キャット・ピープル(1942年)

故郷の猫族伝説を信じるヒロインが幸せな結婚を機に本能を覚醒させるお話

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャック・ターナー監督の『キャット・ピープル』です。セルビアに伝わる猫族伝説をテーマにしたホラー映画で、RKOスタジオが15万ドルという低予算で製作したのですが興行的には400万ドルを超える大ヒットを記録しました。二匹目のドジョウを狙って続編というか後日譚の『キャット・ピープルの呪い』が二年後に作られ、また40年後の1982年にはナスターシャ・キンスキー主演でリメイク版が製作されています。

【ご覧になる前に】プロデューサーヴァル・リュートンがRKOを救うことに

動物園で黒豹のデッサンをしていたファッションデザイナーのイレーナに声をかけたのは造船技師オリヴァー。イレーナの部屋にはジョン王が猫を串刺しにした銅像が飾られていて、セルビア出身のイレーナは故郷にまつわる猫族伝説からあまり人と付き合わないようにしていたと告白します。職場の仲間が集まって二人の結婚を祝う会がベオグラードというビストロで開かれると、突然ひとりの女性がイネーナに向ってセルビア語で話しかけて去っていきました。オリヴァーが聞くとイレーナは「妹と言われた」と答えるのでしたが…。

RKOラジオ・ピクチャーズはハリウッド五大メジャースタジオのひとつとして1930年代にはアステア&ロジャースのミュージカルで一時代を築きました。キャサリン・ヘプバーンやケーリー・グラントもRKO出身で多くのスクリューボール・コメディに出演しています。1941年にはハリウッド史上最高の作品と語り継がれることになるオーソン・ウェルズの『市民ケーン』を世に送り出し、ウェルズは『偉大なるアンバーソン家の人々』とさらにドキュメンタリー映画を製作します。しかし作品的な価値とは正反対に興行的に大惨敗したせいで当時の社長シェイファーが辞任することになり、RKOの経営は弱体化してしまったのでした。

新たに経営権を掌握したチャールズ・コーナーは「才能よりも興行主義を」をスローガンに方針転換を図ります。そこで起用されたプロデューサーがヴァル・リュートン。MGMでデヴィッド・O・セルズニックの下で働いていたリュートンはRKOに移ると低予算のホラー映画の製作に取りかかります。当時のハリウッドでホラーものといえばユニバーサル映画の独擅場で、『キャット・ピープル』もホラーにしては繊細過ぎるとして一部の幹部はリュートンの解雇を主張しましたが、コーナーが続投を決断して本作はわずか18日間という短い撮影期間で完成されました。

わずか15万ドルという低予算しか与えられなかったため、動物園の場面はアステア&ロジャースもので使われていたセットの流用で、イレーナのアパートメントは『偉大なるアンバーソン家の人々』のセットで撮影されたんだとか。結果的に本作は大ヒットを記録して、興行収入が400万ドルを超えたと推定されるほどでした。財政的に安定したRKOはビング・クロスビーやイングリッド・バーグマンなどのスター俳優を使えるようになり、アルフレッド・ヒッチコックの『汚名』の製作、ウィリアム・ワイラーの『我等の生涯の最良の年』の配給など復活を果たしていきます。

主演のシモーヌ・シモンはヴァル・リュートンがその出演作を見て本作に起用されました。またリュートンはフランス出身のジャック・ターナーに監督をオファーし、撮影開始後に監督交代を求めるスーパーバイザーの声に抗ってターナーを支援し続けました。リュートンとターナーは本作以降コンビを組んでホラー映画づくりを続けることになります。RKOに大いに貢献したヴァル・リュートンですが、1951年に心臓発作によって四十六歳の若さで亡くなってしまいました。ハリウッドでは若死にする人が多いような気がしますね。

【ご覧になった後で】平凡ながらサスペンス描写には一見の価値ありでした

いかがでしたか?ナスターシャ・キンスキーが主演したリメイク版の『キャット・ピープル』はロードショー公開されたときに映画館で見たことがあり、ゾクゾクするようなエロティックさが印象的だった記憶があります。それに比べると本家である本作は1942年の作品ということもあり性的な描写は一切出てこないので、リメイク版よりも精神的な側面が強調されていました。まあエロさがしたたり落ちるようなナスターシャ・キンスキーに比べると、シモーヌ・シモンはあどけなさが残るような未成熟な感じがヴァル・リュートンに注目されたという人ですので、もとからスピリチュアル路線を狙った作品だったのかもしれません。

シモーヌ・シモン演じるイレーネは自分の中に潜む猫族の本能が覚醒してしまうことを恐れて結婚したオリヴァーとキスもしません。キスしないということはもちろんそれ以上関係を深めないわけですけど、本作ではあえてそれを寝室が別であるというシチュエーションだけで表現していました。シャワーを浴びる妻に向って部屋のドアを上げずに心配するだけの夫というのも、あまりに自分を抑制し過ぎのようにも感じられますが、オリヴァー役をやるケント・スミスが紳士的というか押しの弱そうなタイプなので、観客が意外と納得して見られてしまう効果がありました。

シモーヌ・シモンがトム・コンウェイ演じる精神科医ジャド博士の診察を受けたあとに「MindはSoulとは違います」的に答えて、ジャド博士が精神医学が何年もかけて到達した結論だと感心する場面があります。Mind(思考・知性)の不調を精神医学で治療しようとするジャド博士とセルビアの伝統や呪いに根差したSoul(魂・運命)に囚われているイレーナは本作に通底する対立軸になっていました。フロイト心理学に基づく精神分析が一般的に普及し始めたのが1940年代のことらしいので、本作にはホラー映画に心理サスペンスを持ち込んだトレンドセッター的なポジショニングを狙う意図があったのかもしれません。

さらに深読みすると、セルビア出身という設定が第二次大戦中のアメリカにおいて理解不能な東ヨーロッパを象徴していて、イレーナのSoulがジャド博士とのキスによって解き放たれ黒豹となって博士を嚙み殺すという展開は、彼女の性的抑圧が解放されて逆に男性を支配するという性的な欲求の発露でもあったと言えるのではないでしょうか。なので本作はヘイズコードが厳しかった時代のB級映画の衣をまといながらも、人間の奥底に潜むスピリチュアルな部分に迫る意欲作であったと再定義しても良いかもしれません。買いかぶり過ぎかもですけど。

スピリチュアルな解釈をしなければ全体的には平凡な作りで、さすがに低予算で済まそうという事情もあり、イレーナと黒豹の描写も影で誤魔化しているなという感じに見えました。イレーナが猫の悪夢にうなされるアニメーション表現は巧かったですけど。とは言ってもところどころに挿入されるサスペンス演出はなかなか見どころがあり、特に夜道を歩く同僚役のジェーン・ランドルフが誰かに後をつけられていると振り返るシーンは移動ショットと夜の霧を映すフィックスショットの切り返しがサスペンスムードをうまく醸し出していました。ここでブオーンという音とともにバスが来て、結果的にバスに乗ってこの危機を回避することになるのですが、このように大音量で驚かしておいて何も起こらない演出法のことを「リュートン・バス」と呼ぶんだそうです。

現在的には陳腐化している演出法は本作で初めて登場したサスペンス描写らしく、ユニバーサルのホラー映画であれば最後にお化けやモンスターが出てきて「キャー!」となるところを不安感だけを高めておいて結局何も出てこないというのが低予算で製作された本作ならではの表現手法だったわけです。プールに飛び込み黒豹の唸り声でパニックになるシーンも、暗い階段や水の影が映る壁面をカットバックして恐怖を盛り上げた末にイレーナ本人が現れるだけという展開になっていました。「リュートン・バス」という映画用語は初めて知りましたけど、本作以降さかんに流用されることになったのは製作費に恵まれなかったヴァル・リュートンの逆転の発想のおかげなのでした。

そんなわけでムードは十分な作品ですけど、そもそもキスもしない相手と結婚するのかとか、なぜ最後にイレーナが自殺まがいの行為で死ぬのかなどドラマ部分の甘さはいかんともしがたく、脚本(デウィット・ボディーン)がしっかりしていないためでしょう。ベオグラードという名のビストロで出てきた謎の女がどこかでからんでくるかと思えばそれきりで終わってしまうのも伏線の設計ができていない証拠です。ボディーンは続編の『キャット・ピープルの呪い』でも脚本を書いていまして、ホラー映画ではなくオリヴァーと同僚の間に生まれた孤独な少女を主人公にしたホームドラマのようになっているそうです。(A013126)

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