裸の町(1948年)

ニューヨークの街を舞台にオールロケで撮影された犯罪捜査の傑作

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジュールス・ダッシン監督の『裸の町』です。ハリウッドのメジャー各社は広大な敷地に建てたスタジオを所有していて、ほとんどの映画がセットを組んでスタジオの中で撮影されていましたが、マーク・ヘリンガーが製作した本作はスタジオやセットは一切使用せず全編ニューヨークを舞台にオールロケで撮影されました。1948年度のアカデミー賞では脚本賞はノミネートどまりだったものの、撮影賞と編集賞を受賞しています。

【ご覧になる前に】製作者マーク・ヘリンガーの遺作となりました

空から映したニューヨークの街で人々の様々な営みが紹介される中で、あるアパートメントの一室では金髪の女性が二人の男たちに襲われ、浴室に水が張られます。翌朝お手伝いの女中が部屋を空け、浴槽で溺れ死んだジーン・デクスターを発見します。事件の知らせを受けたニューヨーク市警第10分署のマルドゥーン警部補は歩いて出勤してきたハロラン刑事とともにとともに現場に向かうと、検視官から溺死ではなく殺人だと聞かされます。女中からパジャマの持ち主やジーンの勤務先を聞き出した警部補はモデル仲間のルースの婚約者ナイルスを呼び出し訊問するのでしたが…。

ウィージーとして知られる写真家アッシャー・フェリグが1945年に出版した写真集「Naked City」はニューヨークで起きた様々な事件現場を撮影したことから注目を浴びました。ウィージーは写真家としての仕事を続ける一方でハリウッドで映画製作に関わるようになり、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』では特殊効果アドバイザーをつとめています。

ウィージーの写真集にインスピレーションを受けたのが、ユニバーサルピクチャーズでプロデューサーをしていたマーク・ヘリンガー。ヘリンガーはウィージーを本作のコンサルタントに雇い入れ「Naked City」のタイトルで映画の製作をスタートさせます。ヘリンガーは、ニューヨークでのオールロケーション撮影を決行し、撮影していることを街の人々に気づかれないよう、トラックの荷台にキャメラを隠したり偽の新聞スタンドを作ってキャメラを仕込んだりしたそうです。またジャグラーに芸をさせ、ある男に街頭演説をさせて人々の注意をそらすなどして、俳優に注目が集まらないように工夫を凝らしました。

『殺人者』に大ヒットでユニバーサルに貢献したヘリンガーは『真昼の暴動』で組んだジュールス・ダッシンを続けて監督に起用。マルヴィン・ウォルドとアルバート・マルツに脚本を書かせました。本作は1948年度アカデミー賞で脚本賞にノミネートされているのですが、対象となったのはマルヴィン・ウォルドだけでアルバート・マルツは除外されています。当時はマッカーシー上院議員による赤狩りが進められていて、非米活動委員会の召喚・証言を拒否したいわゆる「ハリウッド・テン」が1948年に議会侮辱罪で有罪判決を受けました。アルバート・マルツはその10人のうちのひとりだったので、推測ですけどアカデミー協会が忖度して賞の候補者から外したのではないでしょうか。

監督のジュールス・ダッシンも映画界に入る前に共産党支持者だったという過去があったため、ブラックリストに挙げられてハリウッドから追放されました。ヨーロッパに渡ったダッシンは1955年の『男の争い』でカンヌ国際映画祭監督賞を獲得。1957年の『宿命』などを作った後に1960年の『日曜はダメよ』でやっとアメリカ映画への復帰が許されるようになるのでした。

タイトルに「Mark Hellinger’s The Naked City」とあえて自分の名前を冠したマーク・ヘリンガーは、本作完成後心臓発作で急逝してしまいます。よって本作は製作者マーク・ヘリンガーの遺作でもあるわけですが、ヘリンガーが死んだことでユニバーサルピクチャーズの幹部たちは興行的な失敗を恐れて本作の公開中止を検討することになりました。しかしヘリンガーの遺族が契約書に「公開保証」条項が含まれていると主張。結果的に劇場公開された本作は大ヒットを記録して、オスカーも2部門で獲得することになったのですから、ユニバーサルの幹部たちの目は節穴だったわけですね。

