東映オールスターキャストによる忠臣蔵は片岡千恵蔵が内蔵助を演じています
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、松田定次監督の『忠臣蔵 櫻花の巻 菊花の巻』です。時代劇全盛の昭和30年代には何回も「忠臣蔵」が映画化されていますけれども、この作品は東映にとってはオールスターキャストを集めてカラー、シネマスコープで製作した決定版といえるでしょう。主役の大石内蔵助を演じるのは片岡千恵蔵。城明け渡しまでの「櫻花の巻」が1時間40分、祇園茶屋から討ち入りを果たすまでの「菊花の巻」が1時間20分、合計3時間の大作で昭和34年新春第二弾として公開されると年度配給収入第四位のヒットとなったのでした。
【ご覧になる前に】監督は東映京都のトップで忠臣蔵を三本も作った松田定次
幕府から勅使饗応役を命じられた浅野内匠頭は家臣に指南役の吉良上野介への挨拶をどうするか相談しています。簡素で良いとの進言を受け入れた内匠頭でしたが、もう一人の饗応役の伊達家では上野介にしっかりと賄賂を渡していて、上野介は付け届けのない内匠頭に勅使が休息する増上寺の畳替えは必要ないと嘘を教えます。堀部弥兵衛以下家臣たちの働きで一晩で畳替えを終えた内匠頭は饗応当日、烏帽子に大紋であるべき装束を長裃と伝えられ、それでも作法についての指南を上野介に求めます。「田舎侍め」と罵る上野介に堪忍袋の緒が切れた内匠頭は松の廊下で上野介についに刃傷に及ぶのでした…。
歌舞伎では客足が落ちたときに「仮名手本忠臣蔵」をかけると必ず小屋が満員になるということで、「忠臣蔵」は芝居の世界の「独参湯(どくじんとう)」と例えられていました。二十世紀になると映画の世界でも同じような位置づけとなり、サイレント映画で『尾上松之助の忠臣蔵』が作られて以来、映画会社は各社とも繰り返し「忠臣蔵映画」を製作するようになりました。阪東妻三郎主演の『忠臣蔵 地の巻・天の巻』は日活ですし、溝口健二は松竹で『元禄忠臣蔵』を撮っています。
敗戦後にはGHQが仇討ちを扱った時代劇の製作を禁じたため、一時的に「忠臣蔵映画」は鳴りを潜めたのですが、占領が終わりGHQの検閲がなくなると映画界は再び「忠臣蔵」を復活させます。とはいってもGHQによる洗脳効果なのかすぐに本来の忠臣蔵テーストが再現されたわけではなく、討ち入りのクライマックスシーンがなかったり、仇討というよりも自由のために戦うみたいなひねったテーマにしたりという及び腰の中途半端な作品がポツポツと作られました。そんな状況が続きつつも日本人の忘れっぽさの賜物なのか、昭和30年代に入ると一気に映画会社は本格的な「忠臣蔵映画」の大作を発表するようになります。東映の『赤穂浪士 天の巻 地の巻』と松竹の『大忠臣蔵』は昭和32年、翌33年には大映オールスターキャストによる『忠臣蔵』、本作のあとには東映が再度『赤穂浪士』(昭和36年)を作り、東宝で『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』が公開された昭和37年までが、いわゆる戦後時代劇映画における忠臣蔵最盛期だったと思われます。
忠臣蔵といえば大石内蔵助となるわけで、本作では東映重役の立場にもあった片岡千恵蔵がどっしりと演じています。千恵蔵は『赤穂浪士』でも内蔵助をやっていますので、まあこの時期の東映で忠臣蔵を作るなら千恵蔵に声をかけないわけにはいかなかったのかもしれません。ちなみに前述した作品群でいえば、市川右太衛門(東映)、市川猿之助(松竹)、長谷川一夫(大映)、松本幸四郎(東宝)が大石内蔵助を演じておりまして、歌舞伎の映画化だということで猿之助を起用した松竹を除けば、ほぼ黄金期の日本映画を支えた男優陣の大御所が勢ぞろいしている感がありますね。
