夕やけ雲(昭和31年)

実妹の楠田芳子が魚屋を営む一家を描いた脚本を木下恵介が監督しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木下恵介監督の『夕やけ雲』です。木下恵介は松竹専属の立場で戦後18年間に39本の映画を監督しましたが、松竹の方針に従いながらも喜劇から悲劇へ、社会劇から家庭劇へと一作ごとに振り幅の大きい作品を残しています。本作は昭和30年11月公開のメロドラマ『野菊の如き君なりき』から5ヶ月後に発表された青春もので、前作で起用された田中晋二が魚屋の長男洋一を演じています。脚本は木下恵介の実妹の楠田芳子。木下組のキャメラマン楠田浩之と結婚して楠田姓となった妹の脚本を木下恵介が監督した唯一の作品でもあります。

【ご覧になる前に】東野英治郎と望月優子の両親に姉は久我美子が演じます

東京の下町にある魚屋の裏口から遠い空を眺める洋一が忙しく立ち働く母親に呼ばれて店に戻ると、嫁ぎ先から立ち寄った着物姿の姉が仏壇のおりんを鳴らして二階に上っていきました。二階の洋一の部屋には望遠鏡があり、4年前には中学生の洋一が窓からその望遠鏡で遠い街並みを観察したのです。中学時代、父親がさばいた刺身を届けるように言われた洋一はオンボロ自転車に乗るのが恥ずかしくて歩いて配達に向う道すがら「魚屋なんて大嫌いだ」とつぶやきます。弟をおんぶして子守をする妹と乳飲み子を背負った母親を尻目に会社から帰宅した姉の豊子は、恋人の須藤からネックレスをもらうんだといってはしゃぐのでしたが…。

木下恵介は妹の芳子とはひと回りも歳が離れていたので、生まれたときから芳子のことを大変に可愛がったそうです。恵介が母親の助力で東京に出ていくと、やがては芳子も兄を頼って上京し、兄の仕事場である松竹大船撮影所に出入りするようになりました。そこで知り合ったのが木下組のキャメラマンとなる楠田浩之。木下恵介が田中絹代主演の『陸軍』を撮った昭和19年に芳子は楠田浩之と結婚して楠田姓を名乗ることになりました。

楠田芳子は脚本家を目指すようになり、昭和29年に小林正樹監督の『この広い空のどこかに』で脚本家としてデビューしました。このときは潤色として松山善三の名前もクレジットされていて、山本正樹と松山善三の二人はともに木下学校の生徒と呼ばれた木下組の主要スタッフでしたから、木下恵介が二人に楠田芳子を援助するよう指示したのかもしれません。脚本二作目の『ママ横向いてて』は子役時代から活躍していた中村メイコが書いた原作を脚色したもので、第三作にあたる本作が楠田芳子が自分だけの力で生み出した最初の作品だったのかもしれません。

主人公洋一を演じる田中晋二は『野菊の如き君なりき』の政夫役に引き続いての木下組での出演で、民子をやった有田紀子も本作で一場面だけ登場します。洋一の家族のほうは豪華な配役で、父親は俳優座所属の東野英治郎。劇団を経済的に支えるために多くの映画で脇役をつとめた人ですが、それにしても本作公開の昭和31年には16本の映画に出たという記録が残っています。母親役の望月優子は劇団民藝出身ですが昭和25年に松竹と契約して映画界へ移籍。本作の3年前には『日本の悲劇』で木下作品の主役を演じています。姉豊子を演じるのは久我美子で、昭和29年に岸恵子、有馬稲子と三人で「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立したばかりの頃。ですので久我美子にとっては松竹だけでなく大映や東宝、東映と映画会社の枠を超えて出演していた時期にあたります。

本作は主人公洋一が中学生だった4年前のお話ですので、製作年度から逆算すると昭和27年という時代設定になっています。昭和27年は4月にGHQによる占領が解除され、白井義男が日本人初のボクシング世界チャンピオンになった年。主権が回復され、敗戦から立ち直ろうという時期だったと同時に、戦前の価値観がひっくり返ったことで既存のモラル自体を否定する若者たちが「アプレゲール」と呼ばれた時代でした。そんな若者たちが起こした詐欺事件や殺人事件が「アプレゲール犯罪」とマスコミから命名されたりしたことからすると、「アプレ」という言葉には当時の世相を嘆くマイナス面の意味合いが含まれていたと思われます。

【ご覧になった後で】現実を受け入れる主人公が清々しいので暗くはないです

いかがでしたか?結局は夢を諦めて魚屋を継ぐという現実を受け入れる内容なので下手をすると暗く湿った映画になりがちですが、主人公の洋一が気が進まないながらも覚悟を決める感じが伝わってきて、その清々しさに救われましたね。望遠鏡で遠くを眺めるのが好きという中学生が、父親の死や妹を叔父宅へ差し出すという状況を目の当たりにしたときに、あえて嫌っていた魚屋の仕事をしようとする決断にはいろんな要因が詰まっています。実際の人生においても重要な決断の背景にはひと言では言い表せない様々な思いや事情があるわけで、本作は洋一が魚屋になるという決断をするプロセスを丁寧に紡ぎながら語っていく、少年の成長物語になっていました。

父親の死を受けいれることや父親の遺志を無視できないこと、父亡き後の母親を助けたい気持ち、実利主義だけで生きる姉への反発心、養子に出た妹を取り返せないかという希望、北海道に行った原田君に決断を伝えた事実。まだ大人ではない洋一の心の中にはこのようにさまざまな思いがうずまいてしたことでしょう。それを丁寧に描くことによって観客に洋一の思いがダイレクトに伝わってきます。そして映画の構成はファーストシーンとラストシーンで現在の洋一を見せておいて、中学時代が本編という形式になっていますので、観客は洋一が魚屋の若主人として立派に働いていることを知っているわけです。結末を知っている観客は暗い気持ちにならずに中学生の洋一が様々な困難に向き合う状況を併走するようにして映画を見ることになります。その点で本作の脚本は一見古典的でピュアなだけに見えますけど、実は巧妙に観客の気持ちをコントロールすることに成功しているといえるでしょう。

田中晋二が『野菊の如き君なりき』に続いて自然な演技で洋一を演じているので、主人公へ感情移入しやすいのもよかったですし、現実を受け入れていく洋一の対立軸として現実を思うがままに操ろうとする久我美子のプラグマティズムな生き方も見どころでしたね。お嬢様役や正義感の強い娘役が似合うはずの久我美子が、利益のためには再婚の五十男のもとに嫁ぎ結婚後は昔の恋人との不倫を愉しむという正反対の女性を演じることによって、それはそれで否定はできないよねという感じになってくるのです。美貌とお調子の良さをもつ女性がそれを武器に贅沢な暮らしを手に入れるというのは、優秀な知力をもつ人が学問で成功をおさめるのと構図的には同じですし、人生は清貧であるべしなんてことはないわけですから。ただし楠田芳子の脚本は洋一と姉の生き方を対比しつつ、洋一寄りであることは確かでしょう。大半の人々が贅沢な生活を送れなかった昭和31年においては、ほとんどの観客が洋一の生き方に拍手を送ったのではないでしょうか。

東野英治郎も望月優子も本当に巧くて、貧しいけれど毎日一生懸命働いていて卑屈なところなんて微塵もない庶民の暮らしぶりをしっかりと演じていました。大阪のおじさんをやった日守新一も関西弁が身についていない感じはしつつもおおらかな優しさが出ていたと思います。また妹役は菊沖典子という子役で本作以外は映画出演の記録はないものの、いかにも薄幸そうな雰囲気で兄と離れ離れになる場面は涙を誘っていました。ここの場面は駅に向かうおじと妹を横からのロングショットでとらえていて、左から洋一が「きっと迎えにいくからな」とフレームインするカッティングになっています。その後でロングショットの移動が止まって妹が泣き出すのですが、平成17年の『三丁目の夕日』で吉岡秀隆が淳之介と別れる場面に似ているなあと思ってしまいました。もちろん原典は本作なんですけど。

それらとは全く別に洋一と親友の原田君の描き方に少なからずホモセクシュアルな感じがして、それは木下恵介が意識的にやっていることなんでしょうけど、中学生くらいの男子同士にはそういう親密な関係があるのだと言いたかったのでしょうか。例えば丘の上の美容院を探すところで原田君が洋一の手をしっかりと握るところ。あるいは原田君の北海道行きを知って橋の上で洋一と原田君が互いに足先を触れ合わせるところ。もちろんそれ以上ではないので単なる友情表現の範疇なのですけど、あえて手や足をクロースアップにして強調する意図が読み取りづらい場面ではありましたね。(T021123)

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