橋本忍のオリジナル脚本を堀川弘通が監督した社会派犯罪ミステリー作品です
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こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、堀川弘通監督の『白と黒』です。一見すると松本清張の原作ものなのかなと勘違いしてしまうのですが、橋本忍が書き下ろしたオリジナル脚本を映画化した作品で、多くの黒澤作品で助監督を勤めあげた堀川弘通が監督しています。ひとつの犯罪を巡って捜査や裁判が展開される社会派作品でありつつ、犯罪ミステリーものにもなっていて、昭和38年度のキネマ旬報ベストテンでは第9位に選出されています。
【ご覧になる前に】主人公の小林桂樹の脇を劇団俳優座のベテランが固めます
夜の一室で男妾と罵られた男は発作的に女の首を腰紐で絞めあげます。ぐったりと横たわった女をあとにして男が自宅に帰ると、電話で「奥様が死んでいる」という知らせを受けます。殺害されたのは死刑廃止運動で有名な宗方弁護士の妻で、男はその助手を務める弁護士浜野でした。殺害現場に戻った浜野が女中を尋問している平尾刑事に罪を告白しようとしたその瞬間「近所で犯人を逮捕した」という報告が入ります。翌朝、家で痔の手術をするようにせかされた落合検事は、検察庁に登庁すると逮捕された脇田容疑者の尋問を担当することになったのでしたが…。
昭和30年代の日本映画界には松本清張ブームのような時期がありまして、昭和33年に発表された「点と線」がベストセラーになると松本清張作品を中心とした社会派推理小説がさかんに映画化されるようになりました。その嚆矢ともいえる作品が昭和33年の松竹映画『張込み』で、二人の刑事による地道な犯罪捜査の現場をドキュメンタリータッチに描いた橋本忍の脚本が高く評価され、以降毎年3~4本の松本清張ものが映画館にかかるという状況が続いていきます。
その流れに乗ってなのか、松本清張ブームに反旗を翻してなのかはわかりませんが、本作はいかにも松本清張っぽいタイトルの社会派犯罪ミステリー映画でありながら、脚本家の橋本忍によるオリジナル脚本をもとに製作された東宝系の東京映画作品です。橋本忍が書いた「雌雄」というシナリオが黒澤明の目に留まり、それがもとになって『羅生門』が完成されたのは有名な話ですが、以降橋本忍は黒澤組の主戦シナリオライターとして黒澤明との共同脚本家の一人となっていきます。橋本忍は時間的にも労力的にも拘束される黒澤作品に関わる一方で、意欲的な脚本を次々に書いていて、今井正の『真昼の暗黒』、成瀬巳喜男の『鰯雲』、自ら監督した『私は貝になりたい』などはすべて橋本忍の脚本作品です。
そうして良質なシナリオを書いていくうちに、橋本忍は黒澤明との共同作業の中で世に出なかった素材をオリジナル脚本として再生産していきます。『七人の侍』の企画段階で検討された「侍の一日」はいつも通りに朝出仕する武士が夕方には切腹することになるというストーリーでしたが、当時の人々は昼食を食べなかったという史実が明かになってボツにされました。それを自らのアイディアで再生したのが『切腹』で、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞します。本作はその翌年に製作されたのですが、たぶん元ネタは『羅生門』として映画化された「雌雄」を現代版に再生するとどうなるかというのが出発点だったのではないでしょうか。橋本忍は自伝を残していないので、ここらへんは推測に過ぎませんが、殺人事件の真実を追求するというモチーフは『羅生門』に似ていると言ってもよいかもしれません。
