石井輝男監督の新東宝「地帯シリーズ」第三作で神戸を舞台にした追跡ドラマ
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、石井輝男監督の『黄線地帯 イエローライン』です。新東宝では「地帯シリーズ」とか「ラインシリーズ」と呼ばれる一連の作品群があり、本作は『白線秘密地帯』『黒線地帯』に続くシリーズ第三作にあたります。殺し屋が裏切った依頼主を追って神戸に潜入するという追跡ドラマ仕立てになっていて、神戸の歓楽街がイスラム都市「カスバ」のように描かれているところに注目です。
【ご覧になる前に】「地帯シリーズ」五作に出演した三原葉子がヒロインです
阿川という男からホテルの部屋と非常階段の鍵を渡され殺しを依頼された男は、射殺した相手の腕時計を抜き取って報酬を受け取るため約束のバーに行きますが、阿川は行方をくらませていて裏切られたことを知ります。エミはダンサーの職を得ようと神戸に行くことを恋人で新聞記者の俊夫に公衆電話で話していますが、そこに警察に追われた殺し屋が現れて無理矢理二人で神戸行きの列車に乗り込むことになりました。その頃、俊夫も射殺事件を取材するための出張を許可され、神戸に向かうのでしたが…。
東宝争議で経営者側にも労働者側にも立たない俳優たちと労組を脱退した従業員たちが新東宝映画製作所を立ちあげたのは昭和22年のこと。昭和25年からは製作だけではなく配給も行うようになり、昭和29年に日活が製作を再開すると、日本映画界は松竹・東宝・大映・東映・日活・新東宝の六社体制となりました。当初は文芸路線で堅実な作品を発表していたものの、日活との資本提携は東宝の反対により挫折し、次第に新東宝の経営は悪化していきます。そこに登場したのが弁士出身で大手映画興行主だった大蔵貢。新しく社長に就任した大蔵貢は、外部から有名俳優や監督を招くのではなく、自社の若手俳優やスタッフを登用して低予算の娯楽路線に活路を見いだすのでした。
猟奇もの・怪談もの・お色気ものなどは「エロ・グロ路線」と揶揄されますが、大衆に向けた話題性のある企画にシフトした結果、大蔵貢は社長就任後半年で新東宝の経営を黒字に転換させました。昭和32年には当時タブーだった天皇を主人公にした『明治天皇と日露大戦争』を製作して当時の興行収入新記録となる大ヒットさせ、一方では日教組の勤務評定闘争や関東大震災の朝鮮人虐殺をテーマにした左翼視点の映画を公開するなど、スター頼みではない企画重視の映画作りは日本映画界に旋風を巻き起こしたのでした。
その新東宝に昭和26年「第一期スターレット」として入社した女優が三原葉子。昭和32年に石井輝男監督の『肉体女優殺し 五人の犯罪者』で主役のストリッパーを演じると162cmの長身とグラマラスな肢体で新東宝セクシー路線のトップスターとなります。ハリウッドでは1920年代の第一期黄金時代に男を誘惑して食いものにする魅惑的な「ヴァンプ女優」が流行したことがあって、三原葉子はまさにヴァンプ女優として新東宝の一時代を築くことに貢献していました。
東宝に撮影助手として入り、新東宝で助監督をしていた石井輝男は、昭和32年に『リングの王者 栄光の世界』で監督としてデビューすると、その年だけで7本の映画を監督するという猛烈なスタートダッシュぶりでした。その中の一本が『五人の犯罪者』で、昭和33年に「地帯シリーズ」の第一作にあたる『白線秘密地帯』の主演に三原葉子を起用して宇津井健と組ませます。肉体派で売り出した三原葉子は、盛岡市の裕福な毛皮商の家に生まれ、盛岡第一高等女学校を卒業していますから、頭も勘も良かったのでしょう。石井輝男は「地帯シリーズ」を四作目まで監督していますが、そのすべてで三原葉子を主演に起用し、三原葉子は最終作『火線地帯』まで全五作に出続けることになりました。
男優のほうは新東宝を代表するスター天知茂と新人でデビューしたばかりの吉田輝男が出ています。新東宝は昭和36年に倒産してしまうのですが、天知茂は大映、吉田輝雄は松竹に移籍して活躍の場を移すことになります。石井輝男はホンも書ける人で、「地帯シリーズ」では初めて単独で脚本を書いています。またキャメラマンの鈴木博は戦前の松竹下加茂でキャリアをスタートさせ、阪妻プロ、PCL、東宝を渡り歩いた大ベテラン。東宝では『馬』『ハワイマレー沖海戦』で共同撮影にクレジットされていますし、戦後では今井正の『民衆の敵』、清水宏の『小原庄助さん』でキャメラを回しています。
ちなみに「黄線」(おうせん)とは、もぐり売春の白線の一種で、電話で売春婦を呼び出す形態のことを指す用語なんだそうです。昭和21年にGHQが公娼廃止令を出してから売春防止法が施行された昭和33年までの間、半ば公認で売春が行われていた地域は「赤線地帯」と呼ばれていました。赤線が風俗営業法で警察の許可を得て営業する特殊飲食店だったのに対して、青線は保健所から飲食店営業許可を得ただけで売春行為を提供するお店でした。売春防止法施行以降は、赤線・青線はなくなったという前提なので、もぐり売春を白線と言い、その中で電話で呼び出すのを黄線とカラーで表現したのは、赤線・青線のなごりだったようです。
【ご覧になった後で】百円札が効果的な脚本と神戸歓楽街の美術が見事でした
