ゼロの焦点(昭和36年)

松本清張の推理小説を野村芳太郎監督が映画化した清張ものの代表作のひとつ

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、野村芳太郎監督の『ゼロの焦点』です。松本清張が書いた原作は昭和34年の末に光文社の「カッパ・ノベルス」の第一弾として刊行されました。雑誌「宝石」連載時には松本清張には珍しいことですが筆がなかなか進まず、連載休止をはさみながらなんとか完成した小説を松竹の野村芳太郎監督が映画化し、いわゆる清張ものを代表する作品のひとつとなっています。本作公開のあとにも東宝での再映画化が一度、TVでは六度ほどドラマ化されていて、能登半島の絶壁の上で展開される謎解きシーンはのちの2時間ドラマで繰り返し真似される名場面となりました。

【ご覧になる前に】松竹最大のヒット作『砂の器』につながる原点の作品です

鵜原禎子は結婚したばかりの夫憲一を金沢への出張に見送ったあとで、母親と一緒に憲一との見合いから新居で暮らし始めた1週間までの目まぐるしい日々を思い起こしています。憲一は広告代理店の金沢所長として月に十日間ほど東京に出張してきていましたが、禎子との結婚を機に東京本社勤務となり、引継ぎのため最後の金沢出張に旅立ったのでした。ところが憲一は出張期間が終わっても帰宅せず、禎子が憲一の兄宗太郎に相談しても地元の付き合いが長引いているのだろうと意に介しません。東京本社も業務上の失踪としてとらえ、金沢に案内された禎子は新所長の本多とともに金沢での憲一の足取りを追うのでしたが…。

「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞した松本清張が推理小説を書き始めたのは昭和30年の「張込み」からでして、昭和32年には「点と線」「眼の壁」がベストセラーとなっていわゆる「清張ブーム」が起きました。映画会社でいち早く清張に着目したのが松竹で、他社に先んじて昭和32年に『顔』を公開させると翌年には『張込み』『眼の壁』を立て続けに映画化しましたので、東映が『点と線』東宝が『黒い画集』を作る動きはあったものの、清張ものの多くは松竹で作られることになりました。なので清張自身が自分の推理小説の中で最も好きな作品として挙げる「ゼロの焦点」も必然的に松竹で映画化されたのでした。

脚本を書いたのは橋本忍と山田洋次のコンビで、黒澤明に『羅生門』で見い出された橋本忍は『張込み』で清張作品の脚色は経験済みでした。キャメラマンの川又昂は小津映画で厚田雄春の助手をつとめた後に新人監督だった大島渚の作品で頭角を現わした時期。そして野村芳太郎は松竹蒲田撮影所の所長までつとめた野村芳亭の息子で、慶応大学を卒業するとごく当たり前に松竹大船撮影所に入所して、順調に監督に昇格していました。音楽の芥川也寸志は芥川龍之介の三男で、ソ連の現代音楽家たちとも親交を結びつつ、映画音楽に楽曲を提供して収入源としていました。ここに記したスタッフ、すなわち原作松本清張、監督野村芳太郎、脚本橋本忍・山田洋次、撮影川又昂、音楽芥川也寸志の6人は、本作公開十三年後の昭和49年に再結集して松竹最大のヒット作『砂の器』を作ることになります。俳優の加藤嘉を含めると7人になりますけど。その意味では本作は松竹における清張ものの代表作でありつつ、原点ともいえる作品なのです。

主演の久我美子は第一期東宝ニューフェイスに合格して映画界入りしました。久我家は侯爵の爵位をもつ華族の名家でしたが、戦後の華族制度廃止によって経済的に追い詰められ、家計を助けるために久我美子は女優を目指すことになったのでした。そのように自らの意思で女優という職業選択をした久我美子でしたので東宝の言いなりになるのではなく、昭和29年に岸恵子、有馬稲子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を創設し独立、映画会社の枠にとらわれずに自ら作品を選んで出演するようになりました。大映の永田雅一が主導した五社協定の調印は昭和28年ですから、にんじんくらぶを設立したのは当時の映画界にあって非常に勇気のある決断であり行動だったのではないかと思います。

そのにんじんくらぶの一員の有馬稲子とともに重要な役で出演しているのは高千穂ひづる。松竹京都撮影所から東映京都撮影所に移籍して、東映ではまさに無数の時代劇に出演しました。さすがに働き過ぎだと自覚したのか、どこかの段階でフリーになったのでしょう、時代劇一辺倒ではなく本作のような現代劇に出演するようになっていきます。男優では加藤嘉をはじめ、西村晃、十朱久雄などしっかりとその役になりきれる俳優たちが脇を固めています。

【ご覧になった後で】日本海にのぞむ断崖絶壁を撮った映像が印象的でした

いかがでしたか?本作の一番の見どころはやっぱり中盤以降に断続的に出てくる日本海の断崖絶壁の映像ではないでしょうか。映画の中では能登金剛という設定で、実際のロケーション撮影は能登金剛の「ヤセの断崖」で行われていて、本作公開後はその険しい光景を見ようと北陸観光の名所になったとともに映画のストーリーに合わせて自殺の名所にもなってしまったそうです。川又昂がキャメラにおさめた日本海のうねりや強風が吹きっさらす海に突き出た断崖などどれもが大変に峻厳な写実美にあふれていて、特にラストショットは遥か向こうの雲間から太陽光線が海に突き刺す絶妙なタイミングで撮影されていて、これを撮るためにどれだけの時間が費やされたのか想像するだけでその労苦がしのばれる絶品ショットでした。

そしてこれが原作そのもののアイデアなんでしょうけど推理と真実の二つのバージョンで結末が語られる構造も非常に興味深かったですね。通常なら刑事や探偵が「実は…」と推理を開陳して真犯人がガックリうなだれるという展開のところを、本作ではまず久我美子が妻の立場での推理を語り、それが真実に迫ってはいるものの実際の細部は違っていて、本当の事件の真相は真犯人本人の口から告白されるという流れになっています。よく知らないのですがおそらく世界中の推理小説を調べればこのような二重の結末という構造をもつ作品は見つかるんでしょう。けれども松本清張のすごいところは、事実は小説より奇なりの通りで、久我美子の推理のはるか上を行くというか人間ってそういうものなのかという真実が高千穂ひづるによって語られるのです。この原作の持ち味をうまく映像に結び付けたのは橋本忍と山田洋次の脚本のうまさにあったのでしょう。

そして意外だったのはこの真相告白の場面での有馬稲子の演技。この人は他の映画を見ても特段印象に残るわけでもなく、どちらかといえば下手な女優さんだという認識でしたが、本作を見てちょっと演技力を見直す必要があると考え直しました。金沢弁というんでしょうか、地元の言葉を使いながら大切にしていた慎ましい幸せを奪い取られた哀しみをじわりと滲ませる身体表現が伝わってくるようでした。高千穂ひづるは役柄上も対照的なキャラクターづくりをすればそれらしく見えるという優位性があるので、ツンとした冷たい美貌があればそれでよしというところでしょうか。久我美子はわずか1週間で夫を失う立場にしては美し過ぎて、高橋とよ母さんにはもっといい嫁ぎ先を見つけてあげなさいよと忠告したい気分ですね。

あと芥川也寸志の音楽は良かったですね。清張ものでは昭和40年に山田洋次が監督した『霧の旗』での林光の音楽が最高の出来栄えだと信じているものの、本作で芥川也寸志が作った楽曲は、川又昂が撮った日本海の映像にぴったりでした。暗く沈んだメロディが本作のトーンを支えていて、野村芳太郎の演出よりも音楽のほうが登場人物の心情をより的確に表現していたように思います。まあ野村芳太郎も前面に出ない抑えた演出をあえてしていたのかもしれませんけど。(A100522)

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