黒い潮(昭和29年)

下山事件を新聞記者の視点で追った井上靖の小説を山村聰が映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山村聰監督の『黒い潮』(くろいうしお)です。劇団出身の山村聰は戦後映画会社の枠にとらわれず各社の作品に出演し、溝口健二や小津安二郎などの巨匠からも重用されていました。東京大学文学部卒業の山村聰は俳優業だけに飽き足らず、独立プロ「現代ぷろだくしょん」を立ち上げて『蟹工船』で監督業に進出。本作はその翌年に日活で製作された山村聰の監督第二作にあたります。山村聰は主人公速水を演じていますので『蟹工船』に続いて監督兼主演をつとめています。

【ご覧になる前に】映画製作再開まもない日活が初期に製作公開した作品です

雨が降りしきる綾瀬駅に近い線路の上を浮浪者が傘をさして歩いています。浮浪者が土手へ降りるときにすれちがった白い背広を着た男は近づいてきた貨物列車に身を投げて轢かれてしまいました。警視庁記者クラブからは毎朝新聞の筧記者が本社の速水デスクを電話で呼び出し、車と写真班をよこすように要望します。轢死したのが前日から行方不明になっていた国鉄の秋山総裁ではないかと聞き、速水デスクは急いで現場に向かいます。轢かれたのはやはり秋山総裁で、線路にたたずむ大木田刑事は雨で血痕が流れてしまうと嘆くのでしたが…。

戦時統制によって映画製作機能を大映に切り渡した日活は、戦後は興行だけを行っていて配給される外国映画を上映して会社経営を継続していました。東宝争議によって設立された新東宝が映画製作を始め、東急が音頭をとって統合された東映が映画の自社製作を始めると、日活も興行だけではなく映画製作を復活させようと動き始めます。しかし映画を作ろうにもスタッフもキャストもいないわけなので、日活は最新の機材を完備して建設した真新しい撮影所と高給での待遇を武器に他社から人材の引き抜きを仕掛けます。この日活の動きを抑えようと大映の永田雅一社長が先導して五社協定が結ばれ、映画製作再開の初期段階においてすべてを自社で賄うことは日活にとっては不可能なのでした。

そこで頼ったのが劇団や独立プロダクションのマンパワーで、日活が映画製作を再開して初めて上映した自社製作作品『国定忠治』は辰巳柳太郎や島田正吾など新国劇の劇団員が総出演していましたし、松竹を退社してフリーになったばかりの津島恵子がヒロインを演じていました。この『黒い潮』は『国定忠治』の二ヶ月後に製作されていますので、同じように劇団の俳優たちやフリーの映画俳優が配役のほとんどを占めています。山村聰本人をはじめ津島恵子、河野秋武がフリーでしたし、滝沢修、東野英治郎、信欣三、芦田伸介、中村伸郎は劇団に、清水元、柳谷寛は俳優集団に所属していた人たちです。日活所属で本作に出演しているのは安部徹、左幸子くらいでしょうか。田島義文は製作再開直後の日活に入社したもののすぐに東宝に移籍してしまうので、日活での出演作として極めて珍しい一作でもあります。

昭和24年に勃発した下山事件は、4万人近い人員整理を敢行した直後の国鉄総裁が行方不明になった末に轢死したという大変にセンセーショナルな事件でした。行方不明になった経緯も「5分ほど待っていてくれ」と運転手に告げて三越本店に入ったきり戻ってこなかったという実に不可解なものでした。死体を司法解剖した結果、東大法医学部教授が死後轢断と判定した後に慶応大学の教授が生体轢断を主張するなど検死検証の結果が分かれ、新聞各社においても他殺か自殺かで報道スタンスが二分され、現在的にいえば連日ワイドショーのネタにされるような一大ニュースとなっていったのです。

この事件を題材にして小説化した作品の中では、松本清張が昭和35年に発表した『日本の黒い霧』が最も有名で、松本清張はGHQによる謀殺説を展開しています。またマンガでは手塚治虫が昭和47年に連載した『奇子』の中で取り上げていて、別人を歩かせて町で目撃者を作り本人は同時間に殺されているというトリックの予行演習が行われたというエピソードを描いています。しかし一番最初に下山事件を小説化したのは井上靖で、事件が発生して1年3ヶ月後の昭和25年10月に文藝春秋社から『黯い潮』を発表しました。当時井上靖は毎日新聞社の学芸部につとめていて、朝日新聞と毎日新聞が下山事件を他殺説と自殺説で正反対の報道をしていたときに自殺説の毎日新聞に所属していたのでした。

脚色した菊島隆三はご存知黒澤組の一員ですが、日活が映画製作を再開する際、最初に上映した『国定忠治』、翌月の『沓掛時次郎』、そしてこの『黒い潮』と三ヶ月連続で日活作品の脚本を担当しています。翌昭和30年までの二年間で黒澤明との共同脚本で三村明監督の『消えた中隊』を含めて10本弱の映画で脚本を提供したものの、この二年だけでその後は日活作品には一切関わっていません。何か問題が起こったんでしょうか。キャメラマンの横山実は新東宝で阿部豊監督の『戦艦大和』のキャメラを回していた人で、日活にスカウトされた後は一貫して日活で働きました。『夜霧よ今夜も有難う』なんかも横山実の手によるものです。また美術は木村威夫で、大映から移籍した日活で鈴木清順と出会い『ツィゴイネルワイゼン』に至るまでの作品で鈴木清順ワールドを形成する重要な役割を担うことになります。

【ご覧になった後で】真実を追求する力作ですが偏っている面も否めませんね

いかがでしたか?本作の存在はまったくの盲点で、あの有名な下山事件を真正面から取り上げた映画が昭和29年に製作されていたのは初めて知りましたし、下山事件をもみ消すように三鷹事件、松川事件と次々に大事件が起きる経緯まで描かれていたのは驚きでした。そして下山事件を自殺説からアプローチする新聞記者の視点で描いているため、松本清張が主張するGHQによる政略の一貫的なミステリー調の作りではなく、地道に記事のネタを集めていくドキュメンタリー映画風になっていて、そこに記者たちそれぞれの人生や生活がからんでくるという展開に引き込まれてしまいました。

なので山村聰演じる速水デスクだけではなく、滝沢修の上司や河野秋武と信欣三の部下など社会部の記者たちの汗臭いと同時に執念深い群像劇を見るような作品に仕上がっていましたね。多くのキャラクターをうまく描き分けているのは菊島隆三のシナリオによるところも大きいですけど、映像としての捌きは山村聰の実力だと思います。社会部全体を画面で収めるようにして常に複数の人物が画面内を動き回る構図のショットを多用しているので、せわしない新聞報道の現場の雰囲気がリアルに伝わってくるようでした。また緩急に使い分けも巧くて、取材がうまく行かずに沈滞したり目撃者が見つかって昂揚したりでも風評に惑わされてその目撃者を手放したりと、ひとつの事件を地道に追う中でも映画の時間にメリハリをつけるように編集されていたのも注目点でしたね。

しかし興味本位で感情に流される「黒い潮」に抗ってただひとつの真実を追求し続けるという本作のテーマに対して、山村聰が津島恵子の逆プロポーズを断って博多にひとり着任するというラストは、「情死した妻が愛していたのは私だ」という山村聰の勝手な思い込みだけに支えられていて、それって真実ではなく自分の解釈なんじゃないのと思ってしまいます。ここらへんは井上靖の原作の欠点かもしれませんが、真実は妻が他の男と情死したという一点のみで「愛する者よさようなら」なんて文句がノートに残されていたことだけで情夫よりも夫への愛が本当だったなんて決めつけるのはまったくのナンセンスです。この山村聰の過去エピソードに納得感が薄いために下山事件を追う本流の部分がかえって弱く見えてしまいました。同時に津島恵子演じる「お嬢さん」も男性の中だけに存在する虚像のような女性で、新聞記者の男たちを主人公にしているだけあって女性の描き方は本当に下手くそでしたね。

映画の冒頭で背広の男が貨物列車に飛び込むショットが出てきて、人物が先頭車両に轢かれるところまでをワンショットで表現していたのにはアッと驚かされました。非常に巧みな合成技術でしたね。でもこのショットは映画自体が下山総裁の死を自殺だと断定していることに直結しています。すなわち本作がミステリー調ではないというのは結果を先に見せているからなわけで、いかに新聞記者たちが自殺という結論に辿り着くかの経緯を描くのが本作の目的なのです。たぶん下山事件を扱っているにも関わらず井上靖の小説が現在的にはほとんどその存在すら忘れ去られているのは、『黒い潮』のテーマが「真実を追求する」ことではなく「下山総裁の死は自殺だった」ことを証明しようとした小説だったからなんでしょう。だから自殺説を裏付けるための取材に記者が奔走する姿ばかりをとらえて、他殺説につながる情報は一切紹介することがないのです。真実といいながら実は偏向している、というのが本作の特徴かもしれません。

クレジットタイトルを思い起こすと「協賛 毎日新聞社」と出てきたのがちょっと異様に感じたのですが、毎日新聞社がバックアップしているということ自体が「下山事件=自殺」と報道した毎日新聞の立場を擁護する映画であることを証明しています。真実を追求するとか人の噂話に押し流されてはいけないとか正義ぶっているものの実は毎日新聞の見方が正しかったんだと言いたいだけで、しかも原作は毎日新聞出身の井上靖だし毎日新聞が映画の協賛をしているとなったら、本作のテーマはぜんぶまがい物にしか見えません。現在的には立て続けに国鉄を舞台にした三鷹事件と松川事件が起きたことを考えても下山総裁は他殺されたと考えるのが普通だと思いますし、警視庁の中でも他殺説をとる捜査一課と自殺説を発表したかった捜査二課の間で権力闘争があったという話を聞くと、当時の警察やマスコミは真実よりも体裁が大事だったんじゃないかと疑ってしまいます。というわけで、映画そのものが『黒い潮』だったというのがオチになってしまいました。(A102523)

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