ロベレ将軍(1959年)

ロベルト・ロッセリーニ監督作品にヴィットリオ・デ・シーカが出演しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ロベルト・ロッセリーニ監督の『ロベレ将軍』です。ロッセリーニといえば言わずと知れた「イタリアン・ネオリアリスモ」の代表的監督ですが、本作にはネオリアリスモのもう一人の巨匠であるヴィットリオ・デ・シーカが俳優として主演しています。第二次大戦のイタリア戦線を時代背景としてナチス支配下にあるジェノヴァを舞台に、ゲシュタポとパルチザンの静かな戦いを描きながら、戦争に翻弄される主人公をデ・シーカが見事な演技で表現しています。

【ご覧になる前に】イタリア戦線でドイツ占領下にあったジェノヴァが舞台

第二次大戦さなかの1943年、ドイツ軍によって占領されたジェノヴァの街で、グリマルディ大佐と名乗る白髪の男はゲシュタポの高官ミュラー大佐が乗った軍用車のパンク修理を手伝います。アパートの一室に入った男は本当の名前をベルドーネといい、ベッドで寝ていた踊り子の女から質草をねだるのですが、女は以前ベルドーネから贈られたニセモノの宝石を突き返すだけ。ベルドーネは電話で「行方不明の息子さんはすぐに釈放されるから安心して」と受話器に告げると、カフェに行ってニセ宝石を適当な値をつけて売りつけようとするのですがなかなか買ってくれる人に巡り合いません…。

第二次大戦のイタリアといえば、ムッソリーニによるファシズム政権下で日独伊三国同盟を締結し連合国側と戦ったものの、最後にはムッソリーニが処刑された歴史が思い出されるところですが、敗戦に至る経緯は結構複雑なものでした。1943年ムッソリーニを逮捕・幽閉してシチリア島を解放した連合軍がイタリア半島先端まで迫ったところで、ムッソリーニに代わってイタリア政府を代表したバビリオ政権は連合軍との休戦を表明しますが、その間にドイツ軍はロンメルとケッセルリンクの両元帥によってイタリア全土を奪還。ムッソリーニを救出するとともにイタリアのほぼ全土を占領下に置いてしまいます。1944年には連合軍がアンツィオの戦いでローマ近くに上陸するもののケッセルリンク元帥の反撃に合い、戦線は膠着化。1945年イタリア各地でパルチザンが蜂起して、捕らえられたムッソリーニが公開処刑され、やっとのことでイタリア戦線が終結したのはドイツ軍降伏と同じ5月のことでした。

映画が始まるとドイツ軍司令部がジェノヴァの街中に設置されているのが出てきまして、イタリアはドイツ敗戦の前に降伏したはずなのになぜだろうかと思ってしまうのですが、本作はイタリアがドイツ軍占領下に置かれた1943年9月以降が舞台となっていますので、ドイツに歯向かうイタリア市民はゲシュタポの手によって容易に逮捕・拘留されてしまう状況だったわけです。イタリア映画ですからイタリアにとっては当たり前の歴史なので、ここらへんのイタリア戦線の経緯を念頭に置いて鑑賞したほうがわかりやすいかもしれません。

ロベルト・ロッセリーニ監督は戦時下にはいわゆる国策映画に位置づけられる戦争記録映画を撮っていましたが、敗戦後に発表した『無防備都市』がドキュメンタリータッチを生かしたリアリズムの作品として評判を呼び、一躍ネオリアリスモの旗手として注目を浴びます。『無防備都市』を見たイングリッド・バーグマンがロッセリーニ監督作品に出演することを熱望し、その願いは1950年の『ストロンボリ』で実現します。そしてバーグマンとロッセリーニは映画撮影時に不倫関係に陥った末に結婚し、アメリカとイタリア両国を巻き込んだスキャンダルに発展してしまいます。しかし言葉の違いを乗り越えられなかった二人は1958年に離婚しバーグマンはハリウッドに復帰し、ロッセリーニは不遇の時期を経てやっと復活を果たしたときに本作の製作が実現されたのでした。

かたやヴィットリオ・デ・シーカは『靴みがき』や『自転車泥棒』で戦後の貧しいイタリアの現実をフィルムで再現しますが、ネオリアリスモが行き詰まるとジェニファー・ジョーンズを起用した『終着駅』で大衆受けする不倫ロマンスを製作します。また俳優として出演したアメリカ映画『武器よさらば』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど、その美丈夫ぶりを発揮して役者としても活躍するようになりました。本作はネオリアリスモを代表するヴィットリオ・デ・シーカが、同じくネオリアリスモの中心にいたロッセリーニ監督の作品に出演したということでも映画史的に重要な意味をもつ作品になっています。

