花嫁の父(1950年)

スペンサー・トレイシーが娘の結婚式で奮闘する父親を演じたコメディです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ヴィンセント・ミネリ監督の『花嫁の父』です。娘を嫁に出すという話は世界中どこでも共通する話題になるわけでして、花嫁の父をスペンサー・トレイシー、花嫁をエリザベス・テイラーが演じた本作は、結婚式をあげるまでのドタバタをコメディ調に描いたアメリカンなホームドラマになっています。同じく娘の結婚を描いた小津安二郎の『晩春』のような父と娘の感情の機微などはあまり重視されておらず、結婚式を行うまでのプロセスがいかに大袈裟で馬鹿げているかを取り上げた結婚式のノウハウもののようでもあります。エドワード・ストリーターという人が書いた原作は1991年には『花嫁のパパ』としてリメイクされていて、アメリカ映画におけるファミリー喜劇のプロトタイプのひとつといえるでしょう。

【ご覧になる前に】子役だったエリザベス・テイラーが成人女性を演じました

結婚披露パーティが終わったあとの食器や紙くずが散らかった部屋で、花嫁の父スタンリーが結婚式に至るこの三ヶ月を振り返り始めます。弁護士で郊外の家に帰宅したスタンリーは、いつものように妻エリーに迎えられ、外出する長男に車のキーを渡し、つまみ食いをしている次男と挨拶を交わします。しかし子供たちの中で最も可愛がっている娘ケイの様子がいつもとは違っているのに気づいたスタンリーは、夕食のときに娘からバックリーという青年との結婚を考えていると聞かされます。外出の約束をしていたケイを迎えに来たバックリー青年は背が高くマナーも身につけていて、妻エリーはすぐに気に入るのですが、スタンリーだけは釈然としないのでした…。

脚色を担当したのはフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットの二人。1946年の『素晴らしき哉、人生!』の脚本家コンビで、MGMと契約を結んでいたのかもしれません。監督のヴィンセント・ミネリも、パラマウントでの短い契約期間ののちにMGMで26年間も働くことになった人で、ちょうど本作の製作時はMGMの大スターだったジュディ・ガーランドと結婚していたときでした。本作のあとには『巴里のアメリカ人』や『バンド・ワゴン』、『恋の手ほどき』などMGMミュージカルの中でも特に名作と言われる作品を監督しています。

エリザベス・テイラーはイギリス出身で、戦火を避けてロンドン郊外からアメリカに渡りロサンゼルスに住むことになりました。黒髪にバイオレットの瞳が魅力の超絶的美少女だったようで、すぐにユニバーサルから声がかかったものの映画に一本出演しただけで契約解除になってしまいます。それは子役にしては妙に大人びているところが敬遠されたせいだったようですが、逆にその大人びた雰囲気に目をつけたのがMGMで、1944年の『緑園の天使』で自由に馬を操る少女を演じて大成功をおさめました。しかし少女役で注目されたがゆえに少女ものしか出演の機会がなく、やっと成人女性の役がついてもその作品があまりパッとしないままだったところに、本作のケイ役が回ってきたのでした。

父親役のスペンサー・トレイシーも1935年にMGMと契約していて、1937年『我は海の子』と1938年『少年の町』で二年連続アカデミー賞主演男優賞を獲得しています。この二年連続オスカー受賞はその後60年近く破られることがなかった偉業でした。キャサリン・ヘプバーンとのコンビが有名で、私生活でも恋愛関係になったそうですが、本作でもスペンサー・トレイシーが妻エリー役にキャサリン・ヘプバーンを推したものの、それでは両親役のほうがロマンティックになり過ぎるということで却下されて、ジョーン・ベネットがエリーを演じることになったらしいです。

【ご覧になった後で】冒頭の回想から始まって「父親の一人称」映画でした

いかがでしたか?まず映画の冒頭で、パーティ騒動後の居間からスペンサー・トレイシーがカメラ目線で観客に語り始めるファーストショットに驚かされますよね。この当時の映画で登場人物が観客を直視するような撮り方は珍しかったはずです。しかしストーリーを追っていくと、このカメラ目線の演出にも納得が行ってきて、すなわち本作は花嫁の父が見た花嫁の結婚騒動の一部始終の記録といった体の映画だったのです。ところどころに花嫁の父の独白が挿入されますし、なにしろすべてのシーンに花嫁の父が登場していて、スペンサー・トレイシーがいない場面はひとつもありません。それも当然で、花嫁の父による一人称映画なのですから、花嫁の父が知らない話は映画にも出てこない仕掛けになっているのです。

それはそれでまあ面白く見られますけど、一方の主人公でもある花嫁の立場はどうなるんでしょうか。結婚前の危機は一度だけ描かれていて、それも新婚旅行で釣りをするかしないかというどうしようもないケンカのエピソードでした。本作のエリザベス・テイラーはひたすら自分の選択を正しいと思い込む正統派の花嫁でありまして、結婚に悩んだり新郎と揉めたり新郎の両親と軋轢が生じたりなどのネガティブな場面は全くありません。ということはどういうことになるかというと、ほとんどお人形のような花嫁にしか見えなくなってしまうんですよね。ひたすら父親から見た可愛い娘のままで、それはラストシーンの「娘はいつまでも親にとっては子供のままだ」というセリフにつながっていきます。

まあ当時のアメリカは第二次大戦が終わって5年が経過したところで、女性は家庭にというムーブメントが主流になっていたので仕方ないかもですね。戦時中は男が兵隊にとられていたこともあって必然的に女性が工場や通信など後方支援に従事していたのに、戦地から戻ってきた男性がそうした職場を独占することになり、結果として女性は再び家庭を守る的な主婦の位置づけに戻ってしまった時代でした。なので本作が男性目線一本やりでも、誰も何とも感じなかったのかもしれません。

結婚騒動を喜劇的に扱ったホームドラマという点では映画として特に見るべきものはないのですが、結婚式前日の夜にスペンサー・トレイシーが見る悪夢の場面だけは大いに見ものでした。教会のヴァージンロードがグニャグニャ曲がったり、列席したゲストの物凄い形相がオーバーラップしたりと、この夢の映像表現はこの部分だけ抜き出せば立派なホラー映画になりそうな、鋭い切れ味のイメージになっていました。エリザベス・テイラーも確かに美人なのですが、この悪夢の最後に叫び声をあげる姿が一番強烈な印象を残していて、美人だけども狂気を感じさせる花嫁といった雰囲気に映っていました。

蛇足ですが、次男を演じたのはラスティ・タンブリンとクレジットされていまして、本作の11年後に『ウェスト・サイド物語』でジェット団のリーダーを演じるあのラス・タンブリンが出演していました。本人も11年後に歴史に残るミュージカル映画に出るなんて想像もしていない頃だったのではないでしょうか。もちろん16年後に東宝の特撮映画『サンダ対ガイラ』に出演することになるとは、この映画に関わるすべての人が予想することは不可能だったでしょうけど。(V070722)

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