こされたという設定のようです。映画ではそれらをすべて曖昧にして「あの時」とか「誰かがミサイル攻撃を受けたと思い、反撃するためのボタンを押した」とか国や地域の名前は一切隠してありました。ネヴィル・シュートが小説を執筆した時期はエジプト・イスラエル・イギリス・フランスが当事国となった第二次中東戦争が勃発していましたので、それを題材にしたようです。本当に核戦争が起きそうになったキューバ危機は1962年のことですから、本作公開の三年後には世界は本当に終末を迎える危機に瀕しました。危機対応のとき、ケネディ大統領は『渚にて』が迎える人類の終末を頭に描いていたという話もあるそうですから、東西冷戦真っ只中という非常に緊張した時代には、余計にリアルに本作の怖さが迫ってきたのではないでしょうか。

スタンリー・クレイマーはそんな緊張感を画面いっぱいに人物を配置して窮屈な構図にすることで表現していました。さらには斜めの構図を多用していまして、冒頭のメルボルン港の灯台が傾いているのから始まって、グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナーがパーティのベランダで斜めになるところは画面中央に柱がありますし、アンソニー・パーキンスが妻のドナ・アンダーソンと乾杯するところはグラスのワインが斜めになります。つまり直立したり水平になっていたりするのが当たり前の要素を画面の中に取り込むことによって、斜めの不安定さを余計に強調しているんですよね。これが結構ボディブローで効いてきて、なんだか見ているうちにいつ「その時」が来るんだろうなんて不安な気持ちにさせられる仕掛けでした。

サンディエゴへ調査に出かけるところでは、15分ごとにホーンを鳴らすという時間制限が緊張度を増していましたが、いずれにせよ人ではない何かがモールス信号を打ち続けているんだろうというのは予想がつくわけで、風に揺られたコーラの瓶というのはある意味でホッとするような種明かしでした。一方でメルボルンに帰還してからはフレッド・アステアが自動車レースをしたり満員の川べりで釣りをしたりという場面が続くので、逆にいつ終わりが来るのかが妙に気になってしまい、平穏な日常の場面がかえって不吉感を増すように作られていました。こういうサスペンスの盛り上げ方が巧くて、2時間12分とちょっと上映時間が長すぎるきらいはあるものの、そこそこ退屈することなく見られましたね。

本作ではアーネスト・ゴールドがアカデミー賞作曲賞にノミネートされたのですが、メインモチーフとして繰り返されるのはオーストラリア民謡の「ワルチング・マチルダ」でした。この郷愁を感じさせる音楽が逆に終末に向けた哀しい葬送曲のような感じを帯びてくるのも不思議な感触でした。またなぜ無駄に自動車レースなんかを見せるのかと思っていたら、要するにあのフェラーリはアステア演じるジュリアン博士の自殺道具だったわけですね。排気ガスにまみれていくアステアは飄然とした中に悲壮感を感じさせて、やっぱりこの人はダンスの技術だけではなく表現者として一流だったんだなと感じた場面でした。(U050523)

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