危険な関係(1959年)

18世紀にラクロが書いた小説をロジェ・ヴァディムが現代に置き換えて映画化

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ロジェ・ヴァディム監督の『危険な関係』です。フランス革命直前の1782年に砲兵士官ラクロによって書かれた小説「危険な関係」は貴族社会の退廃を描いたことで長く読み継がれました。その原作を映画化したのは、若妻ブリジット・バルドーを主演に起用した『素直な悪女』で監督デビューしたロジェ・ヴァディム。互いに情事を愉しみ報告し合う夫婦をジェラール・フィリップとジャンヌ・モローが演じ、モダンジャズをフィーチャーしてクールな作品に仕上がっています。

【ご覧になる前に】公開の8週間後にジェラール・フィリップは急逝しました

開巻直後にロジェ・ヴァディム本人が恋愛における貞操の観念がなくなっていると説明し、場面はパリの上流階級が集まるパーティに変わります。ホストはヴァルモンとジュリエットの夫婦で、ゲストたちは口々に二人が自由に情事を愉しみながら、互いに報告し合う関係であることを噂します。ヴァルモンの従姉の娘セシルは、ジュリエットの遊び相手だったコートと結婚することになっていますが、本人はダンスニというアパート暮らしの学生に夢中です。ジュリエットは夫にセシルを誘惑したらどうかと勧め、ヴァルモンはスイスにスキー旅行に出かけるのでしたが…。

ラクロはグルノーブル滞在時に軍人として社交界でもてはやされ、そのときに垣間見た貴族社会の様子を小説として執筆しました。道徳的に退廃した男女関係を描いた「危険な関係」は、政治論や風刺詩なども記したラクロの著作の中で唯一読み継がれることになり、現在的にはラクロは「危険な関係」の作者としてのみ、その名をとどめています。

原作ではヴァルモンとジュリエットはそれぞれ独身で、恋愛関係にあるものの互いの情事を許し合うという設定なんだそうですが、ロジェ・ヴァディムは映画化にあたって設定を夫婦に変えることで、夫婦がお互いの情事を愉しむという不道徳さを強調したストーリーに再構築しました。ロジェ・ヴァディムは、ブリジット・バルドーが『素直な悪女』で共演したジャン・ルイ・トランティニャンとの恋に走ってしまったため1957年に離婚していましたが、デンマーク出身のモデルだったアネット・ストロイバーグと再婚し、彼女はアネット・ヴァディムの名前で、重要な役を演じています。

ジェラール・フィリップは第二次大戦後のフランス映画界を代表する二枚目スターで、クロード・オーラン・ララ監督の『肉体の悪魔』で世界的な名声を獲得しました。1957年にはジャック・ベッケル監督の『モンパルナスの灯』で夭折した画家モディリアーニを演じて代表作となり、本作ではモディリアーニとは正反対のキャラクターに挑戦したことになります。しかしそのときジェラール・フィリップの身体は肝臓癌に侵されており、1959年11月、本作が劇場公開された8週間後に亡くなってしまいました。享年三十六歳は奇しくもモディリアーニと同じ歳でした。

一方のジャンヌ・モローは戦後にパリの国立演劇学校で学んだ後に舞台でデビューし、映画にも端役で出演するようになります。そんなジャンヌ・モローを一躍有名にしたのがルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』の人妻役で、そのときジャンヌ・モローはもう三十歳になっていました。しかしそれが逆に人妻を演じるのには最適な年齢だったこともあり、ルイ・マルはすぐに『恋人たち』で再び人妻の主人公にジャンヌを起用し、本作はその翌年に製作されていますから、やっぱりジャンヌ・モロー=人妻という路線が踏襲されています。

本作はモダンジャズファンなら誰もが知っている「危険な関係のブルース」が挿入曲になっていることでも有名で、音楽のクレジットはセロニアス・モンクになっていますが、「危険な関係のブルース」はアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの演奏によるものです。作曲はジャズ・メッセンジャーズのピアニストだったデューク・ジョーダンで、ジャズナンバーとしては「No Problem」のほうが一般的な曲名です。フランスでは1930年代に流行したホット・ジャズに対して、1950年代前半からクール・ジャズがムーブメントになっていて、ルイ・マルが『死刑台のエレベーター』でマイルズ・ディヴィスにトランペットを即興的に演奏させて、気だるい雰囲気を作るのを成功させていました。

実はクール・ジャズをフランス映画で取り上げたのはロジェ・ヴァディムのほうが早くて、1957年の『大運河』でMJQのジョン・ルイスを起用したのがロジェ・ヴァディムだったのです。本作では、アート・ブレイキーのドラムやリー・モーガンのトランペット演奏の様子が映像化されている点でも重要な作品になっています。

【ご覧になった後で】人物描写は表層的ですがクールなスタイルが魅力的です

いかがでしたか?ラクロの小説がどうなっているか知りませんけど、夫婦でありながらお互いの情事を黙認して愉しみ合うとか、夫の気持ちを惹きつけるためにあえて別の男と浮気をするという妻の存在とか、18世紀以来読み継がれたのは一般的な道徳観を無視した背徳性というか淫靡さがあったからなんでしょう。本作においても、互いに愛し合い尊敬し合っている夫婦が、それぞれ他の相手と関係するどころか、わざと浮気をけしかけるようにするストーリー展開が、ある意味センセーショナルですし恋愛関係上のサスペンスを生んでいると思います。話題性という面からも大変に効果的なので、美男俳優の代表でもあったジェラール・フィリップがそのようなインモラルな夫を演じるということで興行面でもそれなりに成功したのではないでしょうか。

話題性はあるものの、映画に出てくるキャラクターたちはいかにも設定上の役割で動いているように見えてしまい、観客としては登場人物の誰にも思い入れすることができませんでした。ジェラール・フィリップは妻公認とは言っても、はるか年下の親戚の娘と関係を持ち、しかも妊娠までさせてしまうのはいかがなもんでしょうか。またアネット・ヴァディムとは真剣な恋愛関係に陥るという展開になるのですが、その真剣さが本物かどうかがあまり伝わってきませんでした。

かたやジャンヌ・モローのラブ・アフェアは、ジャン・ルイ・トランティニャンを色仕掛けするエピソードが終盤に出てくるだけなので、どちらかと言えばジェラール・フィリップに裏切られる妻の立場が強調されてしまい、トランティニャンとの関係が夫への復讐っぽく見えてしまいます。ここらへんは脚色の悪さなのかもしれませんけど、互いに嫉妬せずに情事を認める夫婦関係のはずなのに、浮気がいつのまにか恋に進展したり、その浮気が許せないものになったりするところが、普通の夫婦の痴話喧嘩っぽく通俗的になってしまったのが敗因のような気がします。

まあそこまでキャラクター設計に突っ込む見方をしなくてもいいじゃんという映画でもあるわけで、火遊び的な恋愛を見せながら、そこに振り回される人たちの混乱を楽しむという程度の内容なら、それはそれなりに1時間40分を飽きることなく鑑賞できてしまうのも事実です。ロジェ・ヴァディム本人が前説を述べる導入部もカッコいいですし、モノクロームの映像は夜のパーティや昼間のゲレンデなどバラエティに富んだシーンがあるわりには安定したトーンで映し出されています。特に横移動で流れるように人物のクローズアップショットをとらえるキャメラワークなどは、女優さんを綺麗に映すという点でも効果的でした。ジャンヌ・ヴァレリー演じるセシルの腹ばいの裸体を見せるシーンも当時としてはギリギリの表現だったはずで、ロジェ・ヴァディムにとっては女性をセクシーに撮ることが作品づくりの目的のひとつだったんでしょうね。

本作は作家のボリス・ヴィアンが出演していることでも有名ですが、外交官仲間のプレヴァンという友人役は映画の後半の2場面ほどの出番しかありませんでした。もちろんまともに演技なんかできなかったでしょうから、顔見せ程度の出演だったのでしょう。ボリス・ヴィアンの代表作は1947年に発表した「日々の泡」(別名「うたかたの日々」)で、ヴィアンが二十七歳のときの作品でした。ジャズ・トランペット奏者としてプロ級の腕前だったそうですから、もしかして本作の出演もセロニアス・モンクやアート・ブレイキーあたりが絡んでいたのかもしれません。心臓に持病があり、トランペット演奏も身体に負担がかかっていたようで、小説「墓に唾をかけろ」の映画化が完成した試写会で心臓発作を起こして三十九歳で亡くなっています。それは本作の撮影が終わった直後のことでしたので、ボリス・ヴィアンの出演シーンがどことなく暗い影が差すように感じられるような気がしてしまいます。

映画の話に戻ると、本作をクールに見せている大きな要因がモダン・ジャズによる音楽であることは間違いありません。「No Problem」をボサノバ調に演奏する「Slow Samba」もちょっとダルな感じがとても本作の雰囲気に合っていました。でも、終盤の乱痴気騒ぎに出てくるアート・ブレイキーのドラム演奏を映したショットは、音楽とブレイキーのドラミングが全くシンクロしておらず、非常に残念な印象になってしまいました。音楽家にとって演奏場面を映像にするなら、音と映像がぴったり合っていなければそんな絵は無意味でしかありません。シンバルセットがないのにシンバルのリズムが聴こえるって変に感じないのでしょうか。こういう映像を見せられると、ロジェ・ヴァディムはモダン・ジャズをきちんと理解していたのではなく、単なる素材のひとつとしか捉えていなかったのではないかと疑ってしまいますよね。

アート・ブレイキーが初来日した1961年、空港には彼らをひと目見ようというファンが集まり、アート・ブレイキーは自分たちが歓迎されているとは知らず、同じ飛行機に誰か有名人が乗っているんだろうと思ったそうです。中には一緒に写真を撮ってくれというファンもして、世界中のどこに行っても演奏はするけれども、演奏以外の場所では黒人として差別され、ましてや誰一人として一緒に写真を撮るなんてことはなかったアート・ブレイキーは感激で涙したと言われています。ロジェ・ヴァディムは、ジャズをBGMに使うことだけを必要としていて、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを音楽家としてではなく、ファッションというか映画のデザインの一部に使っていたのかもしれません。(A081624)

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