市川右太衛門が内蔵助を演じる東映創立五周年記念オールスターキャスト版
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、松田定次監督の『赤穂浪士 天の巻 地の巻』です。東京映画配給が東横映画と大泉映画を吸収合併した後に東急の子会社として東映株式会社が設立されたのは昭和26年のこと。GHQによる占領が終了して時代劇を自由に作れるようになった東映が満を持して忠臣蔵に取り組んだのが本作で、カラーで撮影された初めての忠臣蔵映画となりました。東映創立五周年にあたる昭和31年に東映は年間配給収入で松竹をおさえてトップに立ち、以降九年連続首位の座に君臨することになります。
【ご覧になる前に】大佛次郎が「赤穂浪士」で創作したキャラが活躍します
五代将軍綱吉が発令した「生類憐みの令」によって江戸の町では駕籠屋が犬を運んでいます。おかげで成り上がった犬医者が狆を献上した相手は吉良上野介。勅使饗応役に選ばれた大名を指南する上野介は伊達家に比べ赤穂浅野家からの付け届けが貧相だと悪態をつきます。上野介の実子が藩主をつとめる米沢上杉藩の家臣が酒処で騒いでいるのにケチをつけたのは堀田隼人という浪人で、隼人は家臣の一人を一太刀で斬り捨てました。かたや上野介への進物追加を勧める側近の意見を浅野内匠頭は鼻から聞き入れず、内匠頭は上野介から冷淡にあしらわ始めるのでしたが…。
時代小説を得意としていた大佛次郎が東京日日新聞に昭和2年から3年にかけて連載したのが「赤穂浪士」。「忠臣蔵」という外題のもと文楽や歌舞伎で主君への忠誠心と仇討ちをテーマに描かれてきた赤穂事件を幕藩体制への反抗や封建制度の矛盾を暴く視点で再構築したのが特徴で、それまで「義士」と呼ばれていた四十七士を「浪士」と捉え直したのも本作でのことでした。
赤穂事件とは、1701年に赤穂藩主浅野内匠頭が江戸城内で高家の吉良上野介を斬りつけて内匠頭が即日切腹、赤穂藩が家門断絶となった刃傷事件、および翌年に赤穂浪士四十七人が上野介を討ち取り全員切腹となった討ち入り事件のふたつを総称したもの。なぜ内匠頭が上野介を斬りつけたのかを江戸幕府は明らかにしませんでしたが、1748年(寛延元年)に文楽で上演された「仮名手本忠臣蔵」では、高師直こと上野介が塩谷判官こと内匠頭からの賄賂が届かないうえに判官の妻顔世御前に横恋慕して袖なくされたことに腹を立て、「鮒侍めが!」と罵倒されてキレた判官が刃傷に及んだという設定になっていました。
その後歌舞伎で人気演目となり落語や講談などでも取り上げられる大人気コンテンツになった「忠臣蔵」は、主君の仇討ちを成し遂げるというドラマチックな筋立てによって日本人の心に刺り続けました。そこに新しく堀田隼人や蜘蛛の陣十郎、お仙というキャラクターを創造したのが大佛次郎の小説。将軍のひと言で世の中のルールが決定されてしまう幕藩体制や主君がヘマをしてお家がつぶれると何百人という家臣全員が路頭に迷うことになる封建制度への不満や反抗心を新キャラにこめて、赤穂事件の世界に新しい登場人物を放り込んだのでした。
新聞小説として人気を集めた小説は昭和4年に早くも日活が大河内伝次郎主演で『赤穂浪士 第一篇 堀田隼人の巻』として映画化したものの、第二篇は製作されずに終わっています。昭和8年には片岡千恵蔵が自らのプロダクションで『堀田隼人』として映画化していて、この伊藤大輔監督作品は12巻の大作だったらしいのですがフィルムは残っていません。いずれにしてもこれらの作品はもちろんサイレント映画でしたので、大佛次郎の「赤穂浪士」を忠臣蔵ものとして初めてオールカラーで映画化したのは、優れたマーケティング戦略だったのではないかと思われます。実際に昭和31年1月に公開されると当時の金額で3億円を超える大ヒットを記録し、年度配給収入ランキングでトップに輝いています。
監督の松田定次は日本映画の父とも呼ばれる牧野省三の息子で、マキノ雅弘は異母兄にあたります。戦前からマキノ、新興、日活で多くの時代劇を監督してきた人で、戦時統制で大映所属となった後に東横経由で東映に移り京都撮影所の重鎮として昭和30年代に約50本の作品で監督をつとめました。本作を含めて昭和34年の『忠臣蔵 櫻花の巻 菊花の巻』、昭和36年の『赤穂浪士』と計三回忠臣蔵ものを作っていて、特に東映創立十周年記念作品として再映画化された『赤穂浪士』は現在でも忠臣蔵映画の決定版と言われています。
脚本を書いたのはここでも出たかの新藤兼人になっていますけれども、リアリズムや階級闘争を強調し過ぎた脚本だったようで東映が求めるオールスターの娯楽時代劇路線に合いませんでした。結果的に使い物にならず、現場で助監督の松村昌治が書き直しをしたそうで、後に新藤兼人も娯楽映画の脚本を書く難しさや会社の方針との衝突を振り返っているようです。松村昌治は本作と同じ年に監督に昇格しましたが、東映時代劇のプログラムピクチャーを残すのみで終わっています。
キャメラマンの川崎新太郎は新興出身で大映から東横に流れてきて松田定次と多くのコンビを組んだ人で、昭和36年版『赤穂浪士』も川崎新太郎の撮影です。本作は東映イーストマンカラーとクレジットで表記されていますけど、日本初のイーストマンカラー作品は大映が昭和28年に作った『地獄門』でした。実は東映でも同じ年にカラーで『日輪』を製作しているのですが、こちらはコニカカラー。日本初のカラー映画である松竹の『カルメン故郷に帰る』はフジカラーで、松竹も東映も国産カラー映画を製作したもののフィルム感度が低くて使用を断念、安くて使い勝手の良いイーストマンカラーに乗り換えたという経緯のようです。『地獄門』はカラーでキモノの美しさを表現したことでアカデミー賞名誉賞まで獲得しましたけど、忠臣蔵をカラーで見られるということも本作が大ヒットした要因ではなかったでしょうか。
冒頭のクレジットでトップビリングされたのは片岡千恵蔵で市川右太衛門はトメで出てきます。主役の内蔵助を演じる市川右太衛門が最後で、出番の少ない立花左近をやる片岡千恵蔵が最初なのはちょっと違和感がありますよね。東映取締役の立場にあり「両御大」と呼ばれた二人ですが、千恵蔵のほうが四歳年上で映画界のキャリアも長いことから「山の御大」こと千恵蔵のほうが「北大路の御大」こと右太衛門よりも取締役の序列でも先任と見なされていたようです。
市川右太衛門が内蔵助を演じたのは生涯で300本以上の出演作の中でも本作だけ。かたや片岡千恵蔵は浅野内匠頭や堀田隼人を演じたことはありましたが、『忠臣蔵 櫻花の巻 菊花の巻』と昭和36年版『赤穂浪士』で二度内蔵助をやっています。つまり内蔵助を先に演じることになったのは市川右太衛門だったわけで、先んじられた形になった片岡千恵蔵は二度内蔵助役を得たことで互いにイーブンになったという東映のバランス感覚だったんでしょうか。ちなみに昭和36年の『赤穂浪士』では右太衛門は千坂兵部役で、千恵蔵と無言のにらみ合いを演じることになります。
【ご覧になった後で】よくまとまっていて150分の長尺を飽きさせません
いかがでしたか?カラー初期なので仕方ないと思いますが、色が滲んだり浮き沈みしたりするのが気になってしまいました。それでも大佛次郎が「赤穂浪士」として赤穂事件を再構築した世界がうまく表現されていて、特に堀田隼人を演じた大友柳太朗のニヒリズムというか投げやりな感じが本作にダークサイドを与えることに貢献していました。
赤穂城で市川右太衛門が藩士たちに殉死の決意を問うた後で主君の仇を討つと明言する場面で、通常であれば仇討ちが主目的になるところを本作では米沢藩上杉家を滅ぼすことを目指すと加えます。つまり赤穂藩がお取りつぶしになるのであれば上野介の息子が藩主をつとめる米沢藩もつぶさねばおかしいだろうということなわけで、内匠頭のみを即日切腹、上野介をお咎めなしとした幕府の裁定に真っ向から反抗の意思を示します。そこまでやるのかという設定が幕藩体制に不満を持つ堀田隼人の存在によって補強されているわけで、その視点からすると大友柳太朗の存在感が重要になりますので、本作の影の主役は大友柳太朗だったといっても良いのではないでしょうか。
というのも東千代之介の内匠頭が切腹し泉岳寺に葬られて江戸詰めの家来たちが涙に暮れる場面で、堀部弥兵衛役の薄田研二が「きっと上野介を討ってみせます」的な誓いを述べます。このセリフは非常に重要で、文楽や歌舞伎であれば「判官切腹」の場で駆け付けた由良之助に判官自ら「上野介を討ち取れ」と命じることで討ち入りが明確なミッションになりますし、昭和36年版『赤穂浪士』では内匠頭の切腹に立ち会った脇坂淡路守(中村錦之助はこっちのほうが断然適役!)が内蔵助に仇を取ってくれと言っていたと伝えます。だから弥兵衛ごときが安易に口にするセリフであってはならないはずなのですが、本作では仇討ちだけでなく米沢藩撲滅がもうひとつの大きな目標になるので、あえて弥兵衛に語らせておいて、内蔵助がその先にある壮大なターゲットを明かすという流れにしたのだと思われます。
大佛次郎の原作では、京まで東海道を上る堀田隼人がかなり早めに内蔵助と相まみえる設定になっていた記憶があるのですが、本作では江戸に出てきた内蔵助を隼人が襲う展開に脚色されていました。剣の達人の大友柳太朗がお腹がせり出して動きの鈍そうな市川右太衛門を倒せないというのがいかにもお約束のように見えてしまい、ちょっとシラケる場面になってしまっていたのは残念でした。
それでも進藤英太郎の蜘蛛の陣十郎と高千穂ひづるのお仙はそれなりに出番も多く、できればお仙が堀田隼人を慕う心情まで迫れればもっと良かったと思いますが、150分の長尺を飽きさせずに見せる捌き方は見事だったのではないでしょうか。必然的にシーン数がめちゃくちゃ多くなって、短いシーンがフェードアウトして次のシーンに行くというのがパターン化していましたけど、それでブツ切れになるというよりもサクサクといろんな登場人物の動きをソツなくムダなく見せていくことが出来ていたと思います。導入部はフェードアウト時に黒味部分をキラキラさせる処理が施されていて工夫してあったものの、途中からは普通の暗転になっていたので現像方面の職人さんが面倒になってしまったのかもしれませんね。
本作では吉良邸討ち入りの場面が意外とあっさりしていて、小林平七も簡単に斬られてしまい、護衛する傭兵たちの抵抗もあまり描かれません。割とすぐに笛の音が鳴り響き、月形龍之介の上野介は雪の地面に這いつくばっています。ここは上野介が見つからず屋敷のあちこちを探し回るのをもう少しみせてほしかったところでした。
市川右太衛門の内蔵助は顔の表情による演技に妙味があって、やっぱり他の俳優たちとの差は歴然としていましたし、堂々とした内蔵助だったと思います。片岡千恵蔵は立花左近ではもったいないくらいでしたが、本作では千坂兵部が内蔵助とタメを張るくらいの知略家という位置づけではなく、単にお家を守ることに専心するだけの策士にしか見えませんでしたから、千恵蔵ではなく小杉勇で十分な感じでした。脇で印象的だったのは目玉の金助を演じた河野秋武でしょうか。大友柳太朗にあっさり斬られてしまうのは残念でしたね。
大友柳太朗と高千穂ちづるが心中する終幕は、二人の関係を描き切れていなかっただけあってちょっと唐突感がありました。昭和36年の再映画化版では四十七士の義の思いにうたれて討ち入りの仲間入りをしようとして果たせないという展開に堀田隼人の虚無感が強調された覚えがあるのですが、本作ではそこがやや弱かったように思います。そんなこともあり世間的には再映画化版のほうが評価が高いわけですが、松田定次自身は本作のほうが気に入っていたようです。もしかしたら松田定次にとっては右太衛門の内蔵助のほうがぴったりきたのかもしれません。(V010526)

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