コンチネンタル(1934年)

原題は「The Gay Divorcee」で、日本では主題歌がタイトルになりました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マーク・サンドリッチ監督の『コンチネンタル』です。元はアステアが主演していたブロードウェイミュージカルの「The Gay Divorce」(陽気な離婚)で、映画化に際して題名が「The Gay Divorcee」(陽気な離婚女性)に変更されました。「離婚」という言葉がカトリックの観客にとっては不適当だと判断されたのだそうです。日本ではそんな原題は全く無視して、この映画のクライマックスで流される主題歌「コンチネンタル」をそのままタイトルにしたのですが、邦題としては『トップ・ハット』のようなキャッチーなタイトルには明らかに負けていますよね。内容はなかなか上出来なので、題名で損をしている作品です。

【ご覧になる前に】アステア&ロジャーズの記念すべきコンビ第一作

パリの旅行を楽しんだダンサーのガイと弁護士のエグバートのふたりはロンドンに移動します。船着き場で出会った金髪の女性ミミにガイは恋をしますが、ミミはガイに会おうとしません。実はミミは地質学者の夫との離婚を考えていたのでした。ミミの叔母が離婚の相談をした相手はエグバート。ロンドンに近い海辺のホテルで、ミミの離婚作戦が始まるのですが…。

フレッド・アステアは姉のアデルとのコンビを組んで舞台で大活躍していました。アデルとのコンビを解消して活躍の場を映画界に移そうとしますが、『空中レビュー時代』のダンスシーンで一緒に踊ったジンジャー・ロジャーズと新たなコンビを組むように勧められます。ソロでやりたいという意向をもっていたアステアですが、やがてジンジャーとのコンビ結成を承諾。『コンチネンタル』でスタートした「アステア&ロジャーズ」のミュージカルは、このあと『トップ・ハット』など7作品が作られることになります。

ミミの叔母のセリフで出てくるのが「あのときは恐慌だったから結婚していなかったかも」。本作は1934年の製作ですが、1929年9月の株価大暴落から始まった世界恐慌の傷跡がまだ生々しい時代だったのでしょうか。民主党の大統領候補フランクリン・D・ルーズヴェルトが「ニュー・ディール政策」を掲げて第32代アメリカ合衆国大統領に当選したのが1932年のこと。大規模な公共事業を推進して経済が回復基調に入り始めたのが1933年のことですから、『コンチネンタル』はやっと人々の暮らしにも光が見え始めた時期に公開されたのでした。

アステア&ロジャーズシリーズを製作・公開したのはRKOスタジオ。1930年代にはハリウッドには大手映画会社が8社あって、ビッグファイブと呼ばれたのが、MGM、パラマウント、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザーズ、そしてRKOでした。ちなみにリトルスリーが、ユニバーサル、コロンビア、ユニヴァーサル・ピクチャーズで、これで合計8社です。RKOはビッグファイブの中に入ってはいるものの、撮影所は端から端まで歩いて行かれるほどの狭さで、ミュージカル映画の王様MGMにはとてもかなわない弱小映画会社でした。RKOとは「ラジオ・キース・オーフィウム」の頭文字で、所属俳優の中で有名だったのはキャサリン・ヘプバーンくらいなもの。ですので、RKOは次の時代のスターを探していて、副社長だったデヴィッド・O・セルズニックがブロードウェイで活躍していたフレッド・アステアに目を付けたのだそうです。セルズニックはMGMからパラマウントを経てRKOに移籍していた時期。このあと独立してあの『風と共に去りぬ』やヒッチコックの『レベッカ』を製作するプロデューサーとなります。アステアをハリウッドに呼び寄せたのはセルズニックですから、まさに慧眼の士だったわけですね。

【ご覧になった後で】スタンダードナンバー「夜も昼も」の初登場作品です

いかがでしたか。映画の中盤で、ジャズのスタンダードナンバーにもなっている名曲「夜も昼も」をアステアが歌う場面が出てきましたね。実はコール・ポーター作詞・作曲による「Night and Day」は、この映画の元になった舞台「Gay Divorce」の主題歌。映画化にあたっては、「夜も昼も」以外の曲はすべてカットされてしまい、クレジットタイトルでも「Music &Lyrics」の一番上に「”Night and Day” by」としてコール・ポーターの名前が出てくるだけの扱いになっていました。おまけに舞台用に作られた曲だということで、アカデミー賞候補の対象から外されて、コン・コンラッドとハーブ・マジソンによる「コンチネンタル」が主題歌賞を受賞。なんとも皮肉な結果となったのですが、21世紀の今でも歌い継がれているのは、間違いなく「夜も昼も」なのです。スタンダードナンバーになる曲を正当に評価しなかったのは、アカデミーの失態だったと言えるでしょう。

その「夜も昼も」と「コンチネンタル」のミュージカルシーンは、ともにすばらしい出来栄えでした。「夜も昼も」のアステア&ロジャーズコンビのエレガンスなダンス。「コンチネンタル」では白と黒の衣裳の男女がくっきりと分かれて踊る集団ダンス。どちらも本作の最高の見どころになっていました。しかしながら、フレッド・アステアのダンスは、今見るとやや急ぎすぎというか青いというか余裕がないというか、後年の映画で存分に見せてくれる「緩急を使い分ける正確無比な絶対的優雅さ」は、本作ではその片鱗が見られる程度になっています。それでももちろんアステアらしさ、アステアならではのステップは十分に堪能できます。特にジンジャー・ロジャーズを抱えて踊るところのコンビネーションは、ふたりで相当な練習を重ねた結果だと思われるところが多々あって、ホテルの部屋で机を跨いでいくダンスなどは、その動きの精巧さに見とれずにはいられませんでした。

アステアは『空中レビュー時代』での自分の出演シーンを見たときに、二度と見たくないというほど落胆したのだとか。洋梨を逆さにしたような顔の輪郭と薄くなった頭が、舞台では目立たなかったものの、映画で大写しされると自分の弱点に見えたのだそうです。でも顎のとがったシャープな顔立ちは結果的にはアステアのエレガンスさを強調することになりましたし、頭髪はウィッグをつけることで解消されました。映画評論家の淀川長治氏は、来日したアステアが帝国ホテルに宿泊していると聞き、本人に連絡すると、すぐに会ってくれることになったと語っています。当時の淀川氏が勤めていた会社は泰明小学校のすぐ目の前にあり、帝国ホテルの近くです。アステアは「じゃあ、そこまでぼくが歩いていくよ」と気軽に淀川氏の会社を訪問してくれたそうで、しかもかつらもかぶっていなかったのだとか。全く気どりのない紳士で、スラックスをベルトの代わりにシャレた紐でとめていた姿がなんとも粋だったらしいです。本作でも、ロンドンのホテルの場面でほんの少し、スラックスをとめた紐が映っていましたね。

ジンジャー・ロジャーズは二十三歳でさすがに若くて美しいですし、変なオペラを歌いながら登場するイタリア人トネッティを演じるエリック・ローデスはブロードウェイの舞台でも同じ役をやっていました。叔母役のアリス・ブラディもコミカルな演技で笑わせてくれて、ミュージカル映画でも脇がしっかりしていると映画自体に幅が出てきますね。レストアされていないバージョンでしたので、画像も音も今ひとつでしたが、1930年代の名作ミュージカルが気軽に見られるのはなんともラッキーなことだと思います。(A102821)

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