MUSICAL

外国映画

上流社会(1956年)

音楽・歌・演技・演出、それをとってもデラックスですし、映画全編が品格に満ちています。MGMの黄金時代を象徴する作品で、グレース・ケリーの美しさを堪能できる歴史的な映像遺産として、末永く残していきたいものですね。
1950年代

紳士は金髪がお好き(1953年)

このミュージカルコメディと次作の『百万長者と結婚する方法』の成功によってマリリン・モンローは一躍ハリウッドの一流スターとしての道を駆け上っていくことになるのでした。
1940年代

ブルー・スカイ(1946年)

当初ビングの相手役はポール・ドレイパーが演じていましたが、主演女優のジョーン・コールフィールドとウマが合わず、急遽アステアが演じることに。また、監督のヘイスラーも実は代役で、アステア&ロジャーズコンビの最初の共演作を撮ったマーク・サンドリッチが監督に指名されたのですが、撮影の途中で心臓発作のため亡くなってしまったのです。
日本映画

お転婆三人姉妹 踊る太陽(昭和32年)

昭和30年代前半にこんな和製ミュージカル映画があったのは驚きで、しかもいい加減な作り方ではなく、しっかりとハリウッドミュージカルの基本パターンを踏襲しているのです。
1940年代

夜も昼も(1946年)

この映画はたくさんのミュージカルで作詞・作曲を担当し、数多くのスタンダード・ナンバーを世に送り出したコール・ポーターの伝記映画。音楽家の伝記ものとしては『グレン・ミラー物語』や『愛情物語』と同じ系列の作品で、本作も「コール・ポーター物語」という邦題のほうがわかりやすかったかもしれません。
1940年以前

コンチネンタル(1934年)

元はアステアが主演していたブロードウェイミュージカルの「Gay Divorce」(陽気な離婚)で、映画化に際して題名が「The Gay Divorcee」(陽気な離婚女性)に変更されました。「離婚」という言葉がカトリックの観客にとっては不適当だと判断されたのだそうです。
外国映画

百万弗の人魚(1952年)

主演はエスター・ウィリアムズ。実際に競泳選手として活躍して本当ならオリンピックにも出場していたレベルだったとか。水泳のスキルをいかして水中ショーに出ていたところをハリウッドにスカウトされてMGMで大スターになったのでした。
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