【ご覧になった後で】ウィリアムバーグ橋の追跡場面が見事でした

いかがでしたか?リアリズムを追求したセミドミュメンタリータッチの傑作として名高い本作ではあるものの、クライマックスのウィリアムズバーグ橋に至る追跡シーンは『フレンチコネクション』でポパイが犯人を執拗に追う場面を見ているようなエキサイティングな演出が光っていました。というか『フレンチコネクション』が本作を真似していたんだなということがやっとわかったような気がしました。『フレンチコネクション』では地下鉄と道路の高低差が追跡を面白くしていたのですが、本作での主塔と橋桁を置き換えていたわけです。本作では主塔に登った犯人の視点でニューヨークの街を見下ろすショットにインパクトがあって、日常と非日常の一体化というか平凡で安全な暮らしと殺人犯人の最期が表裏一体で共存しているのがニューヨークそのものであるということが見事に映像化されていたと思います。

マーク・ヘリンガーのナレーションが狂言回しみたいになっているところも面白かったですね。冒頭の空撮ではニューヨーク愛みたいなものが感じられましたし、特にテッド・デ・コルシア演じる犯人に向って「急がないと捕まるぞ」みたいにアドバイスするあたりに妙味がありました。本作は本編が終わった後にクレジットタイトルが流れる初めての映画だったそうで、マーク・ヘリンガーのクレジットが「Produced and Narrated by」と出てくるのも、ヘリンガー自身のナレーションへのこだわりが垣間見えるようでした。ヘリンガーの早逝はハリウッドにとって大きな痛手だったと思われます。

登場人物に比較的特徴のない普通っぽい俳優をキャスティングしたことで、演技をしていることを観客に意識させないドキュメンタリータッチが強調されていました。ハロラン刑事を演じたドン・テイラーは当時まだ駆け出しで、後に『花嫁の父』でエリザベス・テイラーの恋人役を演じるくらいになりますが、意外なことに監督業に進出して『続・猿の惑星』や『オーメン2』などの監督をつとめることになります。一方で唯一のスターは警部補役のバリー・フィッツジェラルド。『我が道を往く』でアカデミー賞助演男優賞を受賞済みの人で、出演歴を見て『そして誰もいなくなった』のあの人だとわかったのですが、あわてず騒がず飄然としていながらも締めるところはきっちり締めるという敏腕ぶりが頼もしかったです。

犯人像がつかめない展開になるとバリー・フィッツジェラルドが黒板に「J・P・マギリカディ」と書いて、マギリカディを探せと指示を出します。この「マギリカディ」という名前は、アガサ・クリスティが書いたミス・マープルシリーズの第四作「パディントン発4時50分」という1957年刊行の推理小説に転用されていまして、殺人事件の目撃者がミス・マープルの友人のエルスペス・マギリカディという名前になっているのでした。

キャメラマンのウィリアム・H・ダニエルズは1930年にグレダ・ガルボ主演の『アンナ・クリスティ』でアカデミー賞撮影賞を受賞済みで、本作で二度目のオスカーを獲得しています。オールロケ撮影ですから特に室内撮影はスタジオセットではないわけで、キャメラポジションや照明など撮影上多くの制約条件があったはずです。にも関わらず、どのショットもスタジオ撮影と遜色ないように撮られていて空間の狭さを感じさせませんし、屋外撮影では手持ちキャメラでのショットも多かったはずなのに、画面のブレなどもほとんど気になりませんでした。

というわけでマーク・ヘリンガーの遺作となった本作は非常に価値あるフィルムノワールの傑作ではあるものの、どうしても納得がいかないのはなぜ映画の冒頭で二人組の犯人が金髪美女を殺さなければならなかったのか、殺人の動機が何だったのかがきちんと描写されていなかったことでした。ナイルスとジーンがグルになってストーンマン医師を脅して富裕層顧客の留守宅を狙い、ガルザたちを実行役として金品強奪を繰り返していたというのが犯罪の実態です。ナイルスのセリフでガルザたちが報酬に不満を持ちジーンから宝飾品を奪ったということが説明されますけど、それならば分け前を手に入れればそれで済むはずですから、ジーンを殺す必要はありません。ハロラン刑事に見つかったときも「レスラーだけど賢いんだ」と啖呵を切るくらいのガルザであれば、ジーンを殺して何の得にもならないことはすぐにわかりますし、さらに相棒役を殴って海に放り込んで殺人を重ねるのも全くの無駄です。ここのところだけはシナリオの不備でしかなく、作品の完成度を大きく落とす要因になっていたのではないでしょうか。

しかしながらハリウッドにおいてオールロケでも傑作を作ることができると証明した最初の作品でもあり、映画産業の現場であるハリウッドが管理部門の拠点として敵視してきたニューヨークの街自体が撮影現場になり得ることを実証してくれた作品がこの『裸の町』だったわけであります。双葉十三郎先生もレナード・マルティン氏も傑作一歩手前の評価をつけていますので、ハリウッド映画史に刻まれる価値は有していると思います。(P123125)

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