大菩薩峠(昭和35年)

三隈研次監督、市川雷蔵主演による大映版の『大菩薩峠』です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、三隈研次監督の『大菩薩峠』です。小説「大菩薩峠」は何度も映画化されていますが、本作は市川雷蔵が主演した決定版。主人公机竜之介の酷薄で虚無的なキャラクターにぴったりとマッチした雷蔵の代表作のひとつです。また大映京都撮影所のスタッフによる時代劇映画づくりの洗練されたテクニックも見どころになっています。

【ご覧になる前に】30年にわたって書かれた未完の巨編を四度目の映画化

甲州沢井道場の跡継ぎである机竜之介は大菩薩峠を越えようとしていた老人を一太刀で斬殺します。残されたのは孫娘のお松。そこへ通りすがった七兵衛が旅先の江戸へとお松を案内することになります。一方で御岳神社での奉納試合を控えた竜之介のもとに対戦相手の妹が訪ねてきます。彼女は兄の将来のため、竜之介に試合で手加減してほしいと頼むのでしたが…。

原作は中里介山の大長編小説。なんと大正2年から昭和16年まで掲載先を変えながら新聞に連載され、それでも未完に終わったという巨編でした。幕末が舞台になっていましたが、話が進むのに時代は明治に移らず架空の世界へと展開されたそうです。介山は昭和19年に五十九歳で死去。終生妻をめとることなく、質素な暮らしを貫いた人だったとか。そうした欲のなさが、三十年間にも及ぶ長期連載を可能にしたのでしょうか。

連載当時から人気時代劇として評判でしたので、映画界がこの小説を放っておくわけがありません。最初の映画化はまだ小説が連載中の昭和10年。日活が稲垣浩監督で三部作を送り出しました。戦後になって時代劇を量産した東映で二回目の映画化がなされ、このときは渡辺邦男が同じく三部作を監督しました。東映という会社はヒットするとなるととことんまでやり倒す傾向があって、四年後の昭和32年には内田吐夢監督で再度三部作を作ってしまいます。そして三隈研次監督の本作は通算すると四度目の映画化にあたります。実はこれで終わるわけではなく、このあとにも昭和41年に東宝が岡本喜八で映画にしていますので、日活・東映・大映・東宝と松竹を除く大手映画会社が戦前戦後にわたって競作した時代劇の定番が「大菩薩峠」だったのです。

主人公机竜之介を演じた俳優は、順番に大河内伝次郎、片岡千恵蔵、市川雷蔵、仲代達矢となりますが、他の机竜之介は未見ながら、この顔ぶれを見るだけで雷蔵の圧勝のような感じがしてしまいますね。本作で竜之介の妻となるお浜を演じるのは中村玉緒。歌舞伎から映画界に入った二代目中村鴈治郎の娘です。竜之介に祖父を殺されたお松には山本富士子。竜之介を仇とする若武者に本郷功次郎。大映が抱えていた人気俳優をまとめて使っている感じですね。そこに客演するのが笠智衆。途中でいなくなる役ですが、やっぱり役者としての重みが違うのが画面から伝わってくるような存在感です。

【ご覧になった後で】机竜之介が出るだけでピカレスク時代劇になるお得感

やっぱり何度も映画化されるだけあって、主人公机竜之介のキャラクターが本作のいちばんの魅力ですね。机竜之介が出てくるだけで、ピカレスク時代劇が成立してしまうほど強烈な個性をもっています。いきなり老人を斬り捨て、他人の嫁を小屋に連れ込んでレイプし、奉納試合だというのに相手の脳天をかち割ってしまう。この前半の悪行だけで竜之介がいかに残忍な剣士であるかが見事に描かれています。レイプが縁となり所帯をもつことになったお浜まで殺してしまう展開には恐れ入りました。しかしながら、自分を仇と狙う宇津木兵馬と刀をとってにらみ合うところで、いきなり「第一部 完」と出て映画が終わってしまうのには「えー!」と驚いてしまいました。まあ、映画化されるたびに三部作が作られていた経緯を知っていれば、本作はまず全体の中の序に過ぎないとわかって見られるんでしょうが、初見だとこの勝負の決着を見せてくれえという気分になってしまいますね。でも、これで次週も映画館に来させようという仕掛けなのですから、見事にその罠にはまってしまったのかもしれません。

三隈研次監督の演出はダークサイドな主人公を冷徹に描いていて実に安定していると思います。特に照明がすごいですね。例えば訪ねてきた中村玉緒と対峙する室内の場面。暗い部屋にぼおっと竜之介の顔とお浜の背中だけに光があたっていて、そこへ書生が燭台をもってくるとぼわっと部屋全体が照らされるというところ。この照明の設計や光の演出を計算して実行したのは岡本健一。岡本の照明のキャリアはすごくて、黒澤明の『羅生門』、溝口健二の『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』、市川崑の『炎上』といった名作で宮川一夫のキャメラとコンビを組みました。だからこの『大菩薩峠』でも照明がやたらと目立つんですね。

中村玉緒演じるお浜は、なぜか犯されたことがきっかけとなって竜之介と子どもまでもうけることになります。どこかでこんな展開の話があったなと思い出したのが、手塚治虫の長編マンガ「陽だまりの樹」。蘭医の誤診で妻を失った山犬陶兵衛という居合の達人が、主人公万二郎を慕う娘さとを手籠めにして、それが腐れ縁となって子持ち所帯となるというサイドストーリーです。陶兵衛も机竜之介と同じく黒ずくめの衣裳で、剣の腕前は一流品。手塚治虫の頭の中には、この「大菩薩峠」がイメージされていたのかもしれません。

山本富士子は、いきなり成人したお松を演じるので、あの田舎娘がいつの間にこんな美人に豹変したのかとびっくりしてしまいます。しかし本作の二年前には小津安二郎の『彼岸花』に出演し、前年には『細雪』で三女雪子をやった山本富士子にあえてこのお松をやらせるというキャスティングはどうなんでしょう。別に若尾文子でいいじゃありませんかねえ。こんな使われ方をされていたので、永田雅一とケンカして映画界を出ていくことになってしまったのかもしれないですね。
あとは、本作は幕末の話なので新選組が登場するのですが、近藤勇を演じる菅原謙二と芹沢鴨をやる根上淳の顔が似ているので、どっちがどっちだかよくわかりません。芹沢についたほうが負けになるわけなので、ここもどちらかにもっと個性的な顔立ちの俳優をはめておく必要があったように思われます。(Y120221)

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