ケネディ大統領暗殺事件を裏側からドキュメンタリータッチで描いた作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、デヴィッド・ミラー監督の『ダラスの熱い日』です。1963年11月22日にアメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディはダラスで暗殺され、事件はリー・ハーヴェイ・オズワルドによる単独犯行だとされました。本作はそのオズワルド単独犯説を真っ向から否定する陰謀説で描かれており、ケネディ大統領暗殺事件発生から10年が経過して、初めて事件の裏側に迫った作品として注目されました。原題の「Executive Action」は直訳すると「執行行為」ですが、「大統領令」という意味があるそうです。
【ご覧になる前に】赤狩りでハリウッドを追われたダルトン・トランボの脚本
ひっそりとした郊外の邸宅に集まったのは、かつてCIA高官や政府関係者だった面々で、ピッグス湾事件でキューバ対策を誤ったケネディ大統領への不満から大統領暗殺について話し合います。ケネディ大統領は再選に向けて各地で遊説を行っていて、秋にテキサスを訪問するという情報から、ダラスをパレードする車に乗った大統領を三名の狙撃手が狙い撃つ計画を立て、誰もない砂漠で実戦練習を行います。作戦を主導するファーリントンとフォスターは、犯人を仕立てるためにソ連滞在経歴のあるオズワルドに目をつけるのでしたが…。
ケネディ大統領暗殺事件を扱った映画と云えば、1991年のオリバー・ストーン監督『JFK』が一番有名かもしれませんが、『JFK』の18年も前の1973年に陰謀説の立場から暗殺事件を映画にしたのが本作です。全米で1973年11月に公開されていますから、まさにケネディ暗殺10周年を記念して作られた作品とも云えるわけで、映画が劇場公開された際には陰謀説を記事にした宣伝用の模擬新聞が入場者に配布されるという手の込みようだったそうです。
単独犯とされたオズワルドが事件後に射殺されてしまったことで、事件翌年にウォーレン委員会が設置されて事件について詳細な調査が行われ、公式調査報告書ではオズワルドの単独犯行であり、大統領は後方からの銃撃で死亡したと結論づけられました。本作はその正式調査に真っ向から歯向かうような内容だったため、注目を浴びるとともに物議を醸すことになり、劇場公開は2週間で打ち切りとなり、TVからは予告編の上映を拒否され、ビデオやDVDなどがなかった時代でしたので、1980年代後半まで見ることができない扱いをされたのでした。
ジョン・F・ケネディは現在でこそアメリカ合衆国史上最も人気のある大統領のひとりですが、就任した当時はアイルランド系移民のケネディ一家は東部の新興財閥であってそれに対する反発があり、また国家予算合理化に向けた軍縮政策は軍需産業が盛んな南部を中心に反ケネディ感情が広がっていました。民主党の中でも南部でケネディ政権が受容されなくなってきたために、ケネディは自らルイジアナ・ミズーリ・ミシシッピ・テキサスといった深南部の支持を得るために遊説を行わなければならなかったのです。しかし公民権法の立法を進め黒人運動を支持し、ソ連のような共産主義国と宥和しようとするケネディ大統領は、南部の差別主義者たちからは「消してしまいたい人物」になってしまっていたのでした。
そのような背景からケネディ大統領暗殺事件についてはウォーレン委員会の結論には疑問が持たれていて、マーク・レーンとドナルド・フリートという二人のジャーナリストが「Executive Action」と題した本を書いたのですが、南部の右翼から脅迫を受けてアメリカでは出版できずパリで初版されたというエピソードが残っているそうです。その原作をシナリオにしたのがダルトン・トランボで、トランボはマッカーシー上院議員による赤狩りに反旗を翻した「ハリウッド・テン」のひとり。非米活動委員会での証言を拒否したため連邦刑務所に収監され、出所後は本名で活動することができずに、イアン・マクレラン・ハンターの名義を借りて『ローマの休日』の脚本を執筆するなど、表立った活動を制限されていました。オットー・プレミンジャー監督の『栄光の脱出』、スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』あたりから実名を出すことが許されるようになり、1971年には『ジョニーは戦場に行った』の監督をつとめるまでになりました。
監督のデヴィッド・ミラーは、ダルトン・トランボが脚本を書いた1962年の『脱獄』でも監督をしているので、本作ではダルトン・トランボとのコンビということで監督に起用されたのかもしれません。主演のバート・ランカスターは1960年代はヴィスコンティ監督の『山猫』などヨーロッパで活躍していて、1970年の『大空港』でハリウッド映画に復帰した時期。またロバート・ライアンは肺がんを患っていて、本作公開の4ヶ月前に亡くなっています。ランカスターもライアンも本作の役柄とは正反対に反戦主義者でありリベラリストでもありましたから、どちらかというとマイナーでB級的な位置づけの本作に出演したのは、この映画をきっかけにしてオズワルド単独犯説に人々が疑問を抱くことを期待していたためだったかもしれません。
【ご覧になった後で】記録映像の効果的活用に反してセリフの説明が長いです
いかがでしたか?本作は1973年に劇場公開されたときに見に行った思い出の映画でもありまして、地方都市では『マッドボンバー』という爆弾テロものとの二本立てで公開されていました。でもこの映画を見たおかげで小学生ながらケネディ大統領暗殺の日を1963年11月22日と憶えていたり、オズワルドはハメられたんだと信じ込んでいたりと、妙にケネディ暗殺事件に詳しい子どもになってしまったのですから、映画は歴史の勉強にも大いに役立つものだと幼いながらに感じ入ったのでした。
非常に印象的なのは可能な限り現存する記録映像を活用して事件当日の雰囲気を再現していることで、ニュース映像やザプルーダー・フィルムと呼ばれる8ミリフィルムを織り交ぜながら、ケネディが銃撃される様子をリアルに伝えるシークエンスが一番の見どころになっていました。でも、現在の視点で見直してみると、ライフルのスコープから捉えた映像は本作用に俳優が演じたカラー撮影だったことがはっきりとわかり、あんまりケネディに似ていないなあとか妙にディテールが気になってしまったので、記録映像だけで押し切ったほうがよかったんではないかと感じてしまいました。
記録映像がリアリティを増す効果があった一方で、バート・ランカスターやロバート・ライアンが邸宅や客車の中で話し合う場面は、ほとんどセリフのやりとりだけで暗殺計画の背景が語られていきます。ここが本作の欠点で、会話だけではなぜケネディが暗殺されなければならないのかが伝わらないんですよね。キング牧師の「I have a dream」の演説映像が挿入され、ケネディ大統領とキング牧師が並んで映ったりするのですが、そうした有名な場面が南部のタカ派勢力からは不愉快極まりないものに見えていたという別の側面が表現されていません。セリフの説明は眠気を誘うくらいの平板さだったので、ダルトン・トランボのシナリオももう少し映像的に構築してもらいたかったです。
しかし字幕による説明文は内容がシリアスなだけに、逆に文字情報が暗殺事件の怖さを表すような効果がありました。まず冒頭に「ジョンソン大統領は最晩年のインタビューでオズワルド単独犯説に疑問を呈したがそのメッセージは削除された」というナレーションが流れ、クレジットタイトルの途中には「私たちが描く陰謀があったかどうかわからない。私たちは存在したかもしれないと示唆しているだけだ」という字幕が出て、本作の存在自体が不穏なものである印象を抱かせます。そして一番衝撃的なのはラストに暗殺事件に関わった人々の顔写真が映し出され「暗殺から3年間で18人の関係者が死亡した。その確率は1京分の1である」と説明されるところ。劇場公開時に見たときも、この最後のメッセージが強烈に心に刻まれたものでした。
映画の途中でオズワルドが車を物色する場面が出てきますが、ディーラーの男性は事件後に謎の死を遂げたそうですし、8ミリフィルムを撮影したエイブラハム・ザプルーダーは、1970年に悪性脳腫瘍でこの世を去っています。オズワルドが事件後きちんとした証言記録を残さないまま、ナイトクラブ経営者ジャック・ルビーに射殺されたのも、おそらく真実を隠蔽するための工作だったのではないかと思われますし、ジャック・ルビーもまた1967年に肺がんで刑務所内で死去したのです。このように見てみるとやっぱり陰謀はあったのかなあと思わざるを得ないですよね。
それにしても大統領がオープンカーでパレードするのに、コースが新聞に公開されたり周囲のビルの警備をしていなかったりとあまりに警戒態勢が杜撰で驚いてしまいました。ビルの一室から銃撃するのはまだしも、芝生の向こうの木の茂みから撃つなんて、近くに人がいたらすぐに発見されてしまいそうなものです。過去の大統領暗殺事件をスライドで映して説明する場面が出てきましたが、この当時はまだ要人警備という概念が確立されていなかったんでしょう。そんな当時の事情も含めて、映画としてはそんなに完成度が高くないのですが、アメリカ現代史を振り返るには非常に教訓的で重要な作品だと思われます。
俳優の印象は特にないのですが、狙撃班のリーダー役をやるエド・ローターという俳優はどこかで見た人だなと思って調べてみたら、『ロンゲスト・ヤード』で看守長をやった人でした。他の俳優はあまり活躍した人はいないようで、逆にそこらへんにいる普通の人たちがこの陰謀に絡んでいたんだというリアルさにつながっていたのではないでしょうか。(U101224)
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