フランク・キャプラ監督によるアメリカ映画史に残るアメリカの良心の物語
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』です。辛口で知られるアメリカの映画評論家レナード・マルティンは本作に最高点をつけて高評価していて、「This film seems to improve with age」とコメントしています。その言葉の通り、1946年の公開時にはあまりヒットしなかったのが、TVで放映されるようになると人気が高まり、毎年クリスマスにこの映画をTVで見てアメリカの良心を再確認するのがアメリカ一般家庭の定番行事になっていったのでした。
【ご覧になる前に】ベッドフォードフォールズという架空の町が舞台です
アメリカのベッドフォードフォールズという田舎町からジョージ・ベイリーという男が神に祈る声が聞こえてきました。天上の神はまだ翼をもらえない天使のクラレンスにジョージの守護神になるように指示をして、生まれてから今日までのジョージの一生を予習するよう言いつけます。少年ジョージは弟のヘンリーと一緒にソリ遊びをしていたときに池の水に落ちて左耳が聞こえなくなっていました。アルバイト先のドラッグストアで主人のガウワー氏が薬の調合を間違えるのを見て、ジョージはその薬を届けるのをやめて、子供に害が及ぶのを未然に防ぐのでしたが…。
フランク・キャプラはシチリア島出身のイタリア移民で、サイレント時代の短編映画で監督デビューし、コロムビア・ピクチャーズに招かれました。1934年製作の『或る世の出来事』ではアカデミー賞作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞・脚本賞を独占して、コロムビア映画に初めてのオスカーをもたらすと、以後『オペラハット』『我が家の楽園』と一年置きに監督賞を受賞してハリウッドを代表する映画監督としての地位を築きます。『我が家の楽園』に主演したジェームズ・スチュワートはフランク・キャプラのお気に入りとなり、1939年の『スミス都に行く』で民主主義を体現したような主人公を演じたことによって、素朴で善良だけども気骨のある二枚目として国民的人気を博すようになりました。第二次大戦中は陸軍映画班に所属していたキャプラでしたが、終戦とともにウィリアム・ワイラー、ジョージ・スティーヴンスとともにリバティ・ピクチャーズを設立。自らの映画製作会社の第一回作品にジェームズ・スチュワートを主演させて作ったのがこの『素晴らしき哉、人生!』なのでした。
舞台となるのは架空の町ベッドフォードフォールズですが、この町全体はセットで作られていてRKOスタジオが所有していたエンシノ牧場に4エーカーの広さで建てられました。75の店舗や建物、メインストリート、工場地区、住宅街などが三つの街区に分かれて建築され、メインストリートは300ヤードの長さがあったといわれています。ということは約270mになるわけで、マルセル・カルネ監督の『天井棧敷の人々』の犯罪大通りのセットが160mだったと言われていますから、まさにひとつの町ができるくらいの長大さでした。このセットを使って1946年4月から7月にかけて撮影が行われ、冬のシーンでは大量のかき氷と石膏によって雪の町に模様替えされ、夏のシーンでは鳥や犬、猫が放たれて自由に町の中を飛んだり歩いたりしたんだとか。セットデコレーターはエミール・クリというメキシコ人で、『海底二千哩』などでオスカーを獲得しています。
ジェームズ・スチュワートの相手役メアリーを演じるのはドナ・リード。ロサンゼルスの大学に通っているときにキャンパスクィーンに選ばれて、MGMにスカウトされて映画界入りしたんだそうで、非常にオーソドックスな美しさをもった女優さんです。本作の他ではフレッド・ジンネマン監督の『地上より永遠に』に出演してアカデミー賞助演女優賞を獲得したほか、1950年代末からはTVの「ドナ・リード・ショー」でお茶の間の人気者になりました。
本作のTVでの独占放映権を獲得した全米ネットワークのNBCは、1990年代以来、年に一度本作をTV放映することになっていて、しかも映画の内容に合わせて必ずクリスマスシーズンに放映されるそうです。家族揃って本作を見ることで、現在でも古き良きアメリカの良心を再確認するんでしょうか。というわけで、本作を見るならぜひ12月のホリデーシーズンがおススメです。
【ご覧になった後で】善意ある善人があふれたファンタジー映画でしたね
いかがでしたか?主人公ジョージは弟の命を救うために片耳が聞こえなくなり、家業を継ぐことになって弟を大学にやり、結婚する弟に代わって故郷の町に身を埋めます。こんな善良な兄が世の中にいるんでしょうか。『エデンの東』の兄弟とは正反対ですし、弟のヘンリーはフットボールで活躍して軍隊では勲章までもらって大統領夫人と食事する身分になってるんですよ。その弟に嫉妬もやっかみもせずに8000ドル紛失で自殺しようとまでするジョージはなんて善良というか間抜けなんでしょうか。途中で親友の会社の重役に誘われ、敵役ポーターからも年収2万ドルで雇ってもらうチャンスがありました。それを全部No!ですよ。本当にジョージを見ていると、自己犠牲に酔っているエセ社会主義者のように見えてきて、ちょっと気色悪くなってくるほどです。
ところが本作のキモは終盤の30分なのでして、そんなジョージが守護天使のクラレンスから「もし自分がいなかったらこの町はどうなっていたか」という仮の世界を見せられることになります。ここが面白かったですねえ。全体的に尺は長過ぎだと思いますが、本編でのエピソードはすべてこのジョージ不在の世界を効果的にするための伏線だったわけです。調剤を間違えたガウワー氏を救うのも、ズズの花びらをポケットにしまうのも、全部ここで自分のいない世界の変わりようを示すための道具立てだったんですね。恐れ入りました。本作には原作の短編があるのですが、短編はこの守護天使のお話部分だけの内容だったとか。原作者フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンはこの短編しか作品記録に残っていないので、まさに「天使から自分のいない世界を見せられて、自分が生きていた世界こそが最高のギフトだったことを知る」というプロットのみをこの世に提供した作家だったといえるでしょう。
脚色したフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットは、後に『イースター・パレード』や『略奪された七人の花嫁』などMGMミュージカルの脚本を書くコンビです。本作が毎年のクリスマスの定番になっているのはまさにこのシナリオのおかげで、本作を残したことでこの二人の名前も永遠に語り継がれることになるのでした。
同時に主人公ジョージを演じたのがジェームズ・スチュワートだったからこそ、アメリカ人全員が本作にいつまでも郷愁とともに親しみを持てるんでしょう。まさに善性しか感じられないジミーなので、8000ドルを失くしたときの粗暴なうろたえぶりも許せてしまえますし、ラストの募金も感動とともにジミーになら自分も募金するよねと納得してしまうのです。これがクラーク・ゲーブルならエラそうなんで協力したくないですし、ゲーリー・クーパーならいい男過ぎるんで天罰が当たったと思ってしまいます。ちょっとトボけた感じのジミーがいいんですよね。しかしこんなジェームズ・スチュワートをつかまえて、『めまい』でひとりの女性に偏執的に固執する変態男を演じさせたヒッチコック監督は、すごいというか無神経というか、本作の影響力を全く無視したうえでのキャスティングだったんだなと感心してしまいました。
しかしながら恐慌時の貸し倒れの時期に「私は17ドル50セントで」なんて言って自分の預金を全額引き出すこともしないベッドフォードフォールズの人たちは本当に善意の町民なんですね。しかもほとんど全員が白人で、一部にいる黒人はやっぱりお手伝いさんを職業にしています。ここには人種差別も宗教差別もありません。悪役は資産家のポーター氏ひとりだけで、なぜ投資先に健全な経営を求めることが悪になるのかよくわかりません(もちろん8000ドルを隠匿してしまうのは意地悪でしたが)。そんなわけで現在でも本作が全米で繰り返しTV放映されるのは、たぶん保守的な白人高齢者層が理想的なアメリカの幻影にとりすがるための毎年の儀式のようなものなのかもしれません。その証拠にデヴィッド・フランケルという監督による2016年のリメイク版では主役は黒人人気俳優のウィル・スミスが演じていて、黒人層に配慮したにも関わらずウィル・スミス主演作品の中では最低の興行収入に終わっているのです。残念ながら本作がある意味で究極のファンタジー映画であることは間違いないようですね。(V060922)
コメント
失礼します。
デヴィッド・フランケル監督の『素晴らしきかな、人生』(2016)は、本映画のリメイク版ではありませんよ。まったく違うストーリーです。ご確認くださいませ。
うしじ様
ご指摘ありがとうございます。題名だけでリメイクだと思い込んでいましたが、内容は別だったんですね。お恥ずかしい限りです。たぶん他の記事にも多くの間違いや勘違いが散見されると思いますので、お気兼ねなく続けてご指摘ください。