吉田喜重

日本映画

血は渇いてる(昭和35年)

『ろくでなし』で監督昇格を果たした吉田喜重はマスコミが「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と名付けた勢いに乗って監督第二作を公開しました。企業の宣伝広告やマスコミを揶揄する風刺的な社会劇になっていて、マスコミに反転攻勢するような姿勢を示しました。
日本映画

ろくでなし(昭和35年)

昭和35年6月に公開された大島渚監督の『青春残酷物語』をきかっけに松竹の新人監督たちの作品が「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」として売り出されることになりました。本作は翌7月に公開された吉田喜重の第一回監督作品で、吉田喜重自ら脚本を書いています。
日本映画

秋津温泉(昭和37年)

岡田茉莉子が自身の映画出演が100本に到達するというので、当時のベストセラー作家だった藤原審爾の出世作「秋津温泉」を映画化することを自ら提案した作品で、昭和37年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選ばれるなど高評価を得ました。
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