土俵祭(昭和19年)

戦時下に作られた相撲映画で片岡千恵蔵の相撲取りが番付を上げていきます

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、丸根賛太郎監督の『土俵祭』です。昭和19年3月に公開された大映作品ですが、終戦の前の年ということでフィルムの使用が制限されて映画の製作本数が絞り込まれると同時に映画法による厳しい検閲がかけられていた時期に、相撲の世界を描いた映画が作られていたのでした。主演の片岡千恵蔵は撮影時に四十歳のはずですが地方から上京して相撲部屋に入門する主人公竜吉を演じています。現存しているのは1時間18分の上映時間で、公開時からは4分のフィルムが失われているそうです。

【ご覧になる前に】『姿三四郎』で監督デビューした黒澤明の脚本です

よしずで囲った屋外の広場に四本柱の屋根をもつ土俵を設えた相撲興行は、明治に入ると鹿鳴館で踊る文明開化の文化人からすると過去の遺物のように扱われていました。そんな相撲界に入ろうと地方から上京した竜吉は関取の玉ヶ崎を慕って白玉部屋に弟子入りしようとしますが、玉ヶ崎が夫婦喧嘩をしているのを見て、ライバルである黒雲部屋に入門します。玉ヶ崎と番付を競い合っている大綱は相撲人気を挽回しようと勝つ相撲にこだわりを持ち、新入りの竜吉に鉄拳をふるいますが、そんな竜吉を黒雲親方の娘きよがやさしく怪我の手当をしてくれるのでした…。

原作は鈴木彦次郎という人が書いた小説で、それを脚色したのが黒澤明です。黒澤は前年の昭和18年に『姿三四郎』で映画監督としてデビューしたばかり。一方で脚本家としても活躍し始めていた頃で、昭和17年の『青春の気流』という映画ではじめて脚本家としてクレジットされてからは山本薩夫監督の『翼の凱歌』で陸軍航空本部の宣伝的な作品などでシナリオを担当していました。本作は脚本家黒澤明としては『姿三四郎』に続き四作目で、国技である相撲に誠心誠意取り組む純粋無垢な主人公を中軸に置きながら、親方の娘との恋愛やライバル力士との勝負を実際の相撲の取組を織り交ぜて描いています。

一方で撮影は当時ベテランの域に達しつつあった宮川一夫で、前年には稲垣浩の『無法松の一生』を撮っていますから、本作のキャメラなどは朝飯前程度だったのではないでしょうか。監督の丸根賛太郎は日活京都で昭和14年から監督に昇進した人。戦後の昭和24年には市川右太衛門主演で『天狗飛脚』という時代劇を撮ったりしていましたが、番組編成を時代劇中心にした東映が設立されると東映でシリーズものの監督をするようになりました。かなり早い時期にTVドラマに移ったようですので、これといった作品は特には見当たらないようです。

主演の片岡千恵蔵は戦前は自らの映画製作会社である片岡千恵蔵プロダクション(千恵プロ)を主宰して京都嵯峨野に作った千恵プロ撮影所で時代劇を量産していました。その千恵プロは昭和12年に解散となり従業員を引き連れて日活京都撮影所に入社。日活が戦時統合によって大映となったため、片岡千恵蔵も大映所属となり、そのときの出演作がこの『土俵祭』でした。

太平洋戦争が始まる前の日本映画界は第一期黄金期ともいわれていて、昭和16年には年間500本以上の映画が公開されていました。しかし戦争に突入し映画法による検閲が厳しくなって、フォルムの使用もままならなくなった結果、日本が敗戦する昭和20年にはわずか26本と、最盛期の二十分の一の規模になってしまいます。戦時下の映画はいわゆる国策映画としてすべてが戦意高揚作品だと認識されていますが、少ない本数の中でも娯楽映画も作られていて、例えばエノケンこと榎本健一主演の喜劇映画は昭和17年から終戦前まで8本が公開されています。中には成瀬巳喜男が監督した『勝利の日まで』のような戦争映画もありましたが、大半は『エノケンの金太売り出す』など冠をつけた喜劇だったり『水滸伝』『韋駄天街道』など史劇や時代劇を装ったお笑い映画になっています。戦時中だからといって観客が皇軍バンザイ的な映画ばかり見ていたわけではなく、戦時下のいかにもな国策映画をかけている映画館はガラガラで、エノケンをやっている映画館が満員御礼だったという話も伝わっています。なのでこの『土俵祭』も、戦時下の作品で国技の相撲を扱っているものの、スポーツ娯楽劇ともいえるような作り方になっていて、たぶん軍隊礼賛映画をよそにそれなりにヒットしたのではないかと思われます。

【ご覧になった後で】「勝てばいい」がなぜか責めらる展開はひょっとして…

片岡千恵蔵演じる竜吉すなわち富士ノ山(この四股名もスゴイ名前ですが)が白玉部屋の玉ヶ崎に弟子入りして部屋替えするのを見ていてなんとなく違和感がありました。富士ノ山と玉ヶ崎の二人が正義の味方で、黒雲部屋の大綱が親方のいうことも聞かず弟子にも暴力をふるう悪役力士になっていて、「相撲は勝てばいいんだ」と言い切る大綱がなぜかみんなに責められる展開なんですよね。勝つことを目的に相撲を取るというのがそんなに悪いことなんスかね。大綱の主張はもっとものように思えますし、相撲なんだから勝たなくてどうするんだろうかと感じてしまいます。

黒雲親方は大綱に「勝てばいいという気持ちは捨ててもらいたい」みたいなことをいって、相撲道というものはもっと深い求道的なものなんだ的なことをいいます。でもはっきりとはいわずなんとなくボカシているんですよ。「勝てばいいってのがダメなら何なんですか」と大綱も言い返さないもんだから、ここが曖昧なまま映画は富士ノ山が勝利して「日本一!」の声援を受けて幕となります。結局勝って終わってるじゃんかと思うのですが、勝つことにこだわっていた大綱は負けて終わるわけです。脚本を書いた黒澤明は、竹で割ったような明快な話が得意な人ですから、本作の展開はやっぱり当時の検閲による影響があったのではないかと疑ってしまいます。

時は昭和19年で、太平洋戦争はほぼ敗戦が見え始めていた時期です。南方における局地戦では連戦連敗の日本軍でしたが、大本営発表はその事実を隠し通して、いかにも負けていないように見せていました。そういう背景を考えると「勝つことだけが戦争ではないのだ」というごまかしを主張させたかったのではないかと勘繰りたくなるのです。「勝てばいいんじゃない。大和魂が大切なのだ」みたいな変な言い回しで、自爆テロともいえる特攻隊の体当たり攻撃を正当化しているような感じがしませんでしょうか。このような見方は穿ち過ぎかもしれませんけど、娯楽映画にしては妙にひねってあるので、素直には見られないのですよね。黒澤が書くならもうちょっと直線的なストーリーにしてもらいたかったです。

それにしても日本映画でまともに相撲を取り扱った映画は昭和31年の『若の花物語 土俵の鬼』くらいではないでしょうか。歌舞伎なら「双蝶々曲輪日記」や「一本刀土俵入り」がありますし、文楽でも「関取千両幟」が相撲取りの話です。日本映画で本格的な相撲映画がないのはなんとも寂しい気がしますし、この『土俵祭』では相撲映画を代表するにはちょいと力不足なのは明らかです。顔は大きくでも身体がひょろひょろの役者しか出てこない(戦時中なんで仕方ないですが)のも不満点ですし、大型体形の俳優たちが土俵でぶつかり合うような映画を作ろうという映画会社がなかったのは残念なことでした。(Y072522)

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