小池一夫・上村一夫のマンガを藤田敏八監督が梶芽衣子主演で映画化しました
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、藤田敏八監督の『修羅雪姫』です。もとになったのは小池一夫作・上村一夫画のマンガで、東宝系の映画製作会社である東京映画によって製作されました。監督の藤田敏八は日活出身、主演の梶芽衣子は日活から東映に活躍の場所を移していて、東宝色が感じられるのは黒沢年男しかいない各界寄せ集め作品になっています。クエンティン・タランティーノが本作の大ファンで、この作品から『キル・ビル』シリーズを発想したというのは有名なお話です。
【ご覧になる前に】牢獄で産み落とされた雪が母親に代わって復讐するお話
雪が降りこむ女囚牢獄で小夜が女の赤ん坊を産み落としました。かつて四人の男女に夫と幼い息子を殺された小夜はそのうちの一人を殺害した罪で服役していたのですが、残る三人の復讐を雪と名付けられた子に託して死んでいきます。二十年後、道海和尚に厳しい修業を受けた雪は、番傘に仕込んだ刀で浅草の元締め柴源を斬り捨てます。柴源を始末した代わり各地の乞食を束ねる松右衛門に雪が要求したのは、残る三人の居所を突き止めること。松右衛門の情報でまず浮かび上がった竹村伴蔵を訪ねると、雪は病身の伴蔵を看病する娘小笛と出会ったのですが…。
原作のマンガは昭和47年2月から一年余に渡って週刊プレイボーイ誌に掲載されました。上村一夫といえば代表作として「同棲時代」が思い出されるのですが、この「修羅雪姫」は漫画アクション誌に「同棲時代」が連載開始される一ヶ月前にスタートしています。上村一夫はほぼ同時期にこの二作を並行して描いていたことになり、最盛期には月に400枚の原稿を書いていた上村一夫ですから、キャリアのピーク期の作品にあたります。ハードワークがたたったわけではないでしょうが、喉頭がんで四十五歳の若さで亡くなったのは残念なことでした。
上村一夫に原作を提供した小池一夫は学生時代に「桃太郎侍」の作者山手樹一郎に師事して小説家を目指すも断念し、さまざまな職業を転々としたのちにさいとう・たかをが主宰するさいとうプロダクションに入って「ゴルゴ13」や「無用之介」の原作づくりに関わることになりました。昭和45年に独立すると小島剛夕と組んで「子連れ狼」を発表し、以降はさまざまなマンガ家とのコンビでマンガに原作を提供しますが、その原作は映画のシナリオを意識していてト書きにとどまらず演出法まで書き込まれたものだったそうです。マンガ家がその制約に合わせて作画する手法をとらざるを得ない中で、小池一夫は上村一夫だけは特別扱いしたそうで、どんな絵にするかは上村一夫に任されていたのでした。
少年マガジンや少年サンデーなど週刊誌が主体となっていたマンガ界では、昭和43年に小学館からビッグコミック誌が発刊されてから少年マンガ・少女マンガに加えて劇画という新しいジャンルが生まれていました。そして映画界もマンガに題材を求めることが多くなり、かつては新聞小説や書き下ろし文芸作品など小説家の作品を原作としていたのに対してマンガを映画化するという潮流が出てきます。もちろんそれまでも「ハナ子さん」や「サザエさん」など新聞の4コママンガを題材にしたり「赤胴鈴之助」のような少年時代劇の映画化はありましたが、昭和38年に横山光輝のマンガを映画化した『伊賀の影丸』や昭和42年に大島渚がマンガそのものを映像化した『忍者武芸帳』あたりがその嚆矢となりました。
そして昭和45年に永井豪のマンガを原作とした日活の『ハレンチ学園』が大ヒットしてからは、各映画会社では毎月のようにマンガの映画化作品が公開されることになります。昭和42年に公開された『子連れ狼』『影狩り』『女囚701号 さそり』はすべてシリーズ化されましたし、昭和43年4月には上村一夫の『同棲時代』が由美かおるの裸身とともに大評判を呼びます。この『修羅雪姫』もそんな流れの中で映画化が企画されて、のちに市川崑の『犬神家の一族』の脚本に参加する長田紀生が脚色を担当しました。このように映画界がマンガに頼るようになった理由は、宣伝する必要がないというコスト的なメリットもあったでしょうけど、昭和40年代以降経営不振に陥った各映画会社が自社製作をとりやめたことによってシナリオライターの採用・育成をしなくなったことが最大の要因だったと思います。逆に脚本家志望の若い人たちは映画会社には就職できないので、新人マンガ家やマンガ原作者の道を選ぶことになったのではないでしょうか。
