グループサウンズブームに乗って作られたザ・ジャガーズ主演の怪作です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、前田陽一監督の『進め!ジャガーズ 敵前上陸』です。ザ・ジャガーズは昭和42年にデビューしたグループサウンズ。当時の歌謡界はグループサウンズ最盛期で、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が昭和42年の日本レコード大賞を受賞するほどでした。ジャガーズも「若さゆえー/苦しみー/若さゆえー/なあやみー」と唄った「君に会いたい」が大ヒット。その余勢をかって松竹がジャガーズ主演で作った映画が本作です。監督は喜劇を得意とした前田陽一で、なぜか現在でもカルト的人気を誇る怪作となっています。
【ご覧になる前に】TVで人気だったてんぷくトリオの活躍も見逃せません
ホテルで演奏会を開いていたジャガーズのメンバーの信は、たまたま胸に白いバラをつけていたことから仲買人と間違われて、金塊密輸団から追われるハメになります。信に好意を寄せる歌手のアキは知り合いの警部に警護を依頼しますが、金塊密輸団は女性の殺し屋五人組を信に差し向けたのでした…。
脚本を書いたのは前田陽一と中原弓彦。中原弓彦とは映画評論家でコラムニストの小林信彦の別名。本作の前年の松竹映画『九ちゃんのでっかい夢』では三木洋の名義で原作を書いていますが、小林信彦が脚本を担当したのは本作のみ。のちに日本の喜劇研究の第一人者となる小林信彦がさまざまなパロディを仕込んでいて、思わずクスっと笑えるような仕掛けが満載の脚本になっています。かたや前田陽一は松竹大船撮影所で吉田義重監督に師事した後に監督デビュー。本作は監督としての四作目で、このあと喜劇路線を得意ジャンルとして活躍しますが、残念ながら六十三歳の若さで夭折してしまいました。
昭和40年代前半、ベンチャーズの影響によってエレキブームが巻き起こり、ビートルズの来日公演をきっかけにしてギターを弾きながら歌も歌うグループが急増していきました。長髪でミリタリールック、ブーツを履いてギターやドラムをかき鳴らすグループサウンズは、またたく間に当時の若者たちのアイドルになり、映画界もその動きを見逃しはしませんでした。まずは日活がザ・スパイダースを起用して『ゴー・ゴー・向こう見ず作戦』を製作。ヒットに気をよくした日活はスパイダースで『大進撃』『大騒動』『バリ島珍道中』と短期間に連続してグループサウンズ映画を作ります。となると東宝も黙っていません。人気度トップのザ・タイガースを主演にして『世界はボクらを待っている』『華やかなる招待』を同じ昭和43年に公開しました。そんな日活と東宝の動きを見て、これなら安心と思ったのか松竹もグループサウンズ映画に名乗りを上げますが、タイガースとタメを張るショーケンのザ・テンプターズはすでに日活に持っていかれてしまっていました。そこで主演に起用したのがスパイダースやタイガースに比べるとやや格下のザ・ジャガーズ。しかしまあ、グループサウンズが出演していれば誰でもよかったのかもしれません。当時の松竹の幹部連中からしたら、どのグループが誰かなんて見分けはつかなかったでしょうから。
そんな背景のジャガーズと一緒に大活躍するのがてんぷくトリオ。坂本九のTV番組でレギュラーに抜擢され注目されていたお笑いトリオで、三波伸介・戸塚睦夫・伊東四郎の三人のコンビネーションが売りの芸人グループでした。本作でもジャガーズに続く準主役の位置づけで、ジャガーズのメンバーは主演の岡本信のほかはリーダーの宮ユキオが多少目立つくらいの扱いになっていますので、ジャガーズメンバーより映画的には儲け役を演じています。また、本作の前年に「虹色の湖」を歌ってヒットさせた中村晃子がクリクリとした瞳とスレンダーなスタイルで魅力を振りまきますし、途中から出てくるヒロインは松竹で売り出し中だった若手女優の尾崎奈々が演じています。
【ご覧になった後で】映画の名場面の引用は中原弓彦の趣味でしょうか
いかがでしたか?本作は映画評論家からも結構言及されていて、映画史家の四方田犬彦は著書の中で「日本で最初に行われたゴダールのスラプスティックのパロディとして記念されるべき怪作」と評しています。それはともかくとして、三人ではなく四人が銃をもって広場でにらみ合った末に四人ともが撃たれてしまうシーンはセルジオ・レオーネの『続・夕陽のガンマン』そのもの。カット割りやアングルまでそのまんまコピーしていました。また観覧車から人々を見下ろした内田朝雄は、キャロル・リードの『第三の男』よろしく「スイスの平和がもたらしたものは鳩時計だけだ」とつぶやきます。そして体にダイナマイトを巻いて顔にペンキを塗った内田朝雄が自爆するショットは、そのままキャメラが右にパンして誰もいない海をとらえます。これも『気狂いピエロ』の映像のなぞりですので、パロディのアイディアは中原弓彦が出して、それを悪ノリして誰もが知っている名場面をそっくり再現しようとしたのが前田陽一だったのかもしてません。
映画の序盤に出てくる塔のようなホテルは、かつて横浜ドリームランドにあったホテルエンパイアです。遊園地のドリームランドに併設されたホテルで昭和40年竣工ですから、本作の撮影時にはまだ真新しい建物だったことになります。日本風の建築様式で建てられた21階のホテルは、松竹大船撮影所にも近かったので松竹の関係者が宿泊に利用していたとか。その後ホテルは閉鎖され、ドリームランド自体も閉園となってしまいましたが、この区画一帯は現在横浜薬科大学がキャンパスとして再開発していて、ホテルエンパイアの建物は改築を経て図書館として利用されています。横浜市戸塚区は横浜とはいっても田畑が広がる田舎ですので、この高層建築は戸塚のシンボルとして今でもランドマークになっています。
しかしながら本作を冷静に見ると、かなり実験精神にあふれた作り方をしていますね。昭和40年代後半から日活がロマンポルノ路線になって、エロシーンを入れればあとは監督の自由にしていいという雰囲気の中、多くの新人監督が自分の思う通りに映画を作れるようになりました。もしかしたらグループサウンズ映画も同じような傾向があったのでしょうか。人気グループさえ出しておけば、あとは適当にやっておけ、という環境を逆手にとってやりたいことをやってしまうというタッチが本作には見られます。硫黄島に上陸して残留日本兵と出会うという展開も、横井庄一さんがグアム島で発見されて日本に帰国したのが昭和47年だったことを考えると、本作製作時には斬新な設定だったと思われます。またそこで戦後日本を振り返る写真がスライドショー形式で映し出されて、右端のイラストが赤ん坊から成人に変化していくというのも、通常の作品ではなかなか採用される表現ではありません。さらにゴキゲンなのはエンディングクレジット。俳優本人がクレジットの順番に画面を右から左に横切っていくのは、日本映画らしくない洗練さがあって、なかなか洒落た出来栄えだったと思います。
ちなみにザ・ジャガーズですが、主演の岡本信は平成21年五十九歳で亡くなっていますし、リーダーの宮ユキオも平成25年に逝去しました。タイガースやテンプターズのことは現在でもよく話題にのぼりますが、ジャガーズはほとんど取り上げられることはありません。その意味では、本作がある意味カルト化したことで、映画作品の中でジャガーズの名前が残ることになったわけです。ジャガーズにとってそれが望みだったのかどうかはわかりませんが、グループサウンズ映画の中ではジャガーズは最高の結果を残したといえるのではないでしょうか。(A122421)
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