『花咲く港』に続く木下恵介の監督第二作は名刀「関の孫六」を巡る喜劇です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木下恵介監督の『生きてゐる孫六』です。昭和18年7月公開の松竹映画『花咲く港』でデビューを果たした木下恵介の監督第二作で、同年11月に公開されました。脚本も木下恵介のオリジナルで、室町時代から伝わる名刀「関の孫六」をモチーフにしながら因習に縛られる地方の村での騒動を喜劇的に描いています。『花咲く港』と同様に戦時下でありながら、戦争の影をあまり感じさせないのんびりとした雰囲気で、いかにも松竹映画っぽい仕上がりになっています。昭和18年から昭和20年まではキネマ旬報ベストテンが開催されておらず、当時の評価がどうだったかの記録が残っていないのが残念です。
【ご覧になる前に】上原謙主演ですが多くの登場人物がからんで話が進みます
戦国時代の遠江国では武田信玄と徳川家康・織田信長の軍勢が多くの馬を走らせて合戦を繰り広げています。三方ヶ原の戦いと称されることになるその戦いで多くの兵たちの屍が累々と並び、その土地は小名木ヶ原として小名木家が代々守り続けてきました。すすきが生い茂る小名木ヶ原で軍事演習を指揮する相良には自慢の名刀があり、近くに住む鍛冶屋の茂次郎からそれを偽物だと決めつけられ、明日実物を持参すると約束します。小名木家の跡継ぎである義弘は、鍛冶屋の息子から小名木ヶ原を農地にしてお国のために食料生産を始めようと持ちかけられるのですが…。
松竹大船撮影所で助監督をしていた木下恵介はオリジナルシナリオを書いては当時の撮影所長城戸四郎に提出して、監督昇進の声がかかるのを待っていました。そのときに書いた脚本に「芒」という作品があり、そのシナリオをもとに書き換えられたのが本作の脚本になりました。企画当初は海軍からゼロ戦の大活劇を撮るよう要請されたものの撮影に使えるゼロ戦がなく、木下恵介のオリジナル脚本が採用されたそうです。デビュー作の『花咲く港』は菊田一夫原作の舞台劇の映画化でしたから、オリジナルシナリオとしては初めての監督作品になります。
しかしながら昭和18年といえば日本が太平洋戦争で敗色濃厚になっていった時期で、本作公開の前月にはそぼ降る雨の神宮外苑を学生たちが行進する出陣学徒壮行会が挙行され、徴兵対象が広げられるようになっていました。というのも前線で多くの兵士が戦死して兵力不足を補うために、それまでは徴兵が二十六歳まで猶予されていた大学・高等学校・専門学校の学生たちも戦地に送り出されることになったのです。米軍の空襲が開始されるのは昭和19年6月以降のことですから、軍部によってニュースが検閲されていた一般庶民にとっては、学生たちが兵隊にとられる事態になってきたことで徐々に戦争の雲行きが怪しくなってきたのを感じ始めた頃だったでしょう。
本作も当然のことながら当時の情報局による検閲を通ったうえで製作されていますので、日本の敗戦をにおわせるような要素は一切描かれてはいません。逆に情報局はプロパガンダとしての映画の活用を進めるため、昭和18年から「撃ちてし止まむ」を戦意高揚のスローガンとして、フィルムの冒頭に挿入するようになりました。本作は松竹映画のロゴから始まり「撃ちてし止まむ」の字幕は出てきませんので、もしかしたら現在見られるバージョンからは削除されたのかもしれません。同年2月公開の東宝映画『ハナ子さん』の冒頭にはその字幕が入っているので、軍部よりの東宝は入れていたけど、軍の規制に反発していた松竹は入れなかったというような、映画会社側に選択権があった時期だったのかもしれません。まあここらへんはフィルム自体が失われていることも多いのでよくわかりませんね。
出演者の中で一番先にクレジットされているのは上原謙で『花咲く港』に続く木下作品の主演となります。しかし配役的には上原謙の単独主演というわけではなく、多くの登場人物がからみながら進む物語となっていますので、松竹の俳優陣がたくさん出演しています。若い頃の細川俊夫、小津映画の常連だった坂本武・河村黎吉・吉川満子、蒲田撮影所時代から出演の多い葛城文子・岡村文子などなど。そしてキャメラマンはもちろん木下恵介作品を支え続ける楠田浩之です。