監督の藤田敏八は日活に入社して「野良猫ロック」シリーズなどを監督していましたが、昭和46年の『八月の濡れた砂』でキネマ旬報ベストテン第10位にランクインして広く注目されるようになりました。昭和48年には東宝に招聘されて『赤い鳥逃げた?』を撮り、その際には東宝撮影所の現場スタッフが外部監督起用に反対したために藤田敏八が自分でスタッフを集め直すことになったとか。そんな経緯もあって本作も東宝本体ではなく東宝系の製作会社である東京映画で作られたのかもしれません。
主演の梶芽衣子は日活に入社して太田雅子名で活動していたときには目が出ず、昭和44年の『日本残侠伝』で梶芽衣子に改名してから「野良猫ロック」シリーズに主演するなど活躍するようになります。しかし日活がロマンポルノ路線に移行したため東映に移籍、「女囚さそり」シリーズで人気を博しますが、シリーズの継続を巡って対立して東映を退社し、本作はフリーになった時期での出演作でした。
【ご覧になった後で】カッコいい演出で盛り上げるドライなタッチが印象的
いかがでしたか?梶芽衣子が歌う「修羅の花」を挿入歌に取り上げた『キル・ビル』を見てからずっと気になっていた作品だったのですが、やっと見ることができました。期待にたがわず藤田敏八のカッコよさを最優先した演出が連続して出てきて見ているだけで嬉しくなってきますし、梶芽衣子のクールな演技を中心にして復讐譚なのにジメジメしたところがなくドライなタッチで貫かれているところが印象的でした。『キル・ビル』は夫と胎児を殺された花嫁が首謀者と手下4人を追い詰めるお話でしたので、基本線はやっぱりこの『修羅雪姫』がベースになっているように感じましたが、元をたどるとコーネル・ウールリッチ(「幻の女」を書いたウィリアム・アイリッシュの別名義)原作でフランソワ・トリュフォーが映画化した『黒衣の花嫁』に行き着くのではないかとも思われます。要するに愛する家族を奪われた者が犯人に復讐するというのは最も古典的な着想なのでしょう。
本作のカッコよさは映画全体の統一感というか演出トーンよりも個々の場面を最もカッコよく見せるためにどうしたらいいかを最優先しているところで、なので全体で見るとバラバラな感じがする一方でその場面ごとでは見事にカッコいい演出がハマっていたと思います。例えば都倉俊一が担当した音楽。演歌調の歌で怨念を表現する一方でリズム体を強調したジャズを使ってムードを出したり、ニセ警官グループが歩くのを前から望遠レンズでとらえたショットにはブラス系の派手な音楽でそのアクションを盛り上げます。音楽だけでなく衣裳を見ても、梶芽衣子が着るきものは場面ごとにすべて違っていて、そんなにたくさんきものを持っているはずなんてあるわけないのですが、そんなリアリズムよりもそのシーンをデザインする要素として一番似合うきものを着せているんですよね。それが雪のように真っ白の無地だったり紺の縞模様だったり紫陽花色の紫だったりと、場面ごとの色彩設計の中で梶芽衣子が浮き出るようにセレクトされています。ラストでは白いきものに黄色い蝶が舞う柄ですし。こういうのが本当にカッコいいなと思ってしまいますね。
その一方でアクションシーンの血糊の量は半端ではなく、雪の父大門正明が背中から刺されるところではあきらかに白い背広の下に四角い仕掛けが仕込まれているのが映ってしまっていますけどそこらへんは目をつぶるにして、土に染み込む血の量や仲谷昇の周りの海水がまさに血の海になるあたりは、赤い色に対する異常なこだわりが感じられました。片腕や手首が斬られるショットも頻出しますけど、タランティーノ監督の『キル・ビル』でジュリー・ドレフュスが腕を斬り落とされるのも実はこの真似をしてみたかったんですね。
ちなみにキャメラマンの田村正毅は小川紳介プロ製作の「三里塚」のドキュメンタリー映画シリーズでずっと撮影をしていた人で、本作の後には『竜馬暗殺』や『火まつり』などでもキャメラを回すことになります。ロングショットの構図や移動撮影の動き方あたりを見てもテクニックがしっかりしているので、藤田敏八の自由な演出を陰で支えているという感じでした。
そして何より本作の一番の決め手は梶芽衣子を修羅雪に配したことではないでしょうか。企画段階では原作者小池一夫が小川知子を希望したという話ですが、「女囚さそり」シリーズの継続をめぐって東映と揉めていた梶芽衣子を東宝に引っ張ってきたのは結果的に大成功でした。なにしろきものの着方がほんのちょっとハズした感じがあって、上品な美女と莫連女の間を微妙に揺れているようなポジショニングが絶妙なんですよね。あまりきっちりし過ぎでは面白くないですし、あばずれ過ぎたら『修羅雪姫』から根本的にズレてしまいます。修羅でありながら姫でもあるという主人公は梶芽衣子以外には考えられないというくらい見事にハマり役になっていましたね。(U053123)
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