監督の堀川弘通は『生きる』や『七人の侍』の助監督をやった人で、昭和30年に黒澤明が脚本を提供した『あすなろ物語』で監督デビューを果たしたときは黒澤の影響で完全主義を貫き通し製作予算を大幅超過してしまったんだとか。松本清張ものでは『黒い画集』を手がけていますし、加山雄三主演のクールなアクション映画『狙撃』も堀川弘通の監督作品です。キャメラマンの村井博は大映出身で、『暖流』『氷壁』『からっ風野郎』などで増村保造と、『女は二度生まれる』『雁の寺』などで川島雄三とコンビを組んでいました。本作の前の年に大映を離れていて東宝に移籍したのかフリーになったのかわかりませんが、翌年の『江分利満氏の優雅な生活』と撮ったあとは『日本のいちばん長い日』『肉弾』などで岡本喜八作品でキャメラを回すようになりました。
主演の小林正樹は東宝の「社長シリーズ」に出演している最中での出演ですが、もちろん本作では大企業の太鼓持ち的秘書役ではない演技派としての小林正樹が見られます。相手役の仲代達矢は『切腹』で威厳のある父親役を演じたばかりなので、こちらもギャップのある配役です。そして本作ではこの二人を取り囲む脇役陣に注目でして、仲代達矢も所属していた劇団俳優座のベテランたちが揃って演技上手なところを見せてくれます。俳優座代表をつとめた千田是也、創立メンバーである東野英治郎、小沢栄太郎が、弁護士や刑事部長で登場しますし、永井智雄は小林正樹の同僚役で出てきます。出番が少ないですが、稲葉義男、浜田寅吉、横森久の顔も見られますし、女優では岩崎加根子、菅井きんが出てきます。俳優座以外では西村晃、山茶花究、女優陣は淡島千景、乙羽信子のほかに、TVドラマの「愛と死を見つめて」でブレイクする前の大空真弓も出演しています。
【ご覧になった後で】二転三転する話の展開が抜群に面白い隠れた傑作でした
いかがでしたか?本作はあまりその存在が知られていないのですが、見てみたら殺人事件の真実を追求するストーリーが二転三転する展開に思わず引き込まれてしまいました。まさに隠れた傑作と言ってよいでしょう。小説でいえば、次の展開が気になってページをめくるのももどかしいくらいに文章を読むことに没頭してしまうような、そんな気分にさせられるのが本作の魅力で、これは橋本忍の熟練したシナリオ作劇術によるところが大であります。橋本忍は良いシナリオの条件として、作品全体が一つの文章で表現できることをあげていますが、本作も「女を殺したと思い込んだ男が実は犯人ではなかった殺人事件」と簡単にまとめることができます。そしてそこに絡むキャラクターがひとりひとり脚本上で彫り込まれていて、その人物たちを演技で表現する俳優たちが実に生き生きと画面上で動いています。まさに脚本と映像と演技が一体になった傑作でした。
開巻すぐに仲代達矢による殺しの現場を見せる導入部が優れていて、観客の誰もが仲代達矢が淡島千景を殺したものだと思ってしまいます。腰紐で首を絞める仲代達矢の腕に力が入っていないように見えるのですが、映画なので真剣に絞めたら本当に死んじゃうもんなと感じたのが大きな勘違いで、実は本当に力が伝わらず、淡島千景は死んでいなかった、これが本作の大どんでん返しのトリックにつながります。井川比佐志演じる脇田が検事に根負けして自暴自棄でウソの告白をしたように見せて言い逃れをしていただけで、実は電話が鳴ったのに驚いて殺してしまったという展開には完全に騙されてしまいました。観客が完璧にトリックにはまってしまうのは、すべての登場人物のキャラクターがきちんと描かれているためで、小林桂樹が仲代達矢に良心を説くのも、大空真弓が手紙などもらっていないと偽証するのも、妻を殺された千田是也が妻を助手に寝取られていたことがわかると寝込んでしまうのも、すべてそれぞれの人物にとっては自然な行動に見えます。それらのどこにも作り物っぽい感じがないので、観客は映画の中の人物たちと同様に宗方夫人殺人事件のトリックに引っかかってしまうのでした。
橋本忍の天才的ともいえる脚本をしっかり確実に映像化した堀川弘通の手腕も見逃せません。ワイドスクリーンをうまく使いながら、クローズアップショットでは照明の具合を変化させることで人物の心理を伝えることに成功しています。例えば北海道からの手紙を読んだ小林桂樹がショックを受けるショットでは、やや逆光気味に撮ることで小林桂樹の顔が暗くなるようにしていました。また奥行きを活用した人物の配置も巧妙で、捜査が進む中でひとり鬱屈する仲代達矢を手前にシルエットで入れたり、逆に連れ込み宿で詰問される場面では罪を告白する仲代達矢を小林桂樹の背中越しに捉えたショットが秀逸でした。そして画面の横幅いっぱいにビルの屋上を映してその真ん中の上の方に小林桂樹をポツンと置いたショット。真実とは何かに翻弄されて、大きな徒労感だけが残される捜査検事の虚ろな心境が表出されていましたよね。まあこれらの映像の半分くらいは、キャメラマンの村井博の力によるところが大きいのかもしれないですけど。
小林桂樹は善良なサラリーマン風の持ち味を活かしていて、特に落合検事が自ら疑問を感じて補充捜査を進めるあたりが難しい流れのはずなのに、生真面目な正義漢であるがゆえに真実を探らねば気が済まないという気持ちがしっかりと伝わってきました。それに比べると仲代達矢はややオーバーアクト気味といえるかもしれませんが、骨太な俳優がオドオドした感じの青年弁護士を演じるギャップ感が、浜野という人物にうまい具合にハマっていたのかもしれません。このふたりの主人公以上に見事なのは俳優座のベテラン勢で、小沢栄太郎の刑事部長は事態が変わるたびにまあ上司ならこういう対応を取るよなという組織長を体現していましたし、東野英治郎の建設会社社長は小林桂樹と仲代達矢が対峙するバーの場面での場の取り持ち方にリアリティーがありました。公判検事の永井智雄は同僚の気安さと仕事上の厳しさの相反する気分を的確に混ぜ合わせていたのが印象的でした。
筆跡鑑定をやる横森久、新巻鮭を脇に抱えた浜田寅吉、渋々手紙の存在を語る岩崎加根子など印象に残る俳優がたくさん過ぎて書き切れませんけど、最優秀助演賞はやっぱり西村晃でしょう。検事の要請にあきれながらもいつの間にか熱心に裏捕り捜査を進める勘の良いベテラン刑事役が本当にぴったりで、特に手紙など知らないと言う大空真弓の後ろから首を振りながら小林桂樹に合図するところなどは、捜査の現場に観客が立ち会っているような気分にさせられます。この当時の俳優さんたちはみんなどんな役にもなり切れてしまう変幻自在な演技力を持った人ばかりだったんですね。
ラストで仲代達矢演じる浜野が自殺したという記事が出てくるのは少々やり過ぎかとも思いましたが、仕事も婚約者も失った浜野は故郷に帰っても好奇の目にさらされるだけですから、それもありなのかなと得心もする終幕でした。また、殺人事件の進展によってコロコロと言説を変えるマスコミを揶揄するように描いていた点では、本作はかなり時代を先取りしたマスメディア批判映画でもありました。浜野を真犯人だと訂正すると、新聞各社は良心に沿って真実を追求する勇気を賞賛し、別の真実に突き当たってしまうと今度は捜査体制を批判し法相の喚問まで要求し始めます。こうした新聞の報道姿勢は、ただ単にゴシップを追いかけ回す週刊誌と変わりがありません。それでもそんな報道を世間の評判ととらえて自嘲気味に反省する小沢栄太郎がまた世俗的に描かれていて、まあどっちもどっちという醒めた描き方が愉快にも感じられました。
キネマ旬報ベストテン第9位では物足りないくらいの社会派ミステリーの傑作だと本作を高く評価したいと思います。不思議なのはこんなに切れ味がある佳作が日本映画史の中ではあまり語られることなく埋没してしまっていること。AmazonPrimeのおすすめにたまたま出てきて「何、これ」みたいに見始めたので、あまりの出来の良さに驚きました。過去の日本映画には本作のようなまだ見ぬ傑作が埋もれているのかと思うと、これから発掘できる愉しみもあるのですが、名作ばかりに偏りがちなクラシック映画への評価の仕方も改めていくべきだなとしみじみ感じた次第でした。(A053125)
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