ブロードウェイの舞台をロケーション撮影で映画化したミュージカル大作です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョシュア・ローガン監督の『南太平洋』です。ジェームズ・ミッチナーの小説「南太平洋物語」を題材としたブロードウェイ・ミュージカル「南太平洋」が初演されたのは1949年のこと。トニー賞を受賞した話題の舞台を映画化したのが本作で、ハワイのカウアイ島で2か月にわたるロケーション撮影が敢行されました。1958年の全米興行収入ベストワンの大ヒットを記録したほか、アカデミー賞音響賞も獲得したミュージカル大作です。
【ご覧になる前に】映画版主演女優にはミッツィー・ゲイナーが選ばれました
太平洋戦争下、南太平洋上空を行く飛行機で任地に赴くのはアメリカ海兵隊のケーブル中尉。島に住むフランス人農園主デ・ベックはどんな人物かと訊く中尉が着陸すると、浜辺では「女に優るものはない」と歌うルーサーたちがブラディ・メリーに腰みのを売りつけていました。メリーは対岸にあるバリハイと呼ばれる島から来た女性で、中尉に島に来るよう歌で誘います。ブラケット大佐と会った中尉は、日本軍攻略のため小島に偵察隊を置く任務を伝え、地理に詳しいデ・ベックの助けが必要だと訴えます。丘の上の屋敷に住むデ・ベックは軍のパーティで知り合った海軍看護師ネリーに愛の告白をしようかと迷うですが…。
ブロードウェイ・ミュージカル「南太平洋」は、作曲リチャード・ロジャース、脚本と作詞はオスカー・ハマースタインⅡ世の手による舞台でした。1949年4月に初演されると大ヒットを飛ばし、翌年には演劇・ミュージカル界で最も権威のあるトニー賞の主要部門を独占したほか、ピューリッツアー賞を戯曲部門で獲得します。ミュージカルでピューリッツアー賞を受賞したのは1931年の「汝に歌え」以来のことで、「南太平洋」以降でも「努力しないで成功する方法」「コーラスライン」など7作品しかないんだそうです。
ロジャース&ハマースタインのコンビは、単なるレビューショーだったミュージカルにドラマの要素を加え、魅力的なキャラクターの歌が物語と連動するように構成してミュージカル界に革新をもたらしたと言われています。「オクラホマ」「フラワー・ドラム・ソング」「回転木馬」「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」といった誰もが知るミュージカルはロジャーズ&ハマースタインが世に送り出したもの。二人がコンビを組む以前は、ロジャースはロレンツ・ハートと、ハマースタインはジェローム・カーンと共作していましたが、天才的メロディーメーカーのロジャースと作詞だけでなく脚本を書いて物語を創作するハマースタインがタッグを組んだことで、ミュージカルは大きな進化をとげたのでした。
映画化にあたってはブロードウェイの舞台で演出をつとめていたジョシュア・ローガンがそのまま監督を担うことになりました。舞台で主人公ネリー役をやったメアリー・マーティンは映画製作時に四十五歳になっていたので、ローガン監督は、ジュディ・ガーランド、エリザベス・テイラー、オードリー・ヘプバーンなどの女優をネリー役として検討したそうです。結果的には『ショウほど素敵な商売はない』や『魅惑の巴里』に出演していたミッツィー・ゲイナーがスクリーンテストを受けてネリー役を射止めることになりました。
結果的に舞台と同じ俳優が使われたのはブラディ・メリー役のファニータ・ホールだけになり、フランス人農園主デ・ベック役にはイタリア人のロッサノ・ブラッツィが演じることになりました。ブラッツィはイタリアとハリウッドを行き来した末に1954年の『裸足の伯爵夫人』で注目され、1955年デヴィッド・リーン監督の『旅情』で「ラテン・ラヴァー」の地位を確立した人。本作ではフランス人を演じていますけど、ブロードウェイでもデ・ベック役はイタリア人俳優がやっていたそうです。
ブロードウェイの舞台をハワイのカウアイ島でロケーション撮影するということで、キャメラマンの技量が問われることになったのですが、撮影を任されたのはレオン・シャムロイ。1930年代からハリウッドでキャメラを回していたベテランで、アカデミー賞撮影賞を四度も受賞しています。受賞した作品は『海の征服者』『Wilson』『哀愁の湖』『クレオパトラ』とすべてカラー作品で、シャムロイの他に四度オスカーを獲得したのはジョゼフ・ルッテンバーグしかいません。ちなみに『南太平洋』は1958年アカデミー賞撮影賞(カラー)にノミネートされたものの、『恋の手ほどき』のルッテンバーグに四度目のオスカーを奪われてしまいました。
【ご覧になった後で】名曲揃いのナンバーと凡庸な演出の落差が目立ちました
いかがでしたか?中学生のときにリバイバル上映されたのを見て以来だったので、あまりに懐かしくしかも結構記憶がはっきりしていて、ところどころで大昔に鑑賞したときの感覚が甦ってくるようでした。例えばミッツィー・ゲイナーが海辺で歌う場面でひっくり返ったボートの舟底にのぼってよろけるふりをする仕草だとか、バリハイの滝壺の横でフランス・ニュイエン演じるリアットが「ハッピー・トーク」の歌に合わせて顔の横に広げた両手の形などなど。ストーリーも単純なので大枠は覚えていて、ジョン・カー演じる中尉が突然死んでしまい洞窟のようなところに埋葬される姿なんかも、かつて見たスクリーンの記憶がまざまざと呼び起こされるような懐かしさでした。
そしてロジャース&ハマースタインのミュージカルナンバーのどれもが名曲揃いで、思わず口ずさんでしまうくらいに身体に染みついたメロディーは、ミュージカル映画としての本作の価値そのものだったと思われます。本編が始まる前のオーバーチュアの段階でおなじみのモチーフが次々に流れるので、見る前からワクワクしてしまいますし、導入部でいきなり始まる「御婦人が一番」(という邦題らしいです)のノリの良さで観客の心は鷲掴みにされてしまいます。メインテーマの「魅惑の宵」はもちろんのこと、「バリハイ」「春よりも若く」「ア・ワンダブル・ガイ」「ハッピー・トーク」「やぶにらみの楽天家」「あの人を忘れたい」など、本作の登場する楽曲は本当にハリウッドミュージカルを象徴するような心に残る名曲ばかりです。これらの曲を聞かれるだけでも2時間37分の長尺を見ていられますよね。
と、ここまでは中学生以来の再見で懐かしさとともに本作の良いところを褒めまくったのですが、冷静に現在的な目で見直してみると映画作品としてはかなり粗が目立っていて、ツッコミどころも満載の凡庸さに目が行ってしまうのも事実です。第一にジョシュア・ローガンによるミュージカルシーンの演出の悪さは曲の良さを相殺してしまうくらいの悪手でした。せっかくハワイでロケーション撮影しているのになぜあんな安っぽいカラーフィルターを画面全体にかけてしまったんでしょうか。風光明媚なハワイの空と海と砂浜が、赤一色になったりセピア色で染められたり青みを帯びたおぞましい色彩に変えられてしまっていて、台無しにされていました。これらのカラーフィルター処理はキャメラマンのレオン・シャムロイも大反対したものの、撮影中の天候の変動を隠すためにジョシュア・ローガンが強行したようで、しかも後年になってローガン本人が映画人としての最大の失敗だったとコメントしているのです。なんとも余計なことをしてくれたもんですね。
第二に問題なのはミュージカルシーンの工夫のなさです。楽曲は最高に良いのに、画面で登場人物が歌を歌うだけで、そこにダンスが加えられるわけでもなく、振り付けが入るわけでもなく、キャメラの移動やカッティングの効果など一切の演出がなされていません。いくら曲が良くても、これならレコードを聴いているのと同じになってしまうわけで、ミュージカル映画としては失格です。唯一ミュージカルっぽさが出ていたのは「ハッピー・トーク」くらいでしょうか。とにかくジョシュア・ローガンは舞台の演出家なら務まったのかもしれませんが、本作のようなミュージカル大作の監督としては不向きでした。1960年代後半に映画化された『キャメロット』や『ペンチャー・ワゴン』もジョシュア・ローガン監督作品ですが、たぶん失敗作なのではないでしょうか。
加えて登場人物の描き方が浅いのも本作の評価を落とさざるを得ない点でした。ミッツィー・ゲイナーはロッサノ・ブラッツィからポリネシア人の妻を亡くしたと聞いただけで自分の愛情に自信がもてなくなりますが、そんないい加減な気持ちだったのかと幻滅してしまう展開でしたし、そもそもなぜブラッツィは妻を亡くして子供が二人いることを明らかにしなかったのでしょうか。相手に隠し事をしている時点で、この二人の将来が危ういものだと観客には思えてしまいます。またジョン・カーの中尉とミッツィー・ゲイナーはほとんど接点がなかったはずなのに、慰安ショーの後で急に二人はかつて空の友情で結ばれているように描かれます。中尉もいつのまにかマラリアで入院していたことになっていましたし、ここらへんは映画化にあたってハマースタインⅡ世の戯曲を脚色したポール・オズボーンの手落ちなんでしょうか。ポール・オズボーンは『エデンの東』の脚本を書いた人なのに、本作の仕事ぶりには疑問符がついてしまいます。
また現在的な見方をすると、本作は古き良きハリウッドスタイルのミュージカルであると同時に1950年代の白人至上主義の視点のみで作られた作品であることも明らかです。陸軍にも海兵隊にも黒人兵はわずか(冒頭の浜辺の場面で黒人俳優が1人出てくるだけ)ですし、バリハイの到着したときにジョン・カーとレイ・ウォルストンを囲む島の人々はまるで魔術信仰の未開の原住民のように描かれています。ブラディ・メリーがジョン・カーに娘を紹介するのも夜伽の相手を差し出すようにしか見えませんし、ミッツィー・ゲイナーが現地人妻がいたことを知り「肌の色が…」などと口走るのも一種の人種差別と言えるでしょう。ロジャース&ハマースタインのミュージカルナンバー「御婦人が一番」にしても「There is Nothing Like a Dame」の歌詞は「人生には美しいものがたくさんある。でも、兄弟よ、
他のものと全く似ていないものが一つだけある。どんな形でも、他のものとも似ていないものが一つだけある」と女性をモノのように歌いあげています。まあ、そういう時代だったということなんでしょうけど、本作は現在ではサブスク配信でこそ見ることができますが、映画館での上映やTVでの放映はもう無理でしょうね。
というわけで、懐かしい気分にさせられると同時に、映画としての凡庸さやマズい点が気になってしまい、本来であれば「おススメ」に出てきてもおかしくない作品だと信じていたのに、なんだか時間の経過とともにその魅力が色褪せてしまった映画だったんだなとがっかりしてしまいました。「魅惑の宵」は紛れもない名曲であり、永遠のスタンダードナンバーですけど、映画の価値は永遠とは行かないようです。(A082025)
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