昭和残侠伝 血染の唐獅子(昭和42年)

高倉健主演の「昭和残侠伝」シリーズ第四作は藤純子が許嫁役で花を添えます

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マキノ雅弘監督の『昭和残侠伝 血染の唐獅子』です。高倉健主演の「昭和残侠伝」シリーズは昭和40年の第一作以降、昭和47年までに9作品が製作されました。第二作『唐獅子牡丹』はわずか三ヶ月後に作られていまして、年4本ペースの量産シリーズになるかと思われたものの第三作は第二作の半年後、そしてこの第四作『血染の唐獅子』は第三作の一年後に公開されました。そして第五作は本作の一年半後に作られるので、計算されたようにペースダウンするシリーズものは東映でも珍しかったのではないでしょうか。ともあれ第三作までの佐伯清に変わって、第四作では大御所マキノ雅弘がメガホンをとり、藤純子が高倉健の許嫁役を可憐に演じ花を添えています。

【ご覧になる前に】東京大博覧会会場の建築を巡っての利権争いが舞台です

浅草の町に東京大博覧会の会場が上野不忍池周辺に決まったというニュースが知らされ、地元の鳶職たちを取り仕切る鳶政組は自分たちの出番だと活気づきます。そこへ乗り込んできたのは博徒稼業の阿久津一家で、建築業に手を広げた自分たちに博覧会会場の建築の仕切りを譲れと脅すのでした。阿久津一家を追い返した組頭の鳶政は病のため急死し、それに乗じて阿久津一家は市の土木局長を贈賄で取り込み、入札から鳶政を排除するよう工作します。兵役から戻った秀次は新たに組頭に就き、今は代貸しとして阿久津一家の縄張りを仕切っている重吉との再会を喜びますが、秀次の帰りを誰よりも待ち焦がれていたのは重吉の妹文代なのでした…。

本作で「東京大博覧会」として取り上げられている博覧会のモデルは、たぶん「東京大正博覧会」と「平和記念東京博覧会」あたりでしょう。どちらも上野恩賜公園を会場としていて、「東京大正博覧会」は大正3年の3月末から7月末に開催され750万人を集めたといわれています。もうひとつの「平和記念東京博覧会」は大正11年の開催でなんと1100万人が入場したとか。「大正博覧会」は基本的に美術展や産業展が中心だったようですが、中にはコンパニオンが接遇してくれる「美人島旅行館」なんて展示もあったらしく、時代のズレが感じられます。「平和記念」のほうでは中流階級向け住宅を展示する「文化村」が目玉だったそうで、今でもよくある住宅展示場の走りのような企画でしょうか。これ以降、「文化住宅」という言葉が定着したそうなので、結構インパクトは大きかったのかもしれません。

一方でタイトルバックでも紹介されている鳶職とは、建設現場において高所での作業を専門に行う職人のことをいいます。もちろん高所しかやらないよというわけではなく、地ならしや掘削、基礎工事、足場、棟上げ、解体など木造建築の工程はすべて職域の範囲だったそうです。同時に鳶といえば火事の現場に真っ先に駆け付ける人たちでもあって、というのは江戸時代の火消しは延焼を防ぐための破壊消防が基本だったためです。町火消の役割は火元に隣接した家屋を素早く解体することでしたので、必然的に鳶職が火消しの中心になっていったんだそうです。

そんな博覧会会場建設を巡る鳶職と博徒一家の争いが本作の基本設定ですが、「昭和残侠伝」シリーズの眼目はやっぱり高倉健と池部良という二大スターの共演でしょう。剛直で忍耐強い高倉健が東映生え抜きなのに対して、池部良は東宝出身でちょっとインテリ風のやわらかさがあり、この剛と柔の組み合わせがこのシリーズのいちばんの強みになっていました。だいたいどの作品でも高倉健と池部良の役が対立関係にあるのですが、最終的には共通の敵に向って殴り込みをかけるという王道の展開になっていきます。そうだとわかっていて、毎回違う設定と違う役で見せていくのが東映やくざ映画のルーティーンなんですね。

マキノ雅弘は戦前から自身のプロダクションで大量の映画を監督していますが、昭和33年頃から10年ちょっとの期間は完全に東映オンリーで仕事をしていて、「日本侠客伝」シリーズは全11作の9作までがすべてマキノ雅弘の作品でした。この「昭和残侠伝」シリーズは本作のほかに第5作と第7作を監督しています。脚本には鈴木則文がクレジットされていまして、昭和50年代に「トラック野郎」シリーズを監督する人です。脚本家としては本作のあとに「緋牡丹博徒」シリーズの主戦ライターになっていきました。

藤純子は『緋牡丹博徒』でお竜さんを演じる前の年ですから、本作では高倉健の許嫁として可愛らしい娘役をやっています。敵役の河津清三郎はマキノ雅弘監督作品にマキノプロ時代から多く出演していて、生涯に出演した映画が350本近くにもなる俳優さんです。また水島道太郎や金子信雄は日活のアクション映画で活躍していたのですが、昭和40年代にはいずれもフリーの立場で東映やくざ映画に出演していたようですね。

【ご覧になった後で】役者の持ち味を引き出す演出で一気に見てしまいました

いかがでしたか?1時間30分の上映時間があっという間に過ぎてしまうくらい密度の濃い映画に仕上がっていましたね。これはマキノ雅弘監督による役者の持ち味を引き出し、それを中心に映像で見せていく演出のおかげなわけで、出演者たちからするとここまで自分たちの演技をじっくり撮ってくれる監督はほかにはいないというほどではないでしょうか。

例えば、高倉健演じる秀次が藤純子演じる文代が繕ってくれた着物を着て、殴り込みに出かけようとする場面。ここは映画の中でも一番しっとりと盛り上がるところなのですが、高倉健と藤純子の二人の芝居を二台のキャメラでそれぞれの顔が映る角度からマルチカム方式で撮影しています。健さんのセリフのときには健さん側のショット、藤純子の泣きの芝居には藤純子側のショットと、この二つのアングルのショットをカットバックしていくそのタイミングというかリズムが絶妙なんですね。芝居の流れを切ることなく、二人の感情の高ぶりをそのまま映像に収めて、しかもそれぞれの俳優が見せたい演技をしっかりキャメラを通して主張させてあげているのです。藤純子は高倉健が兵役から戻ってきたときの再会の場面で「泣いちゃうぞ」というセリフを可愛らしく言っていて、それが伏線になってこの別れの場面で存分に心底から泣くという流れになっていますが、その演技がスポットライトを浴びるように浮かび上がってきていました。演技を邪魔しないどころか、細大漏らさず映像化して観客に届けるというようなマキノ雅弘監督の演出術でした。

そしておなじみの高倉健と池部良の殴り込みの場面では、祭りの余韻が残る町中を二人がこちらに向って歩くのをやや俯瞰で見下ろすショットが良かったですねえ。日常の中にある侠気というか、普段の暮らしからほんの少しだけ違う世界に行かなければならない意地というか、そんな紙一重の義理人情の世界観が出ていたように思います。ここでの儲け役は津川雅彦で、吃音でちょっと足りないような人物設定なのに殴り込みでは果敢に二人を後方から支援して、阿久津一家の雑魚どもを何人も片づけていきます。山城新伍の借金をみんなから金を集めて対処しようと言い出すのも津川雅彦がやるタケの発案でしたし、抜けていながらも鳶政組のみんなから可愛がられているというのが現在的にいえば多様性社会がいとも簡単に実現されているようで、見ていて爽やかでもありました。

とはいっても、山城新伍が芸者染次を助けるために纏(まとい)を質草に入れてしまうくだりで、高倉健の組頭はみんなで集めた600円の金を山城新伍の音吉ひとりに託して阿久津一家に向わせます。自分で蒔いた種は自分で拾えという判断だったのですが、山城新伍は無駄死にする結果となりますし、染次の入水自殺へとつながってしまいます。で、そのことについて高倉健から自責の念を感じるセリフがないんですよね。鳶政組の仏前に報告するときに「あっしが音吉をひとりで行かせたばっかりに…」というセリフがひとつでもあればよかったのですが、ちょっとシナリオに細かいところへの配慮が欠けているような感じがするシークエンスでした。

あともうひとつ基本的な疑問なんですが、鳶政組は鳶職請負業なわけで決して博徒などのやくざ稼業ではありませんし、高倉健も「うちはやくざじゃねえ」とはっきり口にしていたはずです。ですけど、なんで健さんは背中に唐獅子牡丹の刺青を彫っているのでしょうか。当然除隊してから彫っているヒマはありませんから、出兵する以前から背中にはモンモンがあったととらえるべきでしょう。とすると、やっぱり健さんというか秀次はやくざ出身でたまたま鳶政組のひとりに収まっていたと見るべきでしょうか。池部良は代貸しとして阿久津の親分と盃を交わしていますからいいんですけど、健さんがやくざだったのか堅気だったのか問題は、見ていてどうにも引っかかってしまいました。でも背中の唐獅子牡丹がなければ、殴り込みでもろ肌脱ぐ迫力を欠いてしまいますし、藤純子がそっと着物を背中にかけるラストも成り立ちません。まああまり気にしないことにしましょうか。(V081722)

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