榎本健一が近藤勇と坂本龍馬の二役を演じるミュージカル風の時代劇コメディ
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山本嘉次郎監督の『エノケンの近藤勇』です。浅草出身のコメディアン榎本健一は松竹座でエノケン劇団を立ち上げて人気者になっていて、そこに目をつけたのが東宝の前身であるPCL。昭和8年に映画製作を開始したピー・シー・エル映画製作所は昭和12年に東宝映画となるのですが、エノケンが東宝で活躍する前に出演した10本の映画はすべてPCLの作品でした。この『エノケンの近藤勇』はPCL出演作の三作目にあたり、後に東宝の重鎮となる山本嘉次郎が監督をつとめています。
【ご覧になる前に】松竹系のエノケンでしたが映画出演はPCLからでした
京都の市中で勤皇派と佐幕派の喧嘩が始まりました。新選組の局長近藤勇は持ってこさせた高下駄を履くと途端に強くなり勤皇派の武士たちを蹴散らしてしまいます。そんな近藤の朋友である加納惣三郎は女郎の雛菊とつかの間の逢瀬に出るのですが、雛菊から聞かされたのは病気の父を助けるために身受けの申し出を受けたという話でした。一方帰路につこうとすると近藤勇は闇討ちの暴漢にあいますが、そこに間一髪で助けに入ったのは土佐藩の中岡慎太郎でした…。
エノケンこと榎本健一は大正末期の浅草オペラに入ったものの関東大震災に遭い、関西を拠点にしていた東亜キネマで映画の端役をやった後、再び浅草に戻って「カジノ・フォーリー」の旗揚げに参加します。ここで本作にも忍者姿の間諜役をやる中村是好と知り合い、体を使ったスラップスティック喜劇が話題を呼んだことで、昭和7年にはエノケン劇団を松竹座で立ち上げることになりました。座員150人にオーケストラ25人という大所帯だったそうで、その人気に目をつけたのがPCLでした。
松竹座だから映画に出るなら松竹ではないかと思うのですが、エノケン劇団は松竹の会社所属ではなく、大谷竹次郎社長の直属で、エノケン劇団をPCLに貸すことで大谷社長個人が潤う仕組みだったんだそうです。PCLはすぐに日活から山本嘉次郎監督を引っ張ってきて、まず製作されたのが昭和9年の『エノケンの青春酔虎伝』でした。第二作『エノケンの魔術師』は木村荘十二監督でしたが、第三作『エノケンの近藤勇』で再び山本嘉次郎に戻り、以後のエノケン映画はほとんど山本嘉次郎の手によるものです。
脚本にクレジットされているのはPCL文芸部とピエル・ブリヤントで、このピエル・ブリヤントは人の名前ではなく、榎本健一がエノケン劇団を結成する前に所属していた劇団の名前。たぶん幕末を取り上げた舞台劇が以前にあって、それを元ネタにして本作が出来上がったのでしょう。撮影の唐沢弘光はサイレント初期から活躍していたキャメラマンで、日活では伊藤大輔の映画でキャメラを担当していた人。本作のほかにもエノケンものを撮っていますし、山本嘉次郎の大作『馬』では四季にわたる撮影の中で「春」パートを担当しています。
本作は昭和10年10月公開ですが、二ヶ月前にPCLから出たのが成瀬巳喜男監督の『妻よ薔薇のやうに』で、松竹でなかなかトーキーを撮らせてもらえなかった成瀬がPCLに移籍してやっとはじめてのトーキーとして世に送り出した作品でした。成瀬巳喜男のような実績のある監督が松竹でトーキーを撮れなかったときに、PCLではエノケン出演作であれば本作のような時代劇コメディが簡単にトーキーとして作られていたのです。PCLはもともとはトーキーの撮影および録音用貸しスタジオが始まりでしたので、昭和10年当時におけるトーキー技術は松竹よりはるかに進んでいたのかもしれません。
【ご覧になった後で】ボレロやカリプソなどの音楽の使い方が洒落ていました
いかがでしたか?エノケンの軽喜劇だとはいっても1時間20分の尺をもたすのにはなかなか難しく、そんなにおかしいとも面白いともいえない微妙な出来栄えでしたね。タイトルこそ近藤勇となっていますが、映画の作りとしてはエノケンが近藤勇と坂本龍馬の二役を演じるところに妙味があって、腕っぷしにものをいわせる近藤勇と頭の回転で人と人をつなげる坂本龍馬という違ったキャラクターをエノケンという確立された喜劇役者が同時に見せてくれるという設定をもう少し活かしたようがよかったような気がします。
それよりも本作の見どころは音楽の使い方にありました。大宴会の準備をする池田屋ではラヴェルのボレロのリズムにのってお膳が運ばれて、長州藩と土佐藩を新選組が襲撃するくだりになると今度はカリプソのリズムにのってトライアングルの音と剣劇がシンクロするという具合です。こうした音による効果の出し方はエノケン劇団が舞台で培ったノウハウだったんでしょうか。前半でもタンゴっぽい音楽に剣さばきをしながら摺り足でドラムのブラシのような音を重ねて、それがセンスのある可笑しみにつながっていました。
クレジットで「漫画 大藤信郎」と出てくるのは、池田屋騒動に入る直前に夜空に浮かぶお月様がその騒乱を袖の隙間から覗くというアニメーションが使われているからです。ほんの数秒しかないアニメーションですが、大藤信郎はいうまでもなく日本アニメ界の元祖であり、先駆者だった人。1953年にカンヌ国際映画祭に出品して短編部門の次席に入った『くじら』はあの天才画家ピカソから絶賛されたといいます。戦前は江戸千代紙を使ってアニメーションを作っていたということですので、本作のお月様もセルアニメではなく紙で作ったアニメだったのでしょうか。毎日映画コンクールの中でアニメーション映画を対象とした「大藤信郎賞」は、大藤の死後その遺産がコンクールに寄託されたことから昭和37年に始まったもので、現在でもアニメ作家の誰もが目指す名誉ある賞として継続されています。
映画評論家の小林信彦によると、本作の次に作られた『エノケンのどんぐり頓兵衛』でエノケンものが映画として開花したんだそうで、それまでは舞台の焼き直しだったのが映画としての喜劇になったということです。確かにエノケンの魅力は身体全体を使った動きにあるわけで、その意味ではこの『エノケンの近藤勇』では高下駄を履いているせいか激しく動くこともできませんし、坂本龍馬を演じる際にはド近眼でメガネがないと何も見えず、剣よりもピストルを撃つ場面が多くなっています。それに比べると『どんぐり頓兵衛』は逃げまくるエノケンが存分に見られるらしく、本作ではどちらかというと追いかける側になってしまっているのが、エノケンの魅力を伝えられなかった要因でした。思い出してみると、戦後すぐに作られた『新馬鹿時代』も追うロッパに逃げるエノケンという関係でしたもんね。(Y020823)
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