リバティ・バランスを射った男(1962年)

ジョン・フォードとジョン・ウェインが最後にコンビを組んだ西部劇の傑作

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』です。ジョン・フォードといえば、ジョン・ウェインを主演にした西部劇を多く作った監督ですが、本作はその二人が組んだ最後の作品。一方でジョン・ウェインとジェームズ・スチュワートは意外にもこの映画が初共演。この二人が西部と東部、銃と法律を体現した主人公となって、リバティ・バランスという乱暴者をめぐる西部劇らしからぬひねりの効いたドラマを見せてくれます。

【ご覧になる前に】68歳のジョン・フォードは本作の四年後に引退することに

シンボーンの町に上院議員ランス・ストッダートとその妻ハリーが列車で到着します。早速地元の新聞シンボーンスター紙の編集長が取材を申し込むと、ランスが町を訪れたのは旧友トム・ドニファンの葬式があるからとのことでした。編集長はトムの存在を知らず、どんな関係なのかを問い質すと、ランスは25年前に初めてシンボーンに来たときのことを語りだしたのでした…。

ジョン・フォードは1952年の『静かなる男』で四度目となるアカデミー賞監督賞を受賞し、そのキャリアのピークを迎えました。しかし、50年代後半になると、ヒッチコックやハワード・ホークスがヨーロッパで批評家たちに再評価されたのに対して、ジョン・フォードは古いタイプの監督と見られるようになっていました。また、1960年の『アラモ』ではジョン・ウェインが監督をするというのでそれを助けるためにあるパートを演出してやったそうですが、そのシーンをジョン・ウェインがカットしてしまい憤慨するという事件が起きたりもしました(もっともジョン・フォードの行為は、助けるという意図ではなく単なる押し付けがましい圧力だったようですが)。ジョン・フォードは1966年の『荒野の女たち』を作ったあとに映画界から引退してしまいますので、本作はジョン・フォード晩年の低迷期にときに作られたこともあり、映画公開時にはあまり高い評価は得られなかったようです。しかしながら、マカロニ・ウェスタンで成功するセルジオ・レオーネは「ジョン・フォード作品の中でもお気に入り」として本作を評価していますし、多くの映画監督から批判されることを恐れられた超辛口の映画評論家ロバート・イーバートが「史上最高の映画」リストに本作が選んでいるのです。

ジョン・ウェインはジョン・フォード監督の寵愛を受けた俳優と思われていますが、撮影現場のジョン・フォードはジョン・ウェインのことをでくの坊扱いをして、ジョン・ウェインにいつも毒々しい暴言を吐いていたそうです。一方でジミー・スチュワートはその被害にあうことはなく無事に撮影を終えようとしていましたが、最後になってポンピー役をやったウッディ・ストロードについてジミー・スチュワートがほんの少し黒人差別のニュアンスを含む発言をしてしまったときには、ジョン・フォードから徹底的にやりこめられたのだとか。それを見てジョン・ウェインは「これで君もクラブの仲間だ」と声をかけたという逸話が残っています。

そんなジョン・フォードだったので、パラマウントは本作にあまり大きな予算をつけず、カラーではなく白黒、ロケではなくスタジオでの撮影しかできませんでした。ジョン・フォードはかつてはモニュメントバレーのもとで一大ロケーション編隊を組んでじっくりと製作に取り組んでいましたが、本作はそんな余裕のある作り方はできませんでした。しかしそんなミニマムな作り方が逆に好印象につながっていて、映画の主題がシンプルに伝わってくる傑作西部劇に仕上がっています。

【ご覧になった後で】だからこのタイトルなのねと納得してしまう見事な構成

いやー、途中までは「クレジットでは一番最初に出ていたけどジョン・ウェインは助演で、この映画の主人公はジェームズ・スチュワートなんじゃないの」と思って見ていましたが、なるほど!だから『リバティ・バランスを射った男』というタイトルなのねと感心してしまいました。確かにあれほど銃の扱いが下手だったランスなのに、右腕をやられて左手で撃った銃弾が運よくリバティの腹に命中するのはおかしいですし、だとしてもリバティの銃が弾切れになるとかのハンデがあったほうがよかったんじゃないかと見ながら思っていたものですから、余計にトムの口から語られる真相に納得してしまいました。しかもその反復シーンはあくまでトムとポンピーの二人の側から撮ったロングのワンショット。客観的に事実を振り返る展開がいかにもリアリティをもって語られていました。

本作撮影時の年齢はジョン・ウェイン54歳、ジェームズ・スチュワート53歳。その二人が作品の中では20代の青年を演じているのですから、これはちょっと無理があります。二人がともに好意を寄せるヒロインのハリー役はヴェラ・マイルズ。ヒッチコックの『サイコ』で行方不明の姉を探しに来るあの妹をやった女優でしてこのとき32歳。まあハリウッドでの男優と女優の扱いは60年代になっても「男優はいつまでもスター、女優は若くて美人じゃなきゃダメ」という旧弊なシステム下にあったんですね。

しかし、それでもジョン・ウェインのカッコよさは格別ですね。かつてTVの洋画劇場で西部劇を放映していたときによく目にしていたジョン・ウェインですが、考えてみればきちんと本人の地声で本物のジョン・ウェインをじっくり見たことはありませんでした。TV放映時に小林昭二(科学特捜隊の隊長!)や納谷悟朗(チャールトン・ヘストンの声でおなじみ)がアテていたのでしたが、ジョン・ウェインの地声はまさにジョン・ウェインらしさそのもので西部劇のヒーローにぴったり。そして長身でひょこひょこと歩く姿や気づく間もなく銃をぶっ放す早撃ちなどどれもジョン・ウェインでしか表現できないカッコよさ。そしていかにも法律家で東部出身っぽいジェームズ・スチュワートも、ヒッチコックの作品からそのまま移籍してきたようで、この二人の対比が本作の妙味となっていました。

誰が撃ったかのトリックは見事でしたが、それでも結局は銃によってしか解決されないという展開が、銃社会であるアメリカを象徴しているのも事実です。中盤から終盤にかけて「選挙」がクローズアップされて選挙こそが民主主義の根幹であるような描き方がされていくわけですが、その選挙でも「悪党を銃で撃ったこと」が当選の最大の要因となります。よーく考えてみると、それで本当にいいのかと考え込んでしまいますし、法律家ならば気のいいおじさん保安官だけに町の安全を任せきりにするのではなく、警察機能を強化するとか自警団を組織するとかもっと他にやるべきことがあったのではないかと思う気分にもなります。それでもアメリカ西部の開拓史の実際においては、そんな机上の空論は通用しない過酷な現実があったのでしょう。そうした歴史を踏まえて、銃での解決を英雄的に描くことが西部劇にとっての正義であると飲み込みつつ、本作はジョン・フォード監督晩年の傑作として今でも大変面白く見られる作品であると断言しないではいられません。(V120821)

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