わが谷は緑なりき(1941年)

アカデミー賞作品賞受賞、ジョン・フォード監督もお気に入りの作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』です。映画評論家の淀川長治氏が来日したジョン・フォード監督にインタビューしたとき、ジョン・フォード自ら一番好きな作品だと明言したのがこの『わが谷は緑なりき』でした。1941年度アカデミー賞では、作品賞を受賞し、ジョン・フォードも監督賞を獲得しています。製作者のダリル・F・ザナックはこの映画を『風と共に去りぬ』のような一大叙事詩にしようとしたらしいですが、そんな大仰にするよりも2時間の白黒作品でよかったと思える佳作です。

【ご覧になる前に】舞台はウェールズの炭鉱町、イギリスの小説が原作です

モーガン一家はウェールズの炭鉱町に住み、父親以下四人の息子たちも炭鉱で働いています。炭だらけになった男たちを家で出迎えるのは頑固な母親と美しい姉、そしてまだ幼い末っ子のヒューでした。厳格な父のもと家族は慎ましく誇らしく暮らしていますが、炭鉱のオーナーが炭鉱夫たちの賃金を一方的に減額したことをきっかけにして、息子たちは労働者が虐げられていることに反発し始めるのでした…。

原作は1939年に発表された同名の小説。リチャード・ルエリンというイギリスの作者がロンドンで発表しました。ルエリン本人が炭鉱で働いていたわけではないそうですが、ベストセラーになってハリウッドの20世紀フォックスが映画化権を買い取ることに成功しました。ウェールズが舞台なので実際にイギリスでロケをしようとしたものの、第二次大戦がはじまりイギリスはドイツ軍の空襲にさらされていて断念。ハリウッドで撮影したのですが、ウェールズで咲く花の色をカリフォルニアで再現することができず、それゆえカラーではなく白黒で撮ることになったそうです。

主人公ヒュー少年を演ずるのは、ロディ・マクドウォール。ロンドン出身のマクドウォールは戦争から逃れて一家でアメリカに移住したばかり。本作に出演したのは十三歳の頃です。マクドウォールというと、おなじみなのが『猿の惑星』のコーネリアス博士役ですが、猿のメイクアップをしていたので、小さなときはこんなに可愛い男の子だったのだなと感心してしまいます。姉アンハラッド役はモーリン・オハラ。本作のあとも『リオ・グランデの砦』や『静かなる男』、『長い灰色の線』といったジョン・フォード作品に出演し続けていますので、ジョン・フォード監督のお気に入りの女優でした。

1941年はオーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』が公開された年。ということはアカデミー賞でも『市民ケーン』はこの『わが谷は緑なりき』と同様に多くの部門でノミネートされたのですが、作品賞・監督賞・撮影賞・美術監督賞と、ことごとく『わが谷は緑なりき』が獲得。本作の存在があったせいで『市民ケーン』はアカデミー賞に名を残すことができませんでした(『市民ケーン』は脚本賞のみ)。現在では映画史上ベストテン作品などをやると必ず『市民ケーン』が上位に選ばれますが、だからといって『わが谷は緑なりき』の価値が低くなったわけではありません。辛口批評で有名なアメリカの映画評論家で映画史家のレナード・マルティンが、本作に星四つの最高評価を与えているくらいですから、アメリカ映画史上に残る名作であることには違いありません。

【ご覧になった後で】絵画的な映像と群衆シーンが素晴らしく印象的です

いかがでしたか。まず目を引くのが白黒画面の美しさでしたね。構図も光の具合も俳優の配置もすべてが完璧な絵画になっていました。本作のキャメラマンは、アーサー・C・ミラー。本作でアカデミー賞の撮影賞を受賞したミラーは、『聖処女』『アンナとシャム王』でも受賞しているので、1940年代に三度もオスカーを獲得しているのです。さらに群衆のシーンはどれも印象的で、これは坂道をうまく利用した炭鉱町のセットデザインも大きく影響していると思います。坂を見上げる構図の手前に炭鉱夫たちが群れているあの構図ですね。プロダクションデザイナー、いわゆる美術監督はリチャード・デイという人で、この人も7回もアカデミー賞の美術賞に輝いている名デザイナーです。そんなスタッフに支えられたうえで、さらにジョン・フォード監督に幸運の女神がついていたとしか思えないのは、モーリン・オハラ演ずる姉の結婚式の場面です。風に舞って、空中に丸く弧を描くように浮かぶ花嫁のベール。偶然の産物にしては、あまりに見事な効果が出ていました。クリアなキャメラと相まって、奇跡のように美しい映像に仕上がっていましたね。

モーガン一家に女王から合唱隊を招待するという場面がありました。この時代はキングだったのではないかと思ったのですが、さにあらず。本作はヴィクトリア女王時代のお話で、ヴィクトリア女王は1901年まで女王の座にありましたから、『わが谷は緑なりき』は19世紀末の時代設定だったようです。当時のウェールズ地方南部は、世界最大の石炭輸出地域。600以上の炭鉱があり、20万人が従事していたという記録があります。ですから、『わが谷は緑なりき』はかつて炭鉱で栄えたウェールズへの郷愁が込められた作品でもあるのです。

ところで、ジョン・フォードが作ったアメリカ映画なのにウェールズを舞台にしているのは、日本人の立場で考えると、日本映画で中国を舞台にした作品をつくるようなものではないかと感じてしまいます。しかし、モーリン・オハラが恋する相手は牧師で、牧師とはプロテスタントの教職者を指します。アメリカではつい最近まで支配階級であった人たちのことを「WASP」と呼んでいました、「ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント」の頭文字で、やっぱり新大陸においてもイギリス出身の白人で、キリスト教でもプロテスタントのほうが主流派だったんですね。なので本作は、アメリカの支配階級の人たちが、自らのアイデンティティを再確認するような思いで鑑賞する対象になっていたのかもしれません。

しかし、そんな背景はおいておくにして、本作が描いているのは無骨ながらも真摯にまじめな日常を生きていく誠実な生活者の人々です。ドナルド・クリスプ(この人も本作でアカデミー賞助演男優賞を受賞しています)演ずるモーガン家の父親は、炭鉱で働くことを誇りとし、賃金がカットされても黙って受け入れる素朴な人物です。組合をつくってストライキで対抗しようとする息子たちとは正反対で「炭鉱主も人間なんだからわかってくれるはず」と自らの信念を語ります。結果的にはそういう理想は通じなくなり、炭鉱町は徐々に資本主義の営利追及の渦に巻き込まれ、主人公ヒューも故郷を去ることになります。郷愁を描く映画なのに、やっぱりそんな理想郷はないんだという現実をつきつけるのが、この映画のラストですが、だからこそヒューの少年時代、すなわち映画の冒頭場面に回帰する映像が胸に刺さってくるのかもしれません。寂寥感の中にどこか温かみが残るエンディングには、誰もが胸を締め付けられるのではないでしょうか。(V111821)

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