何かいいことないか子猫チャン(1965年)

ピーター・オトゥールがハンサムな浮気男を演じるイギリス製コメディです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、クライヴ・ドナー監督の『何かいいことないか子猫チャン』です。原題は「What’s New Pussycat」で、そのまま訳せば「最近どう?カワイ子ちゃん」というような意味になり、本編でも猫が出てくるわけではありません。ピーター・オトゥール演じるファッション雑誌の編集長が婚約者がいながら近づいてくる女性たちと浮気を繰り返すという恋愛喜劇で、キャプシーヌやウルスラ・アンドレスらの美人女優たちが次々に登場します。トム・ジョーンズが歌った主題歌は大ヒットして、アカデミー賞主題歌賞にもノミネートされました。

【ご覧になる前に】ウディ・アレンのメジャーでの脚本家&俳優デビュー作

精神分析医のファスベンダー教授が体格のいい妻から浮気を責められているところに患者として現れたのはファッション雑誌の編集長マイケル。彼には語学教師をしているキャロルという婚約者がいますが、普段から美女に囲まれて仕事をしているので言い寄ってくる女性と次々に深い関係になってしまうことを悩んでいたのでした。マイケルがマットの下に隠してある鍵を取り出して部屋に入ると、シャワー中のキャロルは両親が待ち望んでいるのですぐに結婚しようと迫ります。キャロルはストリップ小屋でバイトをしているビクターという小男に気のあるふりをしてマイケルの気を惹きますが、逃げ出したマイケルはストリップショーで踊っていたリズの部屋に泊まることにしたのでした…。

オリジナル脚本を書いたのはウディ・アレンで、高校時代から新聞にギャグの投稿をしていたアレンは大学を中退してからメジャーTV局のNBCで放送作家として働くようになりました。しかし多忙過ぎて精神科に通うようになった後は、スタンドアップコメディアンとして舞台に立つようになり、それが新聞や雑誌から注目されて「レニー・ブルースに次ぐ才能が現れた」と評されます。そこに目をつけたのが映画界で、ウディ・アレンはシナリオライター兼コメディアンとして本作に参加することになりました。このときウディ・アレンは二十九歳という若さで、本作の中でウディ・アレンがひとり川岸で自分の誕生日を祝う場面は本当にアレンの誕生日に撮影されたそうです。

プロデューサーのチャールズ・K・フェルドマンは『欲望という名の電車』や『七年目の浮気』の製作者で、当初は本作をウォーレン・ベイティ主演で製作する予定でした。「What’s New, Pussycat?」というフレーズもベイティがガールフレンドに電話したときにいった言葉からとったものでしたが、ベイティがレスリー・キャロンを起用しようとしたのがキャプシーヌに代わったり、脚本を書かせたウディ・アレンがどんどんとベイティの役より自分が演じる役を目立たせようとしたことで、企画段階で降りることになったそうです。

ピーター・オトゥールは舞台出身の俳優で『アラビアのロレンス』で主役に抜擢され、一躍イギリス映画界でスターの地位を獲得しました。一方でピーター・セラーズは『ピンクの豹』で演じたクルーゾー警部で人気を博し、本作の前年にはスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』で一人三役をつとめ怪演を披露しました。本作の主演は明らかにピーター・オトゥールですが、タイトルクレジットではピーター・セラーズがトップビリングされています。ピーター・セラーズのほうが七歳年上でしたし、心臓発作を起こしたセラーズにとっての復帰第一作でもあったので、妥当な順番だったんでしょうか。

次々に出てくる美女たちが本作の見どころでもありまして、ロミー・シュナイダーはオーストリア出身でアラン・ドロンと婚約していたことで有名でしたし、キャプシーヌはパリのファッションモデルから女優に転身し『ピンクの豹』でセラーズと共演しています。ウルスラ・アンドレスは言うまでもなく初代ボンドガールとして007シリーズのお色気路線を確立して以来、見事なプロポーションの肢体を売り物にして本作でも期待通りに惜しげもなく美しい身体を披露しています。

【ご覧になった後で】イギリス人にはこんなドタバタが受けるんでしょうか?

いかがでしたか?イギリス人は下ネタを好むそうですし、強い女性に対して弱い男性を自虐的にお笑いにする傾向もあるようなので、本作のような男女関係の深みにはまりながら婚約者にひれ伏すしかないマイケルという主人公は結構好みのタイプなんでしょうか。マイケルの優柔不断さが様々な男女関係のもつれを誘引してホテルでのドタバタからゴーカートでの追いかけにつながる展開がイギリス人の笑いのツボにはまるのだとしたら、ちょっと日本の観客には理解しがたいセンスと言えそうです。

とはいっても脚本はウディ・アレンなので、ブルックリンのユダヤ人家庭に育ったニューヨーカーがイギリス風喜劇を書くとこうなるという中途半端なコメディだったのかもしれません。そもそもピーター・セラーズの上から目線のアクの強さとウディ・アレンの卑屈な感じの卑猥さは最初から水と油で噛み合わないことは明白ですし、ピーター・オトゥールの持つ貴族っぽさというか大人っぽさは、ロミー・シュナイダーのおキャンな可愛らしさよりもキャプシーヌの熟れたような品の良さのほうが相性が良いように見えてしまいます。ウォーレン・ベイティが降板したのはキャプシーヌとの共演を拒否したからという話もあるそうなので、いくら人気の俳優を揃えても出演者の組み合わせが良くないと、作品自体もギクシャクしてしまうんですね。

本作で良かったのはタイトルの部分で、タイトルデザインにおけるリチャード・ウィリアムズによる読みにくいレタリングといたずらっぽいイラストの組み合わせは洒落たセンスを感じさせていました。本編の中のワイプにもそのデザインが流用されていて、作品全体のトーンを統一するのに役立っていましたね。またバート・バカラックの音楽の中でもトム・ジョーンズが歌う主題歌がかなりのインパクトを持っていて、バート・バカラックにとっても最初のヒットソングになった名曲でした。

プロデューサーのチャールズ・K・フェルドマンは、ウディ・アレン、ピーター・セラーズ、ウルスラ・アンドレスを起用して、バート・バカラックの音楽、リチャード・ウィリアムズのタイトルデザインで、二年後に『007カジノ・ロワイヤル』を作ることになります。まあ二本ともにコメディ映画としてはあんまり面白いとはいえず、音楽とデザインのセンスだけが一級品という感じで、現在でもこの『何かいいことないか子猫チャン』と『カジノ・ロワイヤル』が映画ファンの中で語り継がれているのはほとんどバート・バカラックとリチャード・ウィリアムズのおかげだといえるんではないでしょうか。

というわけで監督のクライヴ・ドナーについては全く語るべきところがなく、本作の映像や演出で面白かった部分はひとつもありませんでした。映画界には編集から入った人のようですけど、本作以外で注目すべき作品はなくTVシリーズの演出に流れていったようです。(U050823)

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