【ご覧になった後で】監督二作目で早くも木下恵介監督の才気が感じられます
いかがでしたか?『花咲く港』に比べて本作は木下恵介の映画監督としての才気が端々に感じられて、非常に興味深く見ることができました。才気の最たるものは優れたシナリオ設計で、1時間半に満たない上映時間しかない作品なのに、実に多くのキャラクターを描き分けているとともにそれぞれのドラマが浮き立つように作られています。
戦地に赴く上原謙は「関の孫六」が偽物だと悟り、バスガイド河野敏子と婚約者の仲を取り持ってあげます。逆に本物の「関の孫六」を山鳩くるみという可憐な娘とともに手に入れる細川俊夫は跡継ぎは早死にするという迷信を信じ込む原保美を神経衰弱だと一刀両断し、病気ではないと知った母親吉川満子は坂本武と岡村文子に息子の結婚を承諾。鍛冶師河村黎吉は一世一代の名刀を上原謙に収め、息子の宮子徳三郎はすすきだらけの土地の開墾を許されます。このように簡単にまとめただけでも十人以上のキャラクターが登場して、それぞれに人生の転機を迎える状況が描かれているのです。しかもそれぞれのエピソードはオムニバス的に分断されているわけでなく、複雑に絡み合っていて終幕では見事にもつれた糸がほぐれてそれぞれの解決を見ることになります。
このように自分が書き下ろしたシナリオを映画化していること自体が木下恵介の自信の裏付けなわけですが、加えて木下恵介らしい映像演出も垣間見ることができ、特に引きでとらえた屋敷を横移動するショットなどは戦後に傑作を連発する木下恵介の才気を十分に伝えていました。映像的に考えればクローズアップショットのほうがストーリーを盛り上げるには使いやすいんでしょうけど、ロングショットで効果的にヤマ場を作るのは映画監督の仕事とすれば難易度が高いはず。それをいとも簡単に、しかも監督第二作で適切に使い分ける木下恵介の力量には本当に感服してしまいますね。
映画の冒頭に出てくる「三方ヶ原の戦い」の三方ヶ原とは現在の浜松市中央区のあたりを指していて、浜松といえば木下恵介の出身地でもあります。自分の故郷を題材としたシナリオを書きたかったのかもしれませんが、この合戦シーンは冒頭部分だけでは惜しいくらいの迫力はあって、なんでも撮影には馬が300頭も用意させられたんだとか。確かに移動ショットで延々と映される合戦シーンを埋め尽くすくらいの馬が画面の中に犇めき合うように出てきますし、いきなり俯瞰でその全景を捉えたショットはたぶん相当高い櫓を組んで撮影されたものと思われます。戦時下の松竹において、これだけ大規模な合戦場面を映画にできたのは、予算やフィルムや準備なども含めて木下恵介に対する期待の表れだったのではないでしょうか。
戦時下なので仕方ないのですが、上原謙が原保美を慰める場面では「生きてお国のために死のう」というようなセリフが出てきます。情報局の検閲を通すためにはこれくらいのセリフを入れておかないと了解が得られなかったでしょうけど、「お国のため」の部分を削除して考えれば「死ぬことばかり考えずにまず生きよう」という前向きなメッセージにも感じられます。そもそも上原謙が大切にしていた「関の孫六」は簡単に偽物だと暴かれてしまいますし、念仏ばかり唱えているお婆さんなどアイロニーを利かせたユーモアが散りばめられていて、とても昭和18年製作の作品とは思えない余裕が感じられます。木下恵介は昭和19年末に公開された『陸軍』で出征を見送る田中絹代を描いて軍部から「女々しい」と批判されて一旦は松竹を離れてしまうのですが、本作にはそんな短慮な姿勢よりも軍部を欺きながら自分の好みの作品を仕立ててしまうスマートさがあります。木下恵介監督のキャリアを知るためには、ぜひ押さえておきたい重要な作品ではないでしょうか。(U070224)
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