監督の松田定次は戦前から「鞍馬天狗シリーズ」などで時代劇を得意としていた人。日活から大映京都、そして東映京都と撮影所を変えてきて、東映では先に紹介した市川右太衛門主演の『赤穂浪士 天の巻 地の巻』と千恵蔵が再演した『赤穂浪士』も監督していますので、なんと東映が製作した「忠臣蔵映画」は実は三本とも松田定次監督作品だったのです。脚本の比佐芳武は、松田定次と同じように撮影所を移った人で、松田定次とは『任侠清水港』『任侠東海道』でもコンビを組んでいます。松田定次が監督した残りの「忠臣蔵映画」は大佛次郎の小説「赤穂浪士」の映画化という建てつけですが、本作は比佐芳武のオリジナル脚本でして、芝居や講談などで語り継がれてきた忠臣蔵ストーリーを歴史的なキャラクターをからませながら代表的エピソードで語っていくという、まさに王道的な「忠臣蔵映画」になっています。
【ご覧になった後で】3時間の長尺なのに飽きずに見させる語り口が見事です
いかがでしたか?忠臣蔵の王道ともいうべきエピソードを丁寧に描きながら、内蔵助以下の義士たちをはじめたとしたおなじみにキャラクターを巧みにからませて、3時間の長尺があっという間に過ぎてしまうような見事な語り口の作品でしたね。上野介(進藤英太郎)への賄賂から始まって、堀部安兵衛(大友柳太朗)が畳屋(榎本健一)を総動員する畳替え、さらに装束違いがあって、ついに松の廊下で刃傷に及ぶ序盤。切腹が決まって片岡源吾(原健策)との別れ、内蔵助がどのように対応するかのうちに八十右衛門(東千代之介)と老母、平左衛門(月形龍之介)の後追い切腹を描きつつ、市川右太衛門の脇坂淡路守への城明け渡しまでの「櫻花の巻」。祇園で遊興に耽る内蔵助から、吉良邸の内偵を命ぜられるおたか(美空ひばり)と岡野金右衛門(大川橋蔵)の連携、吉田忠左衛門(大河内伝次郎)の参謀ぶりによる討ち入り準備と、ついに蕎麦屋(堺駿二)から出立した義士たちが上野介の首をとる「菊花の巻」。あらすじはほとんどの観客の頭に入っているにも関わらず、それを面白く引き込んで見せてしまうのは、やっぱり脚本のうまさと邪魔をしない演出によるものだと思います。
3時間の長尺とはいっても、歌舞伎や文楽なら一日中やってなんとか序段から十一段目までの通しが完了するくらいのお話ですので、踏み込み不足のところや描き方が浅い部分が目に付くのも事実です。いろんな登場人物をしっかりと出すのは良いのですが、結果的に顔見せ的な登場だけになってしまい、キャラ自体の印象が薄くなってしまう面もありましたね。例えば柳沢吉保はわずか2シーンしか登場しませんので、三島雅夫の人の良さそうな顔の印象しかなく一番の黒幕である柳沢吉保の腹黒さは全く表現されていませんでした。千坂兵部をやる山村聰は特別出演としての扱いなので多少登場シーンは多いものの、吉良邸に山本平八郎たちを潜入させるところで出番は終わり。赤穂の内蔵助に対して上杉の千坂兵部という知将対決が見られなかったのは残念なところでした。あとは名場面であるべき南部坂の別れ。ここで内蔵助が「東北に仕官が決まりました」と瑤泉院に偽りの報告をするのはそこに吉良側の間者が潜んでいるため。それを瑤泉院がわかったうえで南部坂を内蔵助が去るというドラマが成り立つのに、間者がいなくて戸田の局が不満を述べるだけというなんとも中途半端な設定になっていました。
それでもまあ名場面を漏れなく押し込んで、主要キャラクターを網羅させるためには仕方ない処理だったのかもしれません。不破数右衛門をやる山形勲はいかにも浪人風で適役でしたし、穏便派の大野九郎兵衛をやる柳永二郎はもう少し見ていたいくらいぴったりでした。美空ひばりは東映のドル箱女優だったので本当はもっと出番が多いはずだったのを松田定次がカットしたそうですけど、なかなか頑張っていたんじゃないでしょうか。あと木暮実千代のりく役もなんだか年増の色気があって良かったですね。ちなみに大石主税をやった北大路欣也の弟と妹の二人は片岡千恵蔵の実の息子と娘が演じていて、この二人は内田吐夢の『血槍富士』のときにも兄妹役で出演していました。
それにしても本作のような大作がメジャー映画会社で次々に製作されていずれも大ヒットしていたことを考えると、当時の映画興行においてはやっぱり鉄板番組ともいえる「忠臣蔵映画」は魅力的コンテンツだったんですね。本作は「櫻花の巻 菊花の巻」ですけど、映画会社によって「花」「雪」「天」「地」などに変化するのも現在的には少し笑えて興味深いです。(Y121722)
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