原題となっている「ウォータールー橋」での出会いと別れが描かれています
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マーヴィン・ルロイ監督の『哀愁』です。アメリカ映画なのですが、舞台は第一次世界大戦中のロンドン。戦地に赴く大尉とバレリーナがウォータールー橋で出会い、最後には別れが訪れる悲恋ものです。主演のロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーはともに美男美女としての絶頂期。ハリウッドらしい恋愛映画の王道を行く名作となっています。
【ご覧になる前に】主演の二人とともに音楽の使い方がとても印象的です
1939年9月のロンドン。イギリスがドイツに宣戦布告をしたその夜、ロイ・クローニン大佐はフランスに出発する前に車をウォータールー橋へと向かわせます。まだ若い大尉だった第一次大戦の最中、この橋のうえでマイラというバレリーナと出会ったことを思い返すロイ。空襲警報が解除されるとマイラはバレエの公演に出演するため二人は別れたのですが、マイラは「白鳥の湖」を踊る舞台から客席にロイが駆け付けたのを見つけたのでした。
舞台となったウォータールー橋はロンドンの中心部を流れるテムズ川にかかる橋で、コベントガーデンがある繁華街とウォータールー駅を結ぶ要所です。1817年に開通して1934年から改築が始まったそうですから、本作の舞台となっている1915年前後は昔風の優雅な造りだったようです。このウォータールー橋から南に少し歩いたところにあるのがウォータールー駅で、現在でもロンドンで最大の乗降客数を誇る一大ターミナル駅です。東京でいえば新宿に相当するイメージでしょうか。
原作は舞台劇として書かれた台本で、本作の10年くらい前にも一度映画化されているのですが、MGMに引き抜かれたマーヴィン・ルロイ監督がリメイクして大ヒットさせました。マーヴィン・ルロイは特段目立った演出スタイルを持たないオーソドックスな監督といわれていたようで、本作も実に堅実につくられていて、悲恋ものとしてのストーリーラインを丁寧に紡いでいくような作り方をしています。そのわかりやすさが戦後の日本で昭和24年に公開されたときの大人気につながったのでしょう。橋の上で出会うというシチュエーションはラジオドラマの「君の名は」に転用されて、ウォータールー橋は数寄屋橋となって真知子と春樹の恋愛物語に引き継がれることになります。
なにしろ主演のロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーの美男美女コンビの圧倒的な美しさが見どころです。ロバート・テイラーは本作製作時に二十九歳ということで、年齢の割には落ち着いた軍人役をどっしりと演じています。かたやヴィヴィアン・リーは二十六歳あたり。美しくも野性的で自立した主人公スカーレット・オハラ役を演じた『風と共に去りぬ』でオスカーを受賞したばかりで、英国人俳優ローレンス・オリヴィエと恋に落ち、双方が離婚協議を進めるという時期でした。ヴィヴィアン・リーは、デヴィッド・O・セルズニックの招きでイギリスからアメリカへ進出したアルフレッド・ヒッチコックの『レベッカ』のオーディションを受けたそうですが、ヒッチコックから「若々しさや誠実さが欠けている」と評されて、結局『レベッカ』の主役はジョーン・フォンテーンが獲得することになります。そんな経緯があって本作への主演が決まったのですが、当初ロイ役は互いに離婚が成立して結婚することになったローレンス・オリヴィエが予定されていたのだとか。しかしヒットを狙ったMGMは甘いマスクで人気上昇中だったロバート・テイラーを抜擢。結果的にロバート・テイラーの代表作になったとともに、ヴィヴィアン・リー自身も自作の中で個人的なお気に入りとして認める作品になりました。
映画の中で使われる音楽はどれもおなじみの曲ばかり。中でも「蛍の光」として知られているスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」がロイとマイラのダンスシーンで繰り返されて、非常に印象的に使用されています。日本に紹介されたのは明治10年代ということですから、日本でもすっかり別れの曲(あるいは閉店の曲)として定着していますよね。
【ご覧になった後で】脚本がよくできていて、ラストには思わず泣けてきます
いかがでしたか?ウォータールー橋で運命的に出会ったロイとマイラがいっときの幸せを経験しながら、結果的には出会ってしまったために不幸な結末を迎えるという悲劇が、きちんとした脚本でしっかりと描かれていました。休暇が短縮されるとか教会が閉まってしまうとか新聞の訃報欄を見てしまうとか、偶然がほんの少しずつ重なり合ってそれが悲しい最後に向けて収斂していくストーリーラインが実に見事でした。
その中で効果的に使われていたのが、マイラが持っていた幸運を呼ぶお守り。マイラからロイに手渡され、ロイから再びマイラのもとに帰り、そしてウォータールー橋の上に転がることになるお守りの変遷が、実現されなかった二人の悲哀を象徴化していましたね。このお守りはビリケンと呼ばれる人形を型取っていまして、ビリケンさんといえば大阪通天閣のイメージですが、実はアメリカのフローレンス・ブレッツという女性が1908年にデザインしたキャラクターなのです。ビリケンという名前はブレッツの親友が新聞に連載していたファンタジーシリーズのタイトル。そしてブレッツは和服を着るなど日本文化に興味を持っていたそうで、オリエンタリズム溢れるデザインの大元には日本の存在があったのでした。
また教会が午後3時以降の結婚を認めないというのは、当時秘密の結婚を防ぐために結婚式の時間制限が英国で法律化されていたのだとか。1837年に正午までと定められていたのが、1886年に午後3時までに拡大され、1934年に午後6時までOKになりました。で、時間制限自体が廃止されたのはつい最近で2012年のこと。まあ時間制限がなくなったからといって深夜に結婚するにしても、教会もやってないでしょうし。
マーヴィン・ルロイの演出は地味で堅実ですが、その中でキャンドルライトクラブで「オールド・ラング・サイン」の演奏で踊るロイとマイラがシルエットになって浮かび上がる映像は実に美しかったですね。特筆すべきはヴィヴィアン・リーの横顔の完璧さ。シルエットにしてあそこまでパーフェクトな横顔のラインはヴィヴィアン・リー以外にはないのではないでしょうか。本当に一点の曇りもない正確無比なラインでした。
主演の二人に注目が集まる中で、忘れてはならないのがキティ役のヴァージニア・フィールドです。マイラとロイが結婚すると聞いて我が事のように喜んだり、ロイを見送って舞台に立てなかったマイラが責められるのを擁護しようとしたり、病気になったマイラを献身的に支えたりと、こんなに気立ての良い女性がいるわけないと思いつつ、結果的に娼婦になるキティの存在が天使のように見えてくるのです。中でもバレエ団のマダム(この女優はロシア人らしいですな)がAKB48よろしく「我がバレエ団は恋愛禁止」といって冷酷無比にマイラに解雇を言い渡す場面で我慢を爆発させてしまうのが、結果的にマイラとキティの転落のきっかけになってしまうのがいかにも皮肉な展開でした。このヴァージニア・フィールドという女優、本作ではしっかり者の姉御という雰囲気でしたけどヴィヴィアン・リーより四歳も若いんですよ。
本作を見ると、かつて悲恋ものというのは映画の確固たるジャンルのひとつだったんだなーとしみじみとしてしまいます。それもロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーのような絶対的な美を表現できる俳優がいたからこそ成り立ったんでしょうね。差別するわけではありませんが、美男美女以外では悲恋ものになりませんし、逆にハッピーエンドでは映画としてはつまらなくなってしまいます。こうしたジャンルが見られるのもクラシック映画の魅力のひとつですね。(V011722)
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