ある殺し屋(昭和42年)

市川雷蔵がプロの殺し屋を演じる現代劇で森一生が続編も監督しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、森一生監督の『ある殺し屋』です。市川雷蔵は歌舞伎出身ということもあり、大映出演作品のほとんどが時代劇なのですが、本人は現代劇にも意欲的で、本作で雷蔵は小料理屋の主人で裏ではプロフェッショナルな殺し屋稼業をやっている寡黙な男を演じています。監督は雷蔵とはシリーズものの途中で組んだことがある森一生。この『ある殺し屋』は同年暮れに続編として『ある殺し屋の鍵』が製作されて、続編も森一生が監督しました。市川雷蔵主演の「大菩薩峠」も「眠狂四郎」も「陸軍中野学校」も全部森一生は途中での登板でしたが、本作のみ第一作から監督して続編まで担当することになりました。雷蔵の現代劇で好評だったものの、大映上層部からストップがかかったらしく第三作が作られることはありませんでした。

【ご覧になる前に】脚本に増村保造が加わり、キャメラマンは宮川一夫です

黒いコートを着た塩沢が降り立ったのは寂れた港。近くに人目につかない貸家があり、その二階の部屋を借りた塩沢のもとに圭子と前田が別々にやって来ます。圭子にまとわりつくヒモの男が塩沢に因縁をつけたとき、いとも簡単に男の片腕をへし折った塩沢を見て、圭子は塩沢が営む小料理屋に押しかけて女将として収まっていました。塩沢は裏では金で殺人を請け負う殺し屋をしていて、前田の親分木村から敵対する大和田を殺してほしいと頼まれます。2千万円の報酬で殺し方には一切口出ししないという条件で殺しを引き受けた塩沢は、祝賀パーティに出席中の大和田に背後から近づくのでしたが…。

原作は藤原審爾の「前夜」という小説なんだそうで、藤原審爾は直木賞を受賞した小説家です。その著作はたくさん映画化されていて、『秋津温泉』『泥だらけの純情』『赤い殺意』『馬鹿まるだし』『拳銃は俺のパスポート』など恋愛ものからハードボイルドまであらゆるジャンルの作品が映画の原作に採用されています。娘さんが女優の藤真利子だというのはちょっと驚きです。

脚色は増村保造と石松愛弘の二人。増村保造はいうまでもなくスタイリッシュな映像が持ち味の映画監督ですが、基本は自分でホンを書いて監督するというタイプの人です。その増村保造が脚本だけを他の監督に提供したのは本作のほかには井上芳夫監督の『十七才の狼』くらいしかありません。共同脚本の石松愛弘は『黒の試走車』や『黒の報告書』など黒シリーズで増村保造監督作品のシナリオを書いていますので、増村保造から信頼の厚い脚本家だったんでしょうか。二人による共同脚本は本作以外にも『大悪党』や『でんきくらげ』などがあります。

そしてキャメラマンの宮川一夫にも注目です。大映だけでなく日本映画を代表する名キャメラマンで、特に光量を計算したうえでの色調の出し方は、他のキャメラマンの追随を許さない独自の映像表現を生み出しました。それは本作のようなカラー映画でももちろん実現されていて、物語だけでなく映し出された映像を楽しむというのも本作の鑑賞方法のひとつかもしれません。

市川雷蔵はキャリアの晩年にあたっていて、この頃には胃腸の調子が悪くいつも胃薬を手放せない状態だったようです。結果的には本作公開の二年後に胃癌で亡くなってしまったのは日本映画界にとっての大きな損失でした。昭和40年には歌舞伎界の大名跡の十一代目市川團十郎が同じく胃癌により五十六歳で早逝していますけど、市川雷蔵は三十七歳での死でしたからあまりに若過ぎます。本作は現代劇なので、普段の雷蔵の様子を伺えるような絵が残っていますので、晩年の貴重な現代劇作品といえるかもしれません。

共演する野川由美子は出演当時二十二歳。日活の『肉体の門』で映画デビューした後は、東映、大映、松竹、東宝と映画会社の枠に関係なく出演していますので、昭和四十年代になると俳優も映画会社専属ではなくなり、メジャー映画会社も配給しかしなくなったので、大映といえば若尾文子みたいな映画会社と俳優さんの結びつきも薄れてきた頃だったのでしょうか。かたや成田三樹夫は、俳優座出身ながら仕事がなく、やむなく大映に大部屋俳優として契約してもらって映画界に入りました。徐々に敵役で頭角を現わし、準主役級での出演は本作が初めてだったようです。その後は映画とTVの両方で悪役キャラを生かして活躍しましたが、成田三樹夫もやっぱり胃癌で五十五歳で亡くなっています。本当に惜しいことでした。

【ご覧になった後で】乾いたタッチが印象的な雷蔵版フィルムノワールでした

いかがでしたか?市川雷蔵は現代劇において寡黙で職人的な人物を演じさせると時代劇とは別の雰囲気を出せる人ですよね。本作の塩沢も殺しの腕前はプロフェッショナルなのに、いわゆる映画によく出てくる殺し屋っぽい感じは全くなく、けれどもちょっと普通の素人ではないよね、という微妙な境い目にいるような人物を好演していました。それは雷蔵の時代劇的な腰の据わり方も影響していると思われ、歩いたり座ったりする所作にも軸がぶれず、早い動作のアクションシーンでも軽薄さが感じられないのです。どっしりしたというよりは、何事にも動じないという感じが強く表現されていて、雷蔵ならではの殺し屋像が作り出されていたのではないでしょうか。

また殺しの手口も銃をバンバン撃ったりはしないで、基本的には針で仕留めるというのが独特で冴えていました。特に護衛に囲まれた大和田を殺す場面は丁寧にその経緯が描かれていて、護衛の目をいかに大和田からそらすかがポイントになっている中、大和田自身に護衛たちを愛人のもとに行かせるという状況設定を作り出すところが非常に納得感をもって描写されていました。包丁と同じように針を研ぐ場面もしっかりと挿入されているので、殺しが塩沢の手仕事であるという感じがより強く伝わっていたと思います。

そして本作の一番の見どころは宮川一夫のキャメラだったのではないでしょうか。冒頭の寂れた港の場面も妙に色調が抑えられていて、非常に乾いたタッチの映像になっていますし、それに続いて掘っ立て小屋やオンボロ貸家が無機質な感じで観客に提示されます。そして特に本作の印象に直結するのが貸家の部屋の汚れた壁。ここは貸家の外見はオープンセットで撮られていて、部屋の中はスタジオセットなんだそうですが、光の感じが違和感なくつながっていて、キャメラとともに照明や美術の仕事の手堅さが伝わってくるようでした。

部屋の中は横から部屋全体をとらえられるように片面開け放しでセットが建てられていたんでしょうけど、雷蔵と野川由美子と成田三樹夫の三人が部屋にいるのを横から映したショットのドライな感じが、本作を外国映画のフィルムノワールのように見せていました。また部屋を斜め上から俯瞰で見下ろす構図も数ショット出てきますが、窓にかかった安物のすだれが風に吹かれて微妙に揺れていて、そこに当たる陽の光がすごくリアルなんですよ。ああいうディテールの積み重ねが本作全体の無機質で乾いた雰囲気づくりに直結していて、そうした映像表現と雷蔵の殺し屋のキャラクターが相互作用するようにして映画の肌触りをさらにドライな感じにしていました。

加えて鏑木創の音楽も印象的でしたね。ちょっとジャズっぽいムーディな音楽が物語の場面転換ごとに流されるのがクールでした。この人は日活の『紅の流れ星』でも音楽を担当している一方で、代表作は石原裕次郎がデュエットで歌った「銀座の恋の物語」なんだそうです。

蛇足ですが、最後に雷蔵が乗り込むのは、あのあずき色の車体からして阪急電車なんでしょうけど、調べてみたらやっぱり神戸でロケーション撮影をしたらしいです。大映京都撮影所による現代劇のひとつとして、湿った作品が多い日本映画の中でも乾き度が高いハードボイルドものだといえるでしょう。(A070322)

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