東京五人男(昭和20年)

終戦直後に作られた喜劇で配給物資の横流しを阻止する五人の男が活躍します

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、斎藤寅次郎監督の『東京五人男』です。昭和20年8月の敗戦によって焦土となった東京では多くの市民たちが掘っ立て小屋のようなバラックに住み食料などの物資はすべて政府の統制下におかれた配給に頼っていました。本作はその配給物資を横流しする土地所有者や資本家たちの悪事を徴用から戻って来た五人の男たちが暴く痛快喜劇になっていて、戦前の有名コメディアンが総出演しています。バラックが暴風雨で流される場面が出てきますが、ミニチュアを使った撮影は円谷英二におる特殊技術によるものです。

【ご覧になる前に】GHQの責任者デヴィッド・コンデが大喜びした作品です

東京に向かう列車は戦争が終わって家に戻る人々で超満員です。工場での徴用から戻った五人の仲間たちも焦土となって荒れ果てた東京の街を見下ろして自分たちの手で復興させようと誓い合うのですが、バラックのような家に戻るとそこでは五人の葬式が営まれていました。すっかり戦死したと思い込んでいた妻たちはお経を読んだ坊主にお布施を渡して帰らせて夫の帰還を喜ぶのですが、五人は貧窮した生活を見てすぐに仕事を見つけに出かけます。市電の運転手と車掌、配給所や酒場の手伝いと仲間が仕事につく一方で、メガネをかけた男ヤモメの古川だけは疎開している息子のために農家に行って食べ物を調達しようとするのですが…。

昭和20年9月からGHQによる占領統治が始まり、メディアとして影響力のあった映画は民間情報教育局(CIE)の映画演劇課の管理下に入ることになりました。その責任者がデヴィッド・コンデというアメリカ人で9月下旬には早速映画製作会社の幹部約40名を集めて映画製作の方針を下達しました。軍国主義を撤廃して自由主義を促進するという基本線に沿って10項目に渡る指針が示されたときに、コンデは撮影所の接収とか実務的な質問を受けると思っていたようですが、各映画会社の幹部の反応はコンデの予測と違っていたといいます。

その当時大映社長だった菊池寛は「時代劇は大人の童話みたいなものだから禁止しなくてもいいはず」と主張し、松竹の城戸四郎は「撮影所に共産党分子が入り込む危険がある」と危惧を示し、東宝の森岩雄は「日本の民主化は百年かかるだろうからそんなに急に制作方針は変えられない」と答えたそうです。GHQは森の発言にだけはメチャクチャ怒ったようで、11月には「仇討ちもの」など13項目に関わる内容の映画を製作禁止とすると同時に製作前に企画書とシナリオを英訳して提出させる事前許可制を始めました。戦時下において内務省が映画法のもとに検閲していたのが、戦後にはその主体がGHQに変わっただけのようなものですね。

GHQによる厳しい縛りが出来てしまったので、各映画会社は能天気でお気楽な娯楽映画ばかりを作ろうとして、GHQがもっと思想性のある自由主義教宣作品を作るよう撮影所に乗り込んできたこともあったそうです。映画会社のほうでもGHQがうるさいし、新作を作るのも許可が要るので面倒になって、GHQが戦前の軍国主義的映画を没収した後に残ったフィルムを安易に再編集した旧作ダイジェスト版を上映するようになりました。衣笠貞之助監督・長谷川一夫主演の『雪之丞変化』のフィルムが総集編しか残っていないのはこの時期のGHQ方針逃れの結果なのだと佐藤忠男氏が振り返っています。

そんな中で新作として製作されたのがこの『東京五人男』で、後に黒澤映画のプロデューサーとして活躍する本木壮二郎が製作の指揮を執り、斎藤寅次郎が監督をつとめました。斎藤寅次郎はサイレント期の松竹でナンセンス喜劇を手がけていましたが、家庭劇を重視する城戸四郎が撮影所長になると冷遇され、東宝に移籍してエノケンやロッパ、エンタツ・アチャコ主演の喜劇映画でヒットを飛ばしていました。本作はその斎藤寅次郎による戦後初監督作品で、エノケンこそ出ていませんが、古川ロッパ、横山エンタツ、花菱アチャコ、柳家権太楼といった戦前に大人気だったコメディアンが総出演しています。

喜劇ながらも物資の横流しを阻止したり地権者に土地を解放させたりして市民が権力者と資本家に打ち勝つという内容がデヴィッド・コンデの気に入ったようです。なかなか自由主義的雰囲気を喧伝する映画が出てこない中で、GHQも太鼓判を押すような内容となったためでしょうか、本作は完成直後の昭和20年12月の年末に有楽町の日本劇場で封切られています。一般公開は昭和21年正月なのですが、いちおう初公開が年末だということで大船シネマでは本作を昭和20年の作品として扱いたいと思います。

