「宮本武蔵シリーズ」第三作では高倉健演じる佐々木小次郎が初登場します
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、内田吐夢監督の『宮本武蔵 二刀流開眼』(にとうりゅうかいげん)です。昭和36年に始まった内田吐夢監督による東映版「宮本武蔵シリーズ」五部作も中盤に差し掛かり、第三作で武蔵のライバル佐々木小次郎が初登場し、高倉健が中村錦之助と対峙する展開となります。資料によって記載がまちまちなのですが、昭和38年のお盆に公開された本作も配給収入3億円を記録したといいますから、東映としては安定した興行が期待できる鉄板シリーズになっていたことでしょう。
【ご覧になる前に】京都洛北での宮本武蔵と吉岡清十郎の対決が描かれます
般若坂で武蔵は斬り殺した浪人に念仏を唱えながらも剣の道を究めるため城太郎とともに柳生石舟斎の居城に向います。おりしも吉岡清十郎の弟伝七郎らが腕試しを申し込むも石舟斎の弟子である四高弟に断られ、伝七郎は石舟斎の世話をしていたお通から芍薬の花を届けられます。たまたま同宿していた武蔵は伝七郎に受け取られることなく捨てられたその枝の切り口を見て、石舟斎の剣の凄さを見抜きした。城太郎から武蔵が切った枝を見せられた柳生四高弟は城に招いて武蔵の腕を確かめようとするのですが…。
前作の『般若坂の決斗』から9ヶ月が経過した昭和38年8月に公開された本作の脚本は、前作同様内田吐夢と鈴木尚之が共同で書いたもの。同じスタッフで固められたシリーズ製作体制ではあるものの、キャメラマンは坪井誠から本作以降は吉田貞次が担当するようになりました。吉田貞次は東映京都撮影所で時代劇を専門にしていた人ですが、「宮本武蔵シリーズ」以降は『緋牡丹博徒 二代目襲名』などのヤクザ映画を撮るようになり、深作欣二監督の「仁義なき戦いシリーズ」全五作でキャメラを回すことになります。
本作で初登場する佐々木小次郎を誰が演じるかが話題になり、当時の新聞芸能欄を騒がせたらしいのですが、最終的には中村錦之助の弟分でもあり、東映東京撮影所の主軸だった高倉健が抜擢されることになりました。当時の高倉健は東京撮影所が得意としていたギャングものを中心に活躍していて、昭和38年3月に準主役で出演した『人生劇場 飛車角』で新境地を拓いたところでした。翌年に『一乗寺の決斗』で佐々木小次郎を演じた高倉健は「日本侠客伝シリーズ」の第一作『日本侠客伝』に主演して東映ヤクザ映画を開花させることになります。高倉健にとって「宮本武蔵シリーズ」の佐々木小次郎役は、ヤクザ映画とともに大きくステップアップするための重要な役どころだったのかもしれません。
吉岡清十郎役の江原真二郎は東映京都撮影所でアルバイトをしていたときにスカウトされて俳優になったという経歴の持ち主。今井正監督の『米』で主役に抜擢され、そのときに共演した中原ひとみと昭和35年に東映の大川博社長の媒酌により結婚しました。東映では「宮本武蔵シリーズ」のほかギャングものから戦争ものまで幅広い作品に出演していましたが、昭和42年に東映を退社してフリーに。ライオン歯磨き「ホワイト&ホワイト」のTVコマーシャルに一家で出演したことで東映時代よりはるかに知名度があがった人でもありました。
【ご覧になった後で】低迷した前作から盛り返してペースを取り戻しました
いかがでしたか?前作の『般若坂の決斗』がテンション低めのつなぎ役のような体たらくだったので、東映版「宮本武蔵シリーズ」もそのまま尻すぼみになるかと思いきや、この第三作は見事にペースを取り戻していて、内田吐夢らしいダイナミズムが垣間見える出来栄えになっていました。その第一の要因は動き回るキャメラにあるわけでして、フィックスショットよりも動きのあるショットが目立っていて、それが作品全体の躍動感につながっていたと思います。
移動ショットは導入部から全開で、武蔵と城太郎が柳生石舟斎の城を見下ろす場面に本作を象徴するような映像が見られました。山道を歩く二人をトラックバックしながら捉え、二人がキャメラを追い越すのをパンしつつ、景色が開けて城を見下ろすところではクレーンを使いながらキャメラが徐々にせり上がっていきます。ひとつのショットの中にいくつもの移動が仕掛けられていて、開巻からワクワクさせられるような期待感を抱かせる演出でした。
このようにして内田吐夢は横移動やトラックアップ、パン、ティルト。クレーンショットなどを駆使して、武蔵や小次郎、又八らを描いていきます。フィックスショットも単に静止したスティルショットというよりは切り返しで登場人物をとらえるような劇的効果を狙う場面で使われていて、五条大橋で武蔵と朱美をとらえたショットの奥に佐々木小次郎が立っているのをピンボケで映し込むショットなどは正対したフィックスショットが実に計算されてリズミカルに編集されていました。
そして第三作が盛り返したもうひとつの勝因が高倉健の佐々木小次郎の登場でした。日本映画史においては稲垣浩監督が大谷友右衛門主演で作った『佐々木小次郎』三部作が有名で、小次郎のイメージはどちらかというと優男的な美男子剣士という感じが主流だったのではないかと思われます。稲垣浩監督による東宝版でも三船敏郎の武蔵に対して小次郎は鶴田浩二がやっていましたから、鶴田浩二も確実に大谷友右衛門の路線を継承していたといえるでしょう。しかし東映版の高倉健はその路線を覆すような質実剛健で腕力を感じさせる小次郎像を創り上げていて、中村錦之助の武蔵に十分過ぎるほどの威圧感を与えることに成功していました。『日本侠客伝』でブレークする寸前の高倉健でしてみれば、佐々木小次郎を強めに演じることなど朝飯前だったでしょう。この高倉健の存在感が第三作を骨太にしていたことは間違いありません。
脇役陣では、木暮実千代がワンシーンしか出てこないのに対して木村功の又八が第三作でやっと出番が回ってきたという感じで応援したくなるような雰囲気を出していました。谷啓の浪人とのからみよりもやはり高倉健の小次郎と相対してすぐにシャッポを脱いでしまう情けさに注目したいところです。丘さとみの朱美は入江若葉のお通よりもはるかに見せ場が多く、第三作のヒロインの座を奪ってしまうほどの活躍ぶりで、こうなると入江若葉の学芸会っぽい素人演技ではどうにもこうにも太刀打ちができません。
しかしながら吉川英治の原作がそういう展開だったかもしれませんけど、主要登場人物が偶然出くわす展開にはちょっとシラケてしまうくらいのわざとらしさが否めず、しかも石舟斎の屋敷の門前であまりにも出来過ぎな偶然で武蔵と再会が叶ったお通でありながら、武蔵が走り去っていくのを追いかけもせずにヨヨと泣き出してしまうお通には不自然さしか感じられませんでした。お通が木の上の城太郎を偶然見かけ、小次郎と又八が偶然出会い、又八と朱美もまた偶然ばったりと会い、おばばは武蔵を偶然発見し、五条大橋では主要人物勢ぞろいなんて、あまりにもご都合主義な展開で鼻白んでしまいますよね。しかもやっとの思いで武蔵に再会できたお通は朱美の存在を見るや橋の下に隠れてしまいます。入江若葉が下手なので余計にじれったい気分になってしまいました。
というわけでラストはおなじみの武蔵の独白で次作への期待感を抱かせながらの終幕になっていました。何かを決心して去っていく武蔵が剣の道を究めるというよりは高名な武道家を倒して自分の名を売りたいという功名心の塊のようにしか見えないところは玉に瑕ですが、高倉健の佐々木小次郎との対決に向けてさらに盛り上がっていくことを予感させる第三作ではありました。(U112425)

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