猟銃(昭和36年)

井上靖の小説を五所平之助が山本富士子と岡田茉莉子の主演で映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、五所平之助監督の『猟銃』です。原作となった小説は井上靖が「敦煌」など歴史小説を書くようになる以前に「氷壁」のような中間小説を発表していた頃のもので、上流階級にいる知識人の不倫をテーマにしていました。それを松竹蒲田時代からのベテラン監督だった五所平之助が映画化して、主人公となる従姉妹に山本富士子と岡田茉莉子という当時の二大女優を配し、佐分利信と佐田啓二がからむという豪華な配役となっています。

【ご覧になる前に】五所平之助による井上靖原作の「愛の三部作」の一本です

ひとりで雪山を上る褐色のジャケットにハンチング帽を被った三杉は手にもった猟銃を撃つと自分の過去を回想します。見合い結婚した新妻みどりは歳が離れていたこともあり、三杉が愛でる李朝白磁の壺について教えを請うのですが、美しいものが好きだという三杉はみどりの従姉彩子の写真に見入ります。彩子は京都で研究生活を送る夫の門田と離れ芦屋で暮らしていて、ある日貧しい身なりの女性が突然訪問し、門田の子だという女の子を残して去っていきました。インターン時代に知り合った看護婦だという女は上京直後に事故死し、門田と離婚して女の子を引き取る決心をした彩子は、みどりを通じて三杉と対面したのでしたが…。

五所平之助は松竹蒲田撮影所に入社しサイレント映画『南島の春』で監督としてデビューしました。松竹蒲田調を代表するようなホームドラマを得意とした五所は、松竹が日本映画で初めてオールトーキー映画として松竹が製作した『マダムと女房』で製作総指揮の城戸四郎から監督に指名されます。当時の松竹蒲田に所属していた監督の序列からしたら五所が師事した島津保次郎が初トーキー映画を担当すると思われていたそうですが、城戸はあえて五所を抜擢し結果的に『マダムと女房』はキネマ旬報ベストテンで第一位に選ばれ日本映画史にその名を刻むことになりました。

その城戸と揉め事を起した五所は大映に移籍し、戦後一旦は松竹に戻るもののすぐに東宝に移り、東宝争議では組合側の重鎮として闘争に加わります。争議終結後は東宝を退社して独立プロダクションを設立し、新東宝と提携して『煙突の見える場所』を発表しました。その流れなのか本作も製作は松竹ではなく「猟銃プロ」という現在でいう製作委員会形式で作られており、松竹は配給のみとなっています。

山本富士子は大映専属女優で、小津安二郎が『彼岸花』に山本富士子を出演させる際には、大映から山本富士子を借りる代わりに小津が大映に出向いて『浮草』を監督するという交換条件が課せられました。それは大映の永田雅一が五社協定を盾にして山本富士子の他社出演を許可しなかったからで、自分で出演作を決めたいと言い張る山本富士子は結果的に昭和38年に大映から解雇されてしまうことになります。本作は山本富士子が映画界から追放されるちょうど二年前に公開されていて、独立プロ製作という形式であればということで大映以外の作品への出演が認められたのかもしれません。

井上靖はナイロンザイル事件を題材とした「氷壁」が昭和32年にベストセラーとなり翌年大映が増村保造監督で映画化した映画もヒットを飛ばしましたので、井上靖の小説はその後も映画化されることになりました。五所平之助は昭和35年から井上靖の小説を連続して映画化しており、「通夜の客」を原作とした『わが愛』『白い牙』そして本作と三作品連続して井上靖の原作を監督しました。松竹ではそれを「井上靖 愛の三部作」と売り出したようで、当時の小説というのは一般大衆から見ても興味の的になるような人気の娯楽ジャンルのひとつであったことが伺えます。

【ご覧になった後で】なぜ山本富士子が不倫に走るのかが全くわかりませんね

いかがでしたか?五所平之助が監督で山本富士子と岡田茉莉子と佐分利信と佐田啓二が出演した作品なので日本映画史的に見ても無視できない映画だとは思いますけど、あまりに登場人物の感情が描けていないので褒めようとしても褒めようがないですよね。井上靖の原作自体がそうなっているのかもしれませんけど、山本富士子は岡田茉莉子の夫だとわかっていながら佐分利信と二人で蒲郡ホテルに向います。そこに至るまでの描写は、佐分利信がアルバムに貼ってある山本富士子の写真を気に入ること、岡田茉莉子の紹介で対面し美しいものが好きだと告げること、岡田茉莉子も一緒だと嘘をついて誘い出し二人きりで京都を散策することくらいです。こんなことで山本富士子は佐分利信のことを好きになっちゃうんでしょうか。

百歩譲って不倫相手が佐田啓二ならあまりにハンサムでよろめいてしまうというのはまだわかりますけど、あのぶっきらぼうでしかも本作撮影時には五十歳を超えている佐分利信ですよ。美しいものが好きなら、山本富士子と同じくらいに岡田茉莉子も十分に美しいわけですから、この導入部の展開自体が観客にとって受け入れがたいものになっていました。五所平之助もさすがに山本富士子と佐分利信のラブシーンを撮るのは憚られたんでしょう。そっと二人のシルエットが重なるショットでフェイドアウトさせたりして、そのものの映像は出てきません。それくらいこの二人の組み合わせはあり得ない不自然さだということではなかったでしょうか。

不倫ものの妙としては、だましていたと思っていた不倫した側が、不倫された側からずっとだまされていたという設定なわけですが、だとすると不倫に気づいていながら気づかないふりをしていた岡田茉莉子が、実は知っていたと山本富士子に告げる場面が本作の最も盛り上がるべき見せ場だったはずです。しかしそこが全然盛り上がらないんですよね。岡田茉莉子は眉をピクピクさせ、山本富士子は顔面蒼白になるそれぞれの表情による演技は確かに見どころだったかもしれませんが、五所平之助の演出があまりに平板過ぎてしまってセリフだけが気づいていたことを説明するだけで流れてしまっていました。

というのも五所平之助は二人の場面を演出する際にほとんど切り返しを使わず二人を横から撮ってひとつの画面に入れるようにしています。なので二人を接近させたり、重なるように配置したりすることが多いのですが、この気づいていたことを告白する場面は山本富士子と岡田茉莉子を近づけるわけにいかないので離れたままの二人を横から撮ることに終始しています。さすがにそれでは間の抜けた構図になるので、ショットを寄りに変えたときに二人の位置を近づけてやや間が空かないように工夫はしているのですが、それは焼け石に水の効果もなく、本当に間抜けな緊張感のないショットになってしまっていました。

それがすごくもったいない感じでしたし、全編にわたってなんだかカッティングのリズムが悪いのも気になりましたね。たまにインサートされる顔のクローズアップが異様に短かったり、部屋の襖を閉めた次のショットがその部屋の中のごく普通に映しただけになっていて、なら密室にすることないじゃないかみたいな繋ぎが目立ったりしていました。編集さんの仕事が甘いわけではなく、たぶん五所平之助の指示で繋いでいるだけでしょうから、ビッグネームの俳優が顔を揃えている割にあまり本作が顧みられないのは、五所平之助監督の腕のまずさゆえではないかと思われます。

佐分利信がなぜ最初から岡田茉莉子に冷たいのかもわかりませんでしたし、山本富士子が毒を飲んで自死するのも悪人になり切れなかったということなのか何なのか伝わってきませんでした。唯一娘役の鰐淵晴子の美しさを確かめられたことだけがお得感がありましたが、鰐淵晴子はバイオリニストの父親とオーストラリア人の母親の間に生まれた天才バイオリニストだったそうです。昭和30年の『ノンちゃん雲に乗る』が代表作と言われていまして、本作が代表作に入っていないのはやっぱり作品の出来の悪さと演技自体は特段うまくもないというのが露呈したせいでしょうか。山本富士子と岡田茉莉子という美人女優の挟まれて決して引けをとらないくらいの美人さんですけど。あと余計なことですが、山本富士子の手の指が短いのは意外でした。(T113023)

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