【ご覧になった後で】五人の中ではのんき節を唄う石田一松が印象的でした

いかがでしたか?昭和20年秋に製作された映画なのに完成度が高い喜劇になっているのにはびっくりしてしまいますよね。ストーリーの中で五人のキャラクターがうまく機能していますし、暴風雨から市民の行進までの終盤の流れも良いです。配給物資を巡る地権者や配給所長など一部の人たちの悪事をはっきりと描いていることでGHQが意図する思想性も含まれていました。占領直後のGHQではCIEが主導権を握っていましたから、土地の解放とか物資の共有みたいなやや共産主義的な解決法が余計に好まれたのかもしれません。

ちなみにデヴィッド・コンデは映画会社における労働組合の設立を促進して東宝争議の要因を作ったともいわれていて、昭和22年にはGHQの役職を解かれアメリカに戻っています。その後は昭和30年代後半に再来日して「朝日ジャーナル」や「世界」などの雑誌に寄稿するなどジャーナリスト的活動をしましたが、どうやらアメリカ本国では出版歴などはなく、アメリカ共産党員でもあった模様です。まあGHQとはいってもアメリカからすればわざわざ貧しい極東の国に赴任して占領業務に就く人材を集められなかったのかもしれず、日本人からみればGHQの課長で偉い人というイメージだったんでしょうが、このコンデという人は単なるヤマ師のような人物だったのかもしれません。

映画の内容に戻ると、五人のコメディアンはそれぞれに個性を発揮していて、やや哀愁のあるヤモメ男の古川ロッパは息子と風呂に入る場面でいい味を出していましたし、エンタツ・アチャコの漫才コンビはバラックの壁が回転扉のようにして回るセットの面白さをうまく使っていましたね。柳家権太楼は戦前には東宝名人会で活躍する人気落語家だったそうですが、本作で登場場面があまり多くないのはひょっとしたら製作時に高座の仕事が重なっていて撮影スケジュールがとれなかったためでしょうか。

そんな中で一番印象的なのは東京吉本興業所属の石田一松で、五人の中で唯一東京の復興のために貢献しようと一生懸命に行動する人物を好演していました。印象が良いのはそれが正義感みなぎる熱血漢風に見えないところで、いろんな案件に泰然自若と対応して結果的に誰かのために役立っているという役どころだったのが石田一松にぴったりだったと思います。孫にミルクを飲ませたいという老婆のために書類にハンコをもらいに周るところでも自転車を盗まれてもうろたえませんし、会議中や食事中が多い役所の対応を見ると黒澤明の『生きる』の元ネタのようにも見えてきます。

本作の中で披露しいている「のんき節」は石田一松の持ち芸だったそうで、「会議は会議のためにする/次の会議はいつやろと/今日も会議をしています/へゝのんきだねー」という歌詞は現代の企業経営者に聞かせたいような皮肉にあふれていました。ラストで五人を代表して演壇に上がるのも石田一松が一番お似合いに感じられますし、ただ単にアジるのではなくきちんと五人で話し合って、そのうえで地権者を引っ張り出して自ら土地解放を宣言させるなんてのも、非常にリベラルなキャラクター感が伝わってくるようでした。

この石田一松という人は、広島から上京して昭和初期に国産レコードが量産されるようになった時期にコメディ歌手として売り出し、後に東京吉本の所属芸人になりました。本作出演後の昭和21年4月に行われた戦後初の衆議院議員選挙に立候補してその知名度をいかして見事当選、当時は「芸能人代議士」と呼ばれたそうです。後に首相になる三木武夫がいた国民協同党で政治活動していましたが、昭和30年の総選挙で落選してしまい、その翌年には長年常用していたヒロポン中毒が原因となって五十三歳で亡くなりました。広島に残した妹たちや家族を原爆で一人残らず失ったといいますから、コメディアンでありながら悲劇的な人生だった模様です。

円谷英二は戦意高揚映画で特技監督として活躍していましたから戦後すぐのこの時期には「円谷英一」と名前を変えて参加しています。しかしGHQは、映画産業の従事者はみんな会社の方針のもとで戦意高揚映画を作らされていただけだと言って経営幹部のみを公職追放の対象とし、映画監督をはじめ現場の人たちは誰一人処分対象にはなりませんでした。映画メディアを有効に使うために製作するスタッフがいないと映画が公開できないという現実的な選択をしたためだったようですけど。

円谷英二の特撮シーンはまあそれほど注目すべき点はありませんでしたが、ラストで市民が行進する映像を見ると、見渡す限り焼け野原でなにもなく、戦後すぐの東京はどこもかしこもこんな広場のような感じだったんだなとあらためて戦災のリアリティを感じてしまいました。しかしそこを行進する人たちのなんと明るいことでしょうか。たぶん東宝撮影所にいるありったけの人をかき集めて高台から俯瞰で撮影したんだと思いますが、何もない焼け野原でも戦争のない日々がいかに貴重で嬉しいものかが伝わってくるような映像でした。(Y042123)

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