銭形平次捕物控 人肌蜘蛛(昭和31年)

大映が製作し長谷川一夫が主演した「銭形平次シリーズ」最盛期の一本です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、森一生監督の『銭形平次捕物控 人肌蜘蛛』です。野村胡堂が書いた時代劇小説「銭形平次」は雑誌連載時から映画化されましたが、長谷川一夫が銭形平次を演じた「銭形平次捕物控シリーズ」が最も多くの作品を残していまして、本作はその第10作にあたります。長谷川一夫主演作は全18本ありまして、シリーズが毎年お正月とお盆の時期に公開されていた最盛期の中の一本でもあります。なお第一作のみ新東宝で作られていて、第二作『銭形平次』からは長谷川一夫の移籍とともに大映で製作されたというややこしい経緯を辿ったシリーズとなりました。

【ご覧になる前に】市川雷蔵や山本富士子が脇を固める豪華な配役が見どころ

暴風雨で荒れる川を牢破りの松五郎と新吉が流され行きます。捕手の鉄砲に撃たれた松五郎を置いて新吉はなんとか逃げのび、なじみの女郎に匿われます。翌朝川べりにあがった死体は背中に蜘蛛の彫り物があり懐中からは三島宿を描いた浮世絵が出てきました。祭り太鼓を叩いていた平次は殺されたのが医師宗庵だと聞き八五郎とともに捜査に乗り出します。同じ頃、上州から出てきた焼物師新次郎は茶屋の裏で佇むお絹と知り合い、祭りでなかなかとれない宿を手配してやり、そのまま得意先の尾張屋の主人に焼物を納めに行くのでしたが…。

昭和6年に文藝春秋社の「オール読物」誌に連載が開始された野村胡堂の「銭形平次捕物控」は昭和32年までに300編以上が発表された大衆小説でした。江戸の町の私設警察機能であったいわゆる岡っ引きを主人公として犯罪事件を解決していく時代物の推理小説を捕物帳とか捕物控と呼びますが、岡本綺堂の「半七捕物帳」と並び称されるのが「銭形平次捕物控」です。寛永通宝の貨幣を投げ銭として犯人に投げつけて悪人たちをやっつけていく痛快さが広く支持されて、多くの読者を獲得しました。

映画界がこの人気小説に目をつけないわけがなく、連載開始の昭和6年には早くも松竹が『銭形平次捕物控』として映画化しています。その二年後には時代劇スターだった嵐寛寿郎が自らの製作プロダクションの寛プロで『銭形平次捕物控 富籤政談』を映画化し、二年間で三本の作品を世に送り出しました。その後散発的に新興キネマなどでも映画化されたようですがシリーズ化までは至らず、戦後になってGHQの検閲もやや緩んできた昭和24年に新東宝が長谷川一夫主演で『銭形平次捕物控 平次八百八町』を発表。この佐伯清監督作品が全18作となる長谷川一夫の「銭形平次捕物控シリーズ」の嚆矢となり、昭和25年に長谷川一夫が大映に迎えられるとこの新しく始まったシリーズもそのまま大映に引き継がれ、昭和26年に大映で『銭形平次』が製作されたのでした。

その『銭形平次』を監督したのが森一生で、この『人肌蜘蛛』が森一生による五本目の「銭形平次捕物控シリーズ」作品となりました。森一生は新興キネマで伊藤大輔の助監督をつとめた後に監督に昇格し、戦時統合で発足した大映にそのまま移籍しました。時代劇が禁止されていた戦後すぐの時期以外はほとんど時代劇を得意としていて、黒澤明が脚本を書いた『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』や長谷川一夫主演の『藤十郎の恋』のリメイクなどを監督しています。

脚本はなんと小国英雄が書いていて、黒澤組の共同脚本製作チームのジャッジ役だったことでも有名ですが、生涯で200本近い脚本作品を残した脚本界の重鎮でした。大映ではプログラムピクチャー的な作品にもばんばん脚本を提供していて、『宇宙人東京に現る』やシリーズ第9作の『銭形平次捕物控 死美人風呂』なども本作と同じ年に書いています。

