眠狂四郎 殺法帖(昭和38年)

柴田錬三郎原作の「眠狂四郎」を市川雷蔵が演じたシリーズ第一作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田中徳三監督の『眠狂四郎 殺法帖』です。直木賞作家で時代劇を得意とする柴田錬三郎が昭和31年から「週刊新潮」に連載した「眠狂四郎」シリーズは、それまでの正義の味方的な時代劇の主人公像に反旗を翻して、腕は立つ一方で虚無的で孤独な一匹狼の剣客をアンチヒーローとして世に送り出しました。連載開始からまもなく東宝が鶴田浩二主演による『眠狂四郎 無頼控』を製作しますが三作品のみで打ち切りとなります。大映が市川雷蔵主演で再び映画化すると、雷蔵が眠狂四郎役にぴったりとハマって全12作品に及ぶ人気シリーズとなったのでした。

【ご覧になる前に】雷蔵の相手役は中村玉緒と城健三郎こと若山富三郎です

孤高の剣客眠狂四郎は夜討ちをかけられた忍びの者たちをあっという間に斬り殺しますが、その死体は人目につかないうちに始末されていました。狂四郎を襲わせたのは加賀藩前田家の宰相。豪商の銭屋と組んで密貿易で巨万の財宝を隠し持っていて、前田家に復讐を企む唐人坊主の陳孫を抹殺するために狂四郎を前田家の陣営に引き込もうとしていたのでした。前田家の奥女中千佐は、宰相から間者となって狂四郎に近づくよう指令を受け、陳孫に命を狙われていると偽って狂四郎に自分の身を匿ってもらおうと接近するのですが…。

中里介山による未完の小説『大菩薩峠』の主人公机竜之介は、その後の時代小説に大きな影響を及ぼしました。何ひとつ信じるものを持たず音無しの構えから繰り出す剣でどんな相手も斬り殺すニヒルでクールな主人公像は、柴田錬三郎の手によって眠狂四郎という剣客に受け継がれることになり、すでに『大菩薩峠』三部作で机竜之介を演じた経験をもつ市川雷蔵が必然的に眠狂四郎役につくことになりました。東宝版で狂四郎を演じた鶴田浩二は甘いマスクゆえにニヒルさに欠けたという評価を受けていたそうですが、机竜之介の冷酷無比さに比べれば眠狂四郎は人間味さえ感じられるキャラクターですので市川雷蔵は全く違和感なく眠狂四郎を演じて、自らのキャリアの中でも比べるものがないほどのハマリ役として眠狂四郎を手の内に入れたのでした。

シリーズ第1作の製作にあたって監督に起用されたのは田中徳三。溝口健二のもとで助監督を長く務めた田中徳三は昭和33年に『化け猫御用だ』というB級プログラムピクチャーで映画監督としてデビューしていました。勝新太郎と田宮二郎がコンビを組んだ『悪名』によって大映の一線に躍り出た田中徳三は、第1作のほかにはシリーズ第10作の『女地獄』でも再びメガホンを取っています。

脚本を書いた星川清司は大映と日活で大量にシナリオを量産した人で、「眠狂四郎」シリーズも第7作までをこの人が書いています。たくさん書いているのにこれといった代表作は見当たりませんで、目立つのは増村保造監督の『陸軍中野学校』くらいでしょうか。まあ大映や日活からすれば、確実に納期までにシナリオを書き上げる便利なシナリオライターだったのかもしれません。

市川雷蔵の相手役は女優では中村玉緒。『大菩薩峠』でも雷蔵と玉緒は因果のある夫婦役として共演していますので、本作を見るとどうも既視感に囚われてしまいそうです。また男優では城健三郎が陳孫役をやっていて、勝新太郎の実兄としても有名な若山富三郎が本作公開の前年に東映から大映に移籍をしたことから、それを契機に芸名を城健三郎に変えていたときの出演作です。弟の勝新太郎がスターの中心に君臨していた大映では城健三郎はあまり活躍することができずに、四年後には再び東映に戻って芸名を若山富三郎に戻し、やくざ映画のバイプレイヤーとしてコミカルな個性を発揮することになるのでした。

【ご覧になった後で】狂四郎のイメージが未確立で中途半端さが目立ちました

うーん、シリーズ第1作としては出来が中途半端でしたね。眠狂四郎というキャラクターをどのように映像化するのかがまだ定まっていない感じがして、雷蔵も机竜之介ほどにピカレスクに演じるのは違うと思ったのでしょうか、笑ったり情けをかけたりする人間味がところどころに垣間見えてはっきりしない演技になっていました。また眠狂四郎の代名詞でもある円月殺法も、ただ単に刀をまるーく構えるという動作にやや仰々しい音楽がかぶさる程度の演出しかされていないために、必殺の剣法だというイメージが全く伝わりませんでした。この円月殺法をストロボとオーバーラップを効果的に使ってビジュアル化したのは第4作の『女妖剣』かららしいですから、「眠狂四郎」シリーズが本当の力を発揮するにはまだまだ時間がかかったようです。

また脚本もセリフでの状況説明が多くて、展開がわかりにくいんですよね。なんで前田家の宰相が狂四郎を味方に取り込みたいのかがよくわかりませんし、少林寺拳法の使い手とは言っても別段危険分子に見えない陳孫をそんなにも恐れる理由が描かれていません。なのでストーリーラインに緊張感がなく、中村玉緒が実の娘だとわかって急に宰相に強く出るのもなんだかとってつけたようで、観客がなかなか物語に入っていけないシナリオになっていました。

田中徳三の演出も見るべきところがあまりなくて、まあ中村玉緒と沢村宗之介が対峙する場面で斜めの構図を取り入れたところがちょっとだけ良かったかなという程度でした。あ、そういえばタイトルロールが出る前に暗闇に消えていく狂四郎の後ろ姿はカッコよかったと思います。

映画のラストで眠狂四郎が仏像を海に投げ込みながら「この石の塊が、俺の中にあった宝を微塵に砕いたのだ。もうこの世に美しいものはないのか!どこにあるんだ!」と叫びます。これがなんとも違和感があって、眠狂四郎は本来ニヒリスティックな剣士のはずなのに異様に暑苦しい熱血漢のように映ってしまっていました。剣に生きる剣客には激情的なセリフは全く似合いませんので、本作においてはまだまだ眠狂四郎を掴み切れていない印象が強く残ってしまいました。本作は興行的にもパっとしなかったようですから、途中でくじけずにシリーズものを継続しなければ、第1作だけで終わっていたかもしれないですね。(Y061322)

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