喜びも悲しみも幾歳月(昭和32年)

全国各地を巡る灯台守夫婦の年代記で公開当時に大ヒットを記録した名作です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾歳月』です。木下恵介が昭和26年に日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』を作ったときに使用したのは富士フィルムでした。日本全国の灯台とその地域を美しく撮影した本作では「イーストマン松竹カラー」とクレジットされている通り、イーストマンカラーの発色が大変美しい作品です。灯台守夫婦を佐田啓二と高峰秀子が清々しく演じていて、公開時には大ヒット。昭和32年は新東宝が放った『明治天皇と日露大戦争』が当時の記録を塗り替える配給収入を打ち立てた年ですが、松竹で製作・公開した本作もそれに次ぐ第二位のヒット作となりました。

【ご覧になる前に】昭和の歴史とともに語られる家族の愛の物語です

昭和7年、中国で上海事変が勃発したというニュースが流れる中で、観音崎灯台では実父の葬式で故郷に帰っていた灯台員の有沢が新妻きよ子を連れて戻ってきました。有沢の同僚の妻が僻地での勤務や子どもを事故で亡くしたことから心を病んでしまったのを知ったきよ子は、これからの灯台守暮らしが苦労の連続になるとつぶやくのですが、きっと幸せになれると言う有沢の新しい赴任地、北海道の石狩灯台へと出立するのでした…。

本作は木下恵介のオリジナル脚本。雑誌に掲載されていた灯台守の妻の手記を読んで、流浪するように全国各地の灯台への転勤を繰り返す夫婦の物語を発想したそうです。そして北から南まで、あるいは半島から孤島までの灯台を調べ上げて、日本各地でのロケーションを敢行し、日本の僻地を巡るロードムービーを書き上げたのでした。そこに絡んでくるのが昭和の歴史。昭和7年に上海で起きた日中両軍の衝突から始まって、昭和12年の盧溝橋事件、昭和14年の第二次大戦と日本が戦禍に巻き込まれていく過程とともに、戦中・戦後にわたって有沢夫婦の転勤や出産、育児を描いていきます。

主演は佐田啓二と高峰秀子。この二人は木下作品には昭和26年の『カルメン故郷に帰る』、昭和30年の『遠い雲』に出演していますが、夫婦役は本作が初めて。映画は佐田啓二の有沢が見合い結婚したばかりの高峰秀子演じるきよ子を観音崎に連れて帰るところから始まり、その冒頭から二人がいかにも親密で気が合う様子が描かれています。見合いの二人としては馴れ馴れしい感じがしてしまう一方で、松竹映画で共演を重ねている二人なので、それが妙に納得感があるんですよね。脇では田村高廣(クレジットでは「高広」と出ます)が佐田啓二の後輩役を若々しく演じていますし、小津作品の常連である北竜二(クレジットでは「龍二」)が映画の後半で、これもまだ若くて痩身の仲谷昇の父親役で出てきます。

タイトルバックにかかる主題歌は若山彰という人が歌ってこれも大ヒットしたそうです。「おいら岬の~、灯台守は~、妻と二人で~、沖行く船の~、無事を祈って灯をかざす~」という歌詞で、女声バックコーラスが哀愁を漂わせながらも、管楽器がマーチ風な勇壮感を醸し出す名曲でして、若山彰はこの歌でNHK紅白歌合戦への出場を果たしました。実はこの人、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」の歌い手でもあるんですね。なので大阪の人は若山彰の名前は知らなくても何度もその声は聴いているのかもしれません。

【ご覧になった後で】灯台の景色を映したロングショットすべてが絶品でした

いかがでしたか?もうこの映画はクラシック映画の名作として、間違いなく後世に残したくなる傑作でした!特に絶品なのが灯台を背景としたロングショットの数々。赴任地ごとに特徴のある灯台を映し出すのですが、それを超ロングショットで捉えて、移り変わる四季の表情を交えながら、登場人物たちを小さく配置するんですよね。この構図、配置、光の加減、カラーの発色、すべてが絶品でまさに眼福でした。特に最初の転勤先である石狩灯台の場面は、長女雪野の出産シーンなのでより印象的です。真っ白な雪景色の中に遠く縦に白い灯台を置いて、下半分は雪原、そしてその雪原に埋もれた小屋から出産の歓びで走り出す佐田啓二を動かしたりするわけです。もちろんそれがこのシーンだけではなく、御前崎の港や男木島の海岸などでも同じようにして超ロングショットをベースに物語を進めて行くんですよね。

絶品なのはこのロングショットだけではありません。長回しのショットだけでエモーションを訴えかけてくる映像がそこかしこに見られました。例えば、三木隆演じる先輩が瀕死の妻を馬車で運ぶ雪原の場面。馬車の中で涙を流す三木隆のアップから一変して画面は真っ白の雪の中の一本道を馬車がゆっくりと方向転換して元の道を戻るのをとらえます。病院に行くこともできなかった妻の死。それをこの無表情な雪原の中の馬車の動きだけで表現するところで、ドッと涙が出てきてしまいます。また御前崎の海岸で潮干狩りをしていた高峰秀子が田村高廣の新妻を見つけて走り出す場面。ここはひたすら高峰秀子が走るのを横からフルショットの移動撮影で押しまくります。高峰秀子が走る、ただそれだけなのにとてつもない幸福な高揚感に襲われるようなエモーショナルなショットでした。

そして木下恵介の映像づくりの戦略は、この見事なロングショットや長回しに、あえて演劇的な芝居を重ね合わせるところ。先にあげた馬車が引き返す続きの場面では、馬車から降りた三木隆が妻の身体を抱えながら雪の地面に跪き、天に向かって嘆きます。その右側には遠近法のようにして有沢たち数人を奥行きをもって配置して、その演技と人物配置はまるで舞台を見ているようなんですよね。自然そのものを静かに切り取ったロングショットと、舞台を見ているような演出を感じさせる芝居の掛け合わせ。これが『喜びも悲しみも幾歳月』が映画として傑出した名作である最大のポイントではないかと思うわけです。

キャメラは楠田浩之(浩之と書いて「ひろし」と読ませるそうです)。木下恵介とは切っても切り離せないキャメラマンで、木下恵介のほとんどすべての作品で撮影をつとめています。そして楠田浩之の妻は木下恵介の実妹で、脚本家でもある楠田芳子。楠田浩之は松竹蒲田では小津組のキャメラマン厚田雄春に師事し、木下作品以外では大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を撮ったりしています。

泣ける場面はたくさんあるのですが、やっぱり印象的なのはラストの灯台と船が音で合図しあう場面でしょうか。望遠鏡で凝視している佐田啓二と高峰秀子がハンカチを振ると灯台員が霧笛を鳴らします。船で旅立つ雪野はその音を聞いて船長に頼んで汽笛を鳴らしてもらいます。この霧笛と汽笛の音が、親子の情感や信頼、交流を見事に表していました。

というわけで、脚本もいいですし、俳優の演技もすばらしく、そしてキャメラ、音の使い方、すべてを指揮者のようにして創造的にコントロールする木下恵介のタクトが見事な作品を紡ぎ出しています。昭和32年のキネマ旬報ベストテンでは第三位にランクインしていて、興行と作品的評価の両面で成功を収めました。これはもう絶対に見るべき日本映画史に残る傑作でしたね。(A020222)

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