主演の長谷川一夫は生涯で300本近い映画に出ていまして、「銭形平次捕物控シリーズ」は映画界から引退する二年前の『銭形平次捕物控 美人鮫』まで出演を続けました。本作は共演陣が豪華なところも見どころになっていまして、準主人公的な活躍をする焼物師に市川雷蔵が配されています。市川雷蔵は前年に溝口健二監督の『新・平家物語』で平清盛を演じて注目を浴びていた時期。もちろん時代劇では主演していましたが、長谷川一夫主演作で助演するというパターンも併用されていたようです。そしてクレジットタイトルでは長谷川一夫と二枚看板で出てくるのが山本富士子。登場場面は多くないので、看板に偽りありという感じは否めませんけど、当時の大映は何でもかんでも山本富士子を出演させるという体制でしたので、本作の翌月には吉村公三郎監督の『夜の河』、翌々月には市川崑監督の『日本橋』に主演するという驚くべきローテーションです。大映って本当に女優を大切に扱わない会社だったんですね。

【ご覧になった後で】話を詰め込み過ぎて悪だくみがよくわかりませんでした

いかがでしたか?東野英治郎が悪役であることには変わりないものの、その悪だくみのからくりがあれこれと複雑にからまり過ぎてしまってストーリーラインがよくわかりませんでした。こういうシリーズものの一本だから小国英雄が余計に気張って凝り過ぎたせいかもしれませんけど、もう少し登場人物と犯罪の動機と小道具を整理したほうがよかったかもしれません。

まず冒頭で水死していた医師というのが誰だったのかが不明ですし、宿屋に預けたお絹が突如として姿を消すというのも何のためだったのかよくわかりません。そのお絹が死んだことになって、死体を入江たか子に入れ替えるのは何の目的だったんでしょうか。また浮世絵として出てくる東海道五十山次の三島や藤澤というのは単に会合場所の合図でしかなかったとしたら、別に大した小道具ではなかったということになります。またいろんな人物が背中に蜘蛛の彫り物を持っているというのは何を意味していたのかいまいち理解できませんでした。そもそも東野英治郎は松島某という旗本かなんかを抱き込んで米の在庫を抱え込んで市場価格を高騰させることを企んでいたようですが、なぜそのために人殺しをしなければならないのかの動機が伝わってきません。まあとにかくよくわからないお話でしたね。

そんな中でも市川雷蔵がさわやかな上品さで焼物師を好演していて、途中までは長谷川一夫を差し置いて主役なんじゃないかと思ってしまうほどの活躍でした。でも終盤になると急に存在感をなくすので、やっぱり長谷川一夫がそうはさせじと出張ってくるのがややウザイようにも感じられました。市川雷蔵の出番を盛り上げるために宿屋に泊めたお絹が行方不明になり、おまけに宿屋の関係者が全員お絹のことなど見たこともないと証言するのは、ヒッチコックの『バルカン超特急』のパクリでしょうか。でも『バルカン超特急』の日本公開は本作公開の二十年後のことですから、小国英雄が海外に渡航して見たのか、あるいはあらすじだけを外国の映画雑誌などで仕入れてそれを展開させたのかしたんでしょうか。いずれにしてもまったく本筋に関係ないトリックでしかなく、手間をかけたわりにほとんど無駄骨的なエピソードになっていました。

さらに山本富士子の扱いはヒド過ぎますよね。序盤のお祭りの場面で長谷川一夫の平次親分がいなせに振り返る横で笛を吹いているのが山本富士子なのですが、その次に出てくるのはもうほとんど終盤で、しかもすぐに悪役に囚われてしまいます。なので出番はほんの4~5シーンしかなく、こんなんなら山本富士子を使う意味がないと思うのですが、たぶん大映の興行的にはポスターに大きく山本富士子の名前を出したいがために無理矢理配役のひとりにねじ込んのでしょう。こういう扱いをしているから、結果的には山本富士子は大映を退社して舞台女優の道を歩むことになったかもしれません。(V110423)

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