いかがでしたか?この当時は日活が無国籍アクションを得意分野にしていましたが、新東宝でこんなに面白い犯罪アクション映画が製作されていたとは全く知りませんでした。まず石井輝男の脚本が巧いですよね。天知茂の殺し屋が三原葉子を誘拐する形で神戸に行き裏切った依頼主を探し、吉田輝雄が疾走した三原葉子を探すという複数の追跡関係があって、犯罪組織にさらわれる三条魔子やたばこ売りの女や宿屋のマダムがからむ構成が大変良く出来ています。そこに小道具としてメッセージが書かれた百円札が効果的に使われていて、列車の中で三原葉子が助けてと書き込んだ百円札は、靴屋の店員に無視され、三条魔子に渡り、車から落とされたお札は外国船に娼婦を斡旋する男に拾われて、偶然にも吉田輝雄が手に入れることになります。ここで巧いのは、そこで吉田輝雄がメッセージに気づくことができず洋モク売りの小野彰代にお釣りとして手放してしまうこと。結果的に吉田輝雄が小野彰代を探すという追跡関係がここで発生することになるのです。
東京駅で三原葉子が吉田輝雄からプレゼントされた赤いハイヒールの片方をわざとホームに放り出すところから小道具の使い方の巧さを感じさせるわけでして、列車の中でトイレに行くために天知茂の革靴を借りるあたりでこの二人が敵対ではなく共生関係のように提示されるきっかけを作ります。天知茂がやっと見つけた依頼主の大友純に約束の腕時計を差し出すあたりも気の利いた使い方になっていました。小道具が狂言回しになってストーリー展開を加速させるような脚本を書いた石井輝男は、シナリオライターとしての優れた才能も兼ね備えていたのでした。
そして本作の一番の見どころは神戸の歓楽街の描き方で、「カスバ」と呼ばれているという設定は、迷路のような細い路地で構成されるアルジェリアのカスバからとられたものなんでしょう。高低差のある入り組んだ路地に呑み屋や宿屋がひしめき合っている歓楽街の雰囲気が、本作の無国籍感と怠惰な遊興感を醸し出していました。天知茂と三原葉子が泊まる宿屋の二階にある部屋からこの路地を見下ろすショットが実に見事で、左の路地からキャメラが引くと部屋の窓から二人が歓楽街の酔狂を見ている構図になり、部屋を横に動く二人をパンして、次の窓から見下ろすとキャメラはそのままトラックアップして右の下方にある路地をとらえます。この長回しには左の路地・部屋・右の路地という三つのシーンが含まれていることになって、ワンシーンワンショットではなくスリーシーンワンショットともいえる珍しい映像表現になっていました。
おまけにイーストマンカラーで撮影されている本作は、全体的に発色が抑えられていて、題名通り黄色というか緑というか色味自体がやや不健康な印象を与えるように感じられます。たぶんプリントの経年劣化のせいではなく、現像段階で意図的にカラー調整がなされたのではないでしょうか。キャメラマンの鈴木博は長く白黒映像をやってきた人なので、あまり鮮やかなカラーを望まなかったのかもしれないですね。
舞台は神戸ですがロケーション撮影は横浜で行われたらしく、今では再開発されて観光名所になっている桜木町の赤レンガ倉庫が画面の中でチラチラ映っているのが見えます。そんなロケ地はともかくとして、歓楽街の路地や宿屋の内部などの美術セットは独特な世界観を持っていて、日活無国籍アクションのような安普請な感じはしませんし、ホラー映画に出てくるような猟奇的な感覚で作られていたように感じられました。美術を担当したのは宮沢計次という人で、大蔵貢以降の新東宝に入り倒産と同時にキャリアが途絶えていますから、そんなに注目された美術屋さんではなかったのかもしれません。でもその仕事ぶりはしっかりと本作に残されたわけで、映画の裏方の仕事というのはどこかで誰かに見られ語り継がれるものでもあるようです。
やや凡庸な吉田輝雄に対して天知茂は相変わらず人を寄せ付けないような冷たさが印象的でした。しかしそんな天知茂をちょっと場違いな感じに追いやってしまうくらいに三原葉子のざっくばらんなコケットさが本作の基調になっていたように思います。殺し屋や麻薬の密輸などがからむフィルムノワールものであるにも関わらず、見ていてどこかしら喜劇的な感覚に襲われるのは三原葉子の存在によるものです。片手を頭の横で開いて「パーなのかしら」と現在的には差別的表現として使用が禁止されている仕種も三原葉子がやると侮蔑的には見えず、逆に彼女のチャーミングさが増長される効果がありました。同じ宿にいて天知茂が手を出さないことから徐々に殺し屋を信頼していく気持ちの移ろいや、わざわざ神戸まで探しに来た吉田輝雄と数々のすれ違いを経てやっと巡り合っても「あ、俊夫さん」程度にしか喜ばないあたりが女性としてのモダンさを感じさせて、美人ではないですけど独特な魅力のある女優だったんだなと思わせました。
そして本作は、日本映画に手厳しい批評をすることで有名な淀川長治氏をうならせたことでも有名でして、前作の『黒線地帯』を「三原葉子という見るからに安っぽいグラマーが存在感を発揮していた」と評価したうえで、本作のことを「『黒線地帯』をはるかに抜いた良さがある」と認めているのです。赤いハイヒールが駅員から吉田輝雄に渡るのを「シンデレラ・スリル」と表現し、「男の靴でよたよたと手洗いに行き、百円札にエンピツ書きするのに面白いアイディアを見た」とし、「三原葉子の個性が光り、この映画この女優を得なければその面白さは半減したに違いない」とコメントしています。まあ、外国映画専門でTVで「ララミー牧場」の解説をやり始めた当時の淀川長治さんが、新東宝で公開された本作をしっかりと見ていたこと自体が大変な驚きなわけですけども。(U050425)
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