坪田譲治の児童文学が原作で清水宏監督の映像センスが光る傑作です
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こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、清水宏監督の『風の中の子供』です。原作は当時の東京朝日新聞夕刊に昭和11年に連載された坪田譲治の小説で、坪田譲治自身の地元である岡山を舞台にしたいわゆるジュブナイル小説です。翌年すぐに松竹の清水宏監督によって映画化されて、昭和12年のキネマ旬報ベストテンでは日本映画の第四位にランクインしています。ちなみにその年の第一位は小津安二郎が原作を書いた内田吐夢監督の『限りなき前進』で、第七位には山中貞雄監督の『人情紙風船』が入っています。こうした傑作を順位付けするのはあまり意味ないことのような気もしますが、いずれにせよ『風の中の子供』は名作たちと肩を並べる傑作であることに間違いありません。
【ご覧になる前に】松竹から○○小僧と命名された子役たちが活躍します
善太と三平の兄弟は自然あふれる田舎町で近所の子供たちと一緒に川遊びを楽しんでいますが、母親は兄の善太は学校の成績が良いのに、弟の三平は甲がひとつもないと嘆いています。町の中心にある会社につとめる父親のもとへ昼の弁当を届けるのはいつもは善太の役割でしたが、その日は弟の三平が運ぶことになりました。三平が父親のいる事務所に着くと、父親は他の経営者たちから吊し上げを食らっていてました。どうやら他の会社との合併手続きの際に父親が私文書偽造を働いたのではないかという疑いをかけられているようでした…。
本作は善太と三平の兄弟のほかにも大勢の子供が登場します。松竹にはなぜか「○○小僧」という芸名をもった子役がたくさんいて、そのきっかけは本作にも出演している青木富夫が昭和4年に主演した小津安二郎監督の『突貫小僧』という映画のタイトルにちなみ、青木富夫から突貫小僧に芸名をあらためたことのようです。突貫小僧は小津作品の常連となり『生まれてはみたけれど』『出来ごころ』『浮草物語』などで出演経験を積んでいましたから、本作に出てくる子役の中ではベテランともいえるキャリアを積んでいました。
一方で弟の三平役をやるのが爆弾小僧。清水宏監督に重用された子役で、『按摩と女』や『簪』などにも出演しています。三平の友達の金太役がアメリカ小僧。なぜアメリカなんだかよくわかりませんが、とにかく小僧が流行っていたので命名されてしまったんでしょう。また、兄の善太役の葉山正雄は本作出演の前には小津安二郎の『一人息子』で主人公の子供時代を演じていた人で、突貫小僧・爆弾小僧・アメリカ小僧・葉山正雄の四人が松竹蒲田の子役四天王と称されたのだとか。それだけ松竹ではホームドラマが数多く製作されていたということでしょうね。
原作者の坪田譲治は岡山出身ということで、昭和59年に岡山市によって坪田譲治文学賞が制定されていて、現在でも授賞が継続されています。児童文学専門の賞かと思ったらそうではなくて、「大人も子どもも共有できる世界を描いたすぐれた作品」という観点で毎年選考会が行われています。坪田譲治の原作を脚色したのは斎藤良輔。小津安二郎との共同脚本では『風の中の牝鶏』と『月は上りぬ』を書いていますし、なにしろ戦前から昭和30年代まで150本に及ぶ脚本を手がけたという松竹の脚本職人のひとりです。
そして監督の清水宏はあの田中絹代の恋人だったいう人で、田中絹代のデビュー作を監督したのが清水宏だったことから恋愛関係になったのでした。ところが当時撮影所長だった城戸四郎がスター女優の田中絹代をいきなり結婚させることに反対して、二人に「試験結婚」すなわち同棲を勧めることにしたのだとか。案の定、監督とトップ女優では日常の夫婦生活が嚙み合わずに二年ほどで破局してしまったのだそうです。そんな清水宏ですが、『大学の若旦那』などで都会的センスにあふれた喜劇を作るのを得意とした一方で、本作の前年に撮った『有りがたうさん』で伊豆の自然を背景にロケーション撮影を駆使し、以降は実写作品に力を入れるようになりました。加えて俳優による作り物の演技を嫌っていたので、田舎町を舞台にして子役が自由に動き回る本作は、清水宏監督がまさに求めていた素材だったのでした。
【ご覧になった後で】ロングショット主体の端正な映像の構成が見事でした!
いかがでしたか?映像自体はレストアされていないバージョンで見たので鮮明さには欠けていたものの、本作がもっている映像の端正さというか瑞々しいまでの清廉さは本当に見事というしかなく、こんな傑作が今日的な映画批評の中で埋もれてしまっているのがもったいない気がしてなりません。清水宏監督は平成の時代に入ってやっと国際映画祭などで特集されるようになったそうですが、松竹という映画会社はもっと自社のアーカイブを効果的にアピールしていく必要があるのではないでしょうか。
何が見事かといえば、ロングショットの扱いの巧さに尽きます。本作でもロケーション撮影が効果的に使われていまして、そこで活躍するのがフィックスでのロングショット。自然豊かな背景の中に道や川などを構図の基本線に取り込んで、そこに役者を精緻に配していくのです。そのスタイルが洗練されつくしていて、映画を見ていてもその巧さに惚れ惚れしてしまうほどです。この手法はもちろんスタジオセットでの撮影にも生かされていまして、善太と三平の家の前の道を縦軸にとらえて、手前に三平の全身を映し、奥に金太など子供たちの集団を小さな姿で配置するという絵が繰り返して出てきます。このような構図とそこに置かれた役者たちの位置関係で、映画の流れの中で登場人物たちがどのような関係にあり、特に善太と三平のエモーションがどう動いているのかを映像で表現していくんですよね。清水宏のスタイリッシュな映像のバリエーションがとことん楽しめる作品になっていました。
そんな中でのびのびと動き回り、観客の気持ちを揺さぶるのがなんとか小僧の子役たち。三平が叔父さんのところに行ってしまい一人きりになった善太が、近所の子供のかくれんぼの声を聞いてひとりかくれんぼをする場面。部屋のあちこちで隠れるふりをする善太は壁に掛けられた父親の着流しに隠れますが、やがては善太がしくしくと泣く声が聞こえてきます。ここでキャメラは善太に寄ったりはしません。あくまでフィックスショットのまま、やや離れた位置から善太の全身を映すのみで、しかも善太の表情もわかりません。でもこの映像と泣き声だけあれば、善太の寂しさや弟への思いが一気に観客に伝わってきますよね。
このようにやや離れ気味の構図で押していくショットつなぎは、橋の上で母親が三平に「お母さんが死んだらどうする?」と聞く場面でも同じように使われています。吉川満子が三平の身体に顔をつけて泣き始めるのですが、キャメラは一切吉川満子のアップなんか撮らず、怪訝な様子で横を通り過ぎる男連れを画面に登場させるのです。ロングショットの一つの画面内に平凡な日常と不幸な非日常が同時に存在しているという、それだけで吉川満子の哀しさを表現するには十分なんだと清水宏が言っているかのようでした。
また、父親が戻ってきたときに自宅の庭を右から左から善太と三平が顔を出して「お父さん!」と呼びかけるところ。父親は大人同士の話に夢中でそれにリアクションしないのですが、兄弟が父の帰還にどれだけ喜んでいるかがこの「お父さん!」の繰り返しだけで表現されていました。そして父親は兄弟と庭で相撲を取り始めます。庭での相撲は父親が拘留される前の反復になっていて、そのときは泣かなかった三平が今度は泣いてしまいます。この場面を見て涙を流さない観客はいないのではないでしょうか。セリフは何もないのにこの家族に襲った不幸とそれが過ぎ去った幸せを登場人物たちとともに観客は噛み締めるような気持ちになるのです。
加えて『有りがたうさん』で多用された移動ショットが端正なロングショットの間に効果的に使われていました。田んぼの間の道をターザンの叫び声を真似て走る三平たち。あるいは巡業にやってきた曲馬団の少年のとんぼ返り。これらは基本的には縦の移動で登場人物をとらえた移動ショットでしたが、もうひとつ家の中をキャメラが横に動いていく横移動のクレーンショットがありました。確か二か所ほど使われていたと思いますが、鵜飼の叔父さんの家を横からとらえて、部屋を移動する坂本武をとらえたショットなどは映画自体が物語とともにぐぐっと動き出す雰囲気を伝えていましたね。
あと加えておきたいのが本作に登場する大人たちの優しさ。父親の河村惣吉は不当に拘留されていたのに怒ったりしませんし、坂本武叔父さんは三平がどんないたずらをしても男の子はこういうもんだ的な鷹揚さで三平を責めたりしません。本当にのびやかな成長を見守るという感じが出ていて、そこらへんも清水宏の子供に対する温かな視点が反映されているように思われます。
いつもながらの蛇足ですが、本作は松竹のホームページにおいて作品データベースで紹介されておりまして、なんとそこに書かれてある「STORY」が全く別のお話になっているんです。善太と三平は合っているのですが、「牧場」とか「祖父」とか「小島」とか本作には全く関係ない設定が書かれているので驚いてしまいました。たぶん坪田譲治の別の「善太三平もの」の何かを書き写したのではないかと思うのですが、だとしたらこの作品データベースを書いている人は本作を見ずに記事にしているわけですよね。それはこの戦前の傑作に対してあまりに失礼ではないかと思うわけですよ。松竹ってこの程度の会社なんだなと公言しているようなものなんで、どなたか気づいたらすぐに修正してもらいたいものです。頼みますね、松竹さん。(Y042022)
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