【ご覧になった後で】詐欺師が英雄の最期を選ぶという皮肉が効いています

いかがでしたか?映画の序盤を見ていても主人公ベルドーネが何者かがなかなかつかめないのですが、戦争失踪人を探すふりをして家族から金をだまし取る詐欺師だと発覚するところまでが前半だとすると、その詐欺師をパルチザン組織の将軍に化けさせてスパイとして収容所に送り込むパートが後半を占める二部形式の映画でした。特にロベレ将軍のフリをする後半がなかなかサスペンスフルで、威厳をもった将軍像を演じてみせたかと思えば、簡単なメモの手渡しを失敗してしまったり、そのせいで床屋の男を死なせてしまったりとシビアな展開に落ち込んでいくストーリーが十分な引き込み力を持っていました。

脚本はインドロ・モンタネッリという人の原作をロッセリーニ監督ら数人が加わって映画のシナリオにしたものですが、ベルドーネがギャンブル依存症であるところなどは主演のヴィットリオ・デ・シーカ自身の私生活をそのままモデルにしているんだそうです。ロッセリーニ監督作品にしてはほとんどセットで撮影されていて、かつては敗戦直後だったので街中でのロケーション撮影がそのままイタリアの現実を写し取ることにつながったのに対して、すでにジェノヴァの街は復興が完了していて戦時中の雰囲気を出すにはチネチッタ撮影所でのセットに頼らざるを得なかったのでした。その代わりといっては何ですが、ところどころに大戦中のドキュメンタリーフィルムが挿入されたり、当時の風景を撮影したフィルムをスクリーンプロセスで使用したりして、リアリティーを出そうとした努力の跡が伺われます。

ロッセリーニ監督の演出は、映像重視というよりは俳優の演技の連続性を重んじていて、キャメラは常に俳優の動きを中心にとらえるためにパンしたり移動したりを繰り返します。クローズアップは滅多に使うことがなく、カッティングにこだわりがあるわけでもありません。よってストーリーラインと俳優たちの存在感がキモになる映画なのですが、デ・シーカ以下の役者たちは有名無名問わずいかにもその当時のイタリア市民がそこにいるみたいな自然さで出てくるので、さすがロッセリーニ監督らしいキャスティングの巧さが光っていたと思います。デ・シーカの相手役となるミュラー大佐を演じたのはハンネス・メセマー。実際にドイツ軍に従軍して規律違反を犯したために東部戦線に送られ、スターリングラードの戦いを経てロシア軍の捕虜になったという戦争体験をもつ人で、あの『大脱走』の収容所長フォン・ルーゲルを演じたのがハンネス・メセマーでした。本作ではゲシュタポの高官役を演っていますが、ジョン・スタージェス監督は本作での演技を見て『大脱走』に起用したのかもしれません。

本作は撮影日数33日、編集10日という超短期間で製作されたらしいのですが、その割に上映時間が2時間10分を超え、大変に興味深い着想で俳優たちの演技も申し分ない作品であるにも関わらず、少しばかり冗長な感じがしてしまいます。たぶん編集で無駄な場面を刈り込む手間を惜しんだのかもしれませんし、特に前半部分のベルドーネが詐欺師であるとわかるまでにあんなに複数のエピソードを重ねる必要があったのかどうかは疑問が残ります。アメリカの映画評論家レナード・マルティンは本作を「ペースはゆっくりだけどうまくやれている」というコメントで評していて、わが双葉十三郎先生は「将軍に化けて監獄に入るとネタが割れてつまらなくなりますな」というコメントで点数は「☆☆☆★」と案外厳しめに扱っています。かたやヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞に輝いていますし、日本公開された1960年のキネマ旬報ベストテンでは外国映画の第四位になっています。詐欺師が最期には将軍として英雄的に死を選択するというラストを、構築されたストーリーラインとして評価するか、ゆっくりし過ぎて先が読めてしまうと見切るかは、観客の志向によるんでしょう。けれども、まあ俳優たちの巧い演技に身をゆだねればそれなりの緊迫感が楽しめる佳作なのかなと、前向きに評価したいなと思いますね。(A050422)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました