実在のアメリカ陸軍軍人パットンを主人公にした戦争&伝記映画です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フランクリン・J・シャフナー監督の『パットン大戦車軍団』です。ジョージ・S・パットンは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で采配をふるった陸軍将校で、フランシス・フォード・コッポラがパットンを主人公にしてオリジナル脚本を書きました。ディメンション150で撮影された大型スクリーン時代末期の作品で、1970年度のアカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞など主要部門を含めてオスカーを7部門で獲得しました。
【ご覧になる前に】ジョージ・C・スコットがオスカーの受賞を辞退
アメリカ国旗の前で兵士たちに向って演説をしているのは陸軍将校のジョージ・パットン。ドイツ・アフリカ軍団に敗れたチュニジアのカセリーヌ峠を視察したブラッドレー少将は、パットン中将を司令官に迎えます。兵舎を巡回したパットンは早速朝食の時限を早めるなどして規律を強め、傷痍兵の中に戦争神経症を患う兵士を見つけると前線に出るよう言い渡します。ドイツ軍の空爆にもひるまないパットンは、かつて戦があったカルタゴ遺跡に立ち寄り、ブラッドレーに向って自作の詩を朗詠するのでしたが…。
軍人一家に生まれたジョージ・パットンは陸軍士官学校を卒業し、ストックホルムオリンピックの近代五種競技に出場後、メキシコ国境戦役で士官として功績を上げて注目されるようになります。第一次世界大戦で大佐まで昇進したパットンは、当時から塹壕戦ではなく機動力による戦いの重要性を説いていました。その後にワシントンで知り合ったアイゼンハワーと親交を結んだこともあり、第二次大戦では少将としてヨーロッパ戦線で指揮を執ることになったのでした。
ドイツとの戦争の中でもバルジの戦いで戦果を上げたパットンは古典文学と戦記に詳しく、また輪廻転生や北欧神話の信仰者でもあったそうです。毀誉褒貶相半ばするその生涯はハリウッドにとっても映画化の対象にされていて、1950年代からプロデューサーたちが何度もパットン家の遺族に映画化を申し込んだそうですが、パットンが残した日記などの公開は拒否され協力を得ることはできませんでした。
本作でカール・マルデンが演じたブラッドレー将軍が書いた自伝などからパットンを主人公にしたオリジナル脚本を書き上げたのがフランシス・フォード・コッポラでした。コッポラは1966年製作の『パリは燃えているか』の脚本をゴア・ヴィダルと共同で書いていまして、映画ではカーク・ダグラスがパットンを、グレン・フォードがブラッドレーを演じています。このときにパットンに興味をもったのかどうかわかりませんが、『パットン大戦車軍団』の草稿に着手したのが1966年のことであるとコッポラ本人が語っているので、このふたつの戦争映画には関連性があるのかもしれません。
しかし20世紀フォックス社はコッポラの脚本に難色を示し、解雇されたコッポラに代わって脚本を完成させたのはエドマンド・H・ノースでした。本作以前にはTVドラマの仕事をしていたノースは、アカデミー賞脚本賞を受賞するときまでコッポラと会ったことがなかったそうで、コッポラのオリジナル脚本をノースが書き直したという完全分業制だったようです。特に演説から始まるファーストシーンでもめたようなのですが、結果的にはコッポラが書いた通りにパットンがひとりで演説する場面から映画は始まっています。
監督もなかなか決まらなかったようでジョン・ヒューストン、ヘンリー・ハサウェイ、フレッド・ジンネマン、サミュエル・フラーが辞退し、ウィリアム・ワイラーが一旦引き受けたものの脚本を検討する段階でジョージ・C・スコットと意見が合わずに降板したんだとか。紆余曲折の末に『猿の惑星』を20世紀フォックスでヒットさせたフランクリン・J・シャフナーが監督を引き受け、結果的にはアカデミー賞監督賞まで獲得したわけですからシャフナーにとっては漁夫の利という感じの作品になりました。
ジョージ・C・スコットも最初からパットンに決まっていたわけではなく、ロッド・スタイガーやロバート・ミッチャム、バート・ランカスターが候補になっていたり、ジョン・ウェインがパットン役を熱望したりしたそうです。アルコール依存症だったジョージ・C・スコットは撮影中にいろいろと問題を起こしたという逸話が残されており、本人もパットンの人物像を表現し切れなかったと監督に謝罪したようです。それが心残りだったのか、ジョージ・C・スコットは1986年に「パットン将軍 最後の日々」というTVドラマで、映画で描かれなかったパットンが死ぬまでの数か月を演じることになります。
ジョージ・C・スコットは「俳優たちを競争させることは堕落だ」という理由でノミネートされてもアカデミー賞を拒否すると発表したものの、授賞式ではプレゼンター役のゴールディ・ホーンが密封された封筒を開けると「あらま、ジョージ・C・スコットだわ!」と叫び、主演男優賞に選出されてしまいました。アカデミーは「ノミネーションも受賞も拒否できない」という方針を掲げていましたので、オスカー像は誰にも受け取られることなく、パットン記念博物館に収蔵されたのでした。
【ご覧になった後で】共感できない人物の映画を見るのはツラいです
いかがでしたか?2時間50分の長尺ですが、主人公パットン将軍の人物像に最後まで共感することができず、主人公に感情移入ができない長尺の映画は見るのがとてもツラいもんだなというのが正直な感想でした。パットンのような人物が会社の上司だったら毎日仕事するのが心底イヤになってしまうだろうなと身につまされるわけで、「戦争好き」という個人の嗜好を兵士全員に押し付けるなと言いたくなってしまいますよね。しかもナチスの惨禍からフランスの住民を救うみたいな使命感はどこにもなく、ひたすら相手をやっつけて戦勲を立てるという動機だけで作戦を実行する人物です。イギリスのモンゴメリー将軍より先にパレルモを占領するシークエンスなどは、アメリカ映画としてはイギリスを出し抜いた英雄として描かれていましたけど、そんなことで競り合っっているなんて小さな人物だなあとしか思えませんでした。
そんなエキセントリックなアンチヒーロー的人物がもてはやされたのが1970年前後のアメリカンニューシネマの時代だったんでしょうか。戦争映画でもストレートな英雄よりもパットンのようなひと癖もふた癖もあるような人物のほうが好まれた時期だったのかもしれません。何よりも戦争が好きだとか、輪廻転生を信じてカルタゴやナポレオンの時代を経験してきたような大言壮語を繰り返すだとか、当時は連合国だったソ連を「クソ野郎」と罵るだとか、とても正統派ヒーローとは思えません。
第一次大戦時からシェルショックという症状名がつけられていた戦闘ストレス反応は、現在ではPTSDと関連した心因性疾患と言われていますが、過去には臆病者が陥るヒステリーだと見なされて電気ショックが効果的な治療法とされたこともありました。パットンが戦争神経症で震えている兵士を面罵して手袋で叩きつける場面などは見ている観客がパワハラを受けているような気がして、決して気持ちのよいものではありませんでした。
このような作品がアカデミー賞で作品賞や監督賞など7部門を独占したというのは、ベトナム戦争が泥沼化していた時代背景からしてもちょっと納得が行かないものがあります。1970年度の作品賞ノミネートは『大空港』『ある愛の詩』『ファイブ・イージー・ピーセス』『マッシュ』で、対抗する作品がなかったのかもしれませんけど、助演男優賞(ジョン・ミルズ)と撮影賞(フレディ・ヤング)を受賞した『ライアンの娘』にあげたほうがよっぽどマシだったではないでしょうか。まあ『ライアンの娘』がノミネートされていたとしても、イギリスの映画よりもアメリカ国旗で始まる本作に投票が集中したことは間違いないでしょうけど。
そんなわけでジョージ・C・スコットの演技は鬼気迫るくらい素晴らしいものでしたし、フレッド・コーネカンプの大画面の使いきった撮影も見事でしたし、ジェリー・ゴールドスミスの印象的なモチーフの音楽も懐かしかったのですが、作品として好きかどうかと言われればキライな部類に入れてしまうでしょう。荷車に轢かれそうになるラストは、戦後すぐに自動車事故で急死する運命を象徴していて、演出も巧みだったと思いますが、全体的にパットンをヒロイックに描き過ぎたフランクリン・J・シャフナーの演出も決して評価できませんでした。やっぱり映画と言うのは主人公を好きになれないとダメですね。(V072125)
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