伊豆の踊子(昭和38年)

川端康成の名作を四度目に映画化した日活版で踊り子を吉永小百合が演じます

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、西河克己監督の『伊豆の踊子』です。川端康成が書いた短編連作「伊豆の踊子」が出版されたのは昭和2年のことでしたが、以来何度も映画化された中で本作は四度目に映画化された日活版です。原作で十四歳と設定されている踊り子を演じたのは、当時十八歳の吉永小百合。伊豆の山々や下田の港など開発されていない日本古来の風景がカラーで映像化されているのも見どころになっています。

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大学の大教室で講義を終えた老教授の元にひとりの学生が走ってやってきます。学生は教授にある娘と結婚するので仲人を依頼し、娘が踊り子をやっていると聞いた教授は遠い昔、伊豆の山中で出会った踊り子のことを思い出します。夏休みを使って伊豆・天城峠の山道を下駄ばきで歩く学生は、旅芸人一座の中に可憐な踊り子がいるのに気づきます。あんな連中には近づかない方がいいと言う茶屋の女将に50銭という法外な駄賃を置いた学生は、旅芸人一座に湯ケ野の宿を紹介してもらいますが、大広間の宴席で踊り子が酔客に絡まれる姿を心配そうに眺めるのでした…。

川端康成の初期の代表作とされる「伊豆の踊子」は、川端自身が十九歳のときに伊豆を旅した体験に基づいていると言われていて、川端本人が「事実そのもので虚構はない。あるとすれば省略だけ」と述べています。大正15年「文藝時代」誌1月号に「伊豆の踊子」、2月号に「続伊豆の踊子」として掲載された短編小説が単行本になったのは翌昭和2年のこと。その際には梶井基次郎が校正を担当したそうで、戦時中にドイツ語による翻訳版が出たのを皮切りにして、戦後には英語・イタリア語・ポルトガル語・中国語・スペイン語・ロシア語など世界各国で翻訳されるようになり、世界中で愛読される小説になっていきました。

「私」と記される主人公は一高の学生で二十歳の設定ですが、踊り子の「薫」は十四歳とされています。小説の舞台となった伊豆には、学生と踊り子の銅像やブロンズ像が浄蓮の滝、初影滝、河津駅に設置されていて、そこで造形された踊り子は例外なく少女の姿形をしていて、十四歳という設定に準じています。しかしながら、映画化にあたっては少女となると恋愛映画として成立しにくくなるでしょうし、子役を立てなければならなくなりますので、少女というよりは「年若い生娘」に変換されてきたようです。

日活版が出る前は三作とも松竹で映画化されたいたのですが、昭和8年に松竹で初めて映画化された際は、当時二十三歳の田中絹代が演じています。昭和29年の二度目はなんと十七歳の美空ひばり、昭和35年の三度目で踊り子をやった鰐淵晴子は十五歳で、徐々に原作の十四歳に近づいていますね。そして四度目の吉永小百合は十八歳。五度目の東宝版は昭和42年に十六歳の内藤洋子が主演し、六度目の映画化が現在のところ最後なのですが、昭和49年に山口百恵が十五歳で踊り子を演じています。

『伊豆の踊子』主演時の山口百恵が十五歳だったとは現在的に考えると衝撃的な若さですが、この吉永小百合版を監督した西河克己が再登板して二度目の映画化に挑戦したのが山口百恵版なのでした。吉永小百合が松竹で映画デビューしたのは十四歳のときで、日活入社後『キューポラのある街』に主演したのは十七歳でした。山口百恵の歌手デビューも十四歳で、当時は森昌子・桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれていました。

義務教育終了前の児童は午後8時以降労働させてはならないという労働基準法が午後9時以降に延長されたのは平成17年のことですから、「花の中三トリオ」は夜10時から放映されていた「夜のヒットスタジオ」には出演できなかったわけです。しかし映画の撮影は深夜に及ぶことがしばしばあったでしょうから、十代の女優さんたちにとってきちんと労働基準法が守られていたかどうかは定かではありません。話が横道に逸れてしまいましたが、この日活版では「私」こと学生役を高橋英樹が演じ、重要な役である踊り子の兄は大坂志郎がやっています。さらには浪花千栄子、桂小金治、南田洋子、十朱幸代などが脇を固めます。

本作は鰐淵晴子主演の松竹版に続いて「伊豆の踊子」としては二度目のカラー作品で、伊豆の山々や下田の港などが昭和初期の光景として映し出されます。キャメラを担当した横山実は新東宝から日活に移籍した人で、市川崑の『ビルマの竪琴』や石原裕次郎主演の『夜霧よ今夜も有難う』のキャメラマンです。現在ではどこをどう撮っても道路は舗装されていますし、電線や電柱がないところはほとんどありませんので、特に遠景で撮った映像が見事に昭和初期の景色になっているのにも注目です。

【ご覧になった後で】吉永小百合の可憐な姿を後世に残すための作品なのでは

いかがでしたか?高橋英樹でなくても、伊豆の山の中で吉永小百合のような娘と出会ったら二度と目を離せなくなってしまうと思わせるほどに、踊り子を演じる吉永小百合のなんと可憐で無垢で清楚なことでしょうか。十四歳の少女を演じるので、あえて幼さを強調するように演じているので、ややもするとこの娘は発達障害なのかなと思われるほどでした。それほど純粋に無心な様子に見えるので、学生と踊り子の関係に性的なものは全く感じさせませんし、港に走る吉永小百合を人夫頭の郷鍈治が守ってやる場面などのように保護されてしかるべき存在として暴力沙汰の対象の範囲外の聖なる娘のように描かれていたのが本作の好感度をアップさせていたと思います。

だとすると、吉永小百合の魅力は何なのかという命題に突き当たるわけで、それを解く鍵は開巻と終幕に挿入された現代のシーンにあるのではないかという説はどうでしょうか。宇野重吉演じる老教授は浜田光夫に紹介された吉永小百合を見て、伊豆の踊子に思いを馳せ、映画の終わりにその回想から覚めるという設定になっています。白黒画面にスカーフを頭に巻いてサブリナパンツ姿で登場する吉永小百合は、もちろん可愛いことは確かですが、都会に無理に合わせようとする地方出身者のようなちぐはぐさが感じられます。まあ相手が浜田光夫だからというのも影響しているかもしれませんけど。

ところが伊豆の天城峠で出会う吉永小百合は、黄色い縞の大島紬の着物とバックになる山の緑がカラー映像で映えることもあって、田舎娘そのものなのですが実に洗練された女性のように見えるのです。無理に都会風の恰好をした白黒画面の吉永小百合よりも、山道をえっこら歩く着物姿の吉永小百合のほうが、吉永小百合の本質的な存在感を表現しているのではないかと思わされます。冒頭の現代シーンは全く無用の長物のようにも感じたのですが、踊り子を演じる吉永小百合を際立たせるためには欠かせない導入部だったことは間違いなく、終幕で都会の田舎娘風の吉永小百合を見せられることによって、観客は踊り子としての吉永小百合への憧憬をより強める効果があったのではないでしょうか。

吉永小百合以外では大坂志郎が演じる兄栄吉の優しい演技が印象的でした。東京で新派の舞台に立ったこともある役者が、旅芸人に落ちぶれて伊豆のあちらこちらでご祝儀目当ての幇間稼業をしているという設定には、その日暮らしの生活の貧しさを感じさせると同時に、その貧しさは清貧ともいえる潔さがあって、栄吉という人物が非常に高潔な人格者であるように見えてきます。加えて生後1週間で男の赤ちゃんを亡くしたというエピソードは栄吉夫婦の哀れさを増長します。そんな栄吉を決して前面に出ることのない抑制された演技で大坂志郎が表現したことが、文芸作品としての本作の支柱になっていたように思われます。

脚色したのは井手俊郎と西河克己の二人で、今井正監督版『青い山脈』で脚本家としてのキャリアをスタートさせた井手俊郎は、『放浪記』など文芸作品のシナリオも多く手がけていますが、本作で下田から東京に帰らなければならないという学生の事情を最後まで明かさなかったのはなぜなんでしょうか。高橋英樹は呑気に暇を持て余すように伊豆の旅をしているように描かれていたので、活動写真を見に行こうと約束した学生が踊り子に仕事が入って行かれなくなったと聞いてすぐに急に帰京することになったと栄吉に告げるのは、要するに自分の想いを封印して踊り子の気を惹くようなことを止めたという設定になってしまいます。

映画化において学生と踊り子の淡い恋のようなストーリーになるのは仕方ないことなのかもしれませんが、小説としての「伊豆の踊子」は学生の内面的な成長というか孤児根性からの解放を描いているということですので、作品としての手触りはかなり違っているのかもしれません。とはいっても、この日活版の場合は吉永小百合あっての映画化なわけなので、小説「伊豆の踊子」のキャラクターだけを借りた本歌取りのような位置づけなのかもしれません。作品的価値というよりは、十八歳の可憐な吉永小百合の映像アーカイブを残してくれたことが本作の一番の功績といって良いでしょう